夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

辰年・1952年

2024-06-02 07:52:05 | 随想ほか雑記

本箱を整理していたら辰の木版画が出てきた。1952(昭和27年)の年賀状に使う積りだったようだが、途中で彫るのを止めている。何故そうしたのかは覚えていない。ところで、木版画の裏には「ジャングル大帝」の図の写しのようなものが描かれている。当時、近所の少年から「漫画少年」という雑誌を見せてもらったことがあったが、「ジャングル大帝」もこの雑誌に掲載されていたのである。1952年は私が中学を卒業した年に当たる。当時は進学しない人も少なからずおり、進学した人も高校は別々であったので、卒業とともに同級生はばらばらになってしまった。そして、「漫画少年」を読むことも3月で終わりという事になった。

 

1952年は吉田内閣の時代で、戦後の復興がほぼ終わった年でもあり、3月には米国との平和条約が批准され、4月には日本が主権を回復している。ただ、5月にはメーデーで死傷者が出るなど各地でデモ隊と警官隊との乱闘が生じた年でもあった。スポーツの面では、5月に白井義男が世界チャンピオンになり、7月には日本もヘルシンキ・オリンピックに戦後初めて参加している。

 

コメント

令和の年末年始

2024-01-29 18:07:38 | 随想ほか雑記

平成30年(2018)までは、NHKの紅白に続いて「ゆく年くる年」を見て過ごし、遠くの除夜の鐘の音を聞きながら0時0分に一陽来復の御札を貼り、年が明けてからは例年通り虎ノ門や浅草に初詣に出かけ、また近くの神社にも初詣に出かけていた。平成31年(2019・令和元年)になってからは、NHKの紅白は見なくなったが、それでも、一陽来復の御札を貼ることは続けており、令和2年(2020)の初詣も例年通り続けていたが、新型コロナによる緊急事態宣言が出され外出を自粛したため、一陽来復の御札を戴くことは取りやめ、大晦日に遅くまで起きていることも無くなった。そして、令和3年(2021)、令和4年(2022)、令和5年(2023)も、一陽来復の御札を貼ることは無くなり、虎ノ門や浅草への初詣もやめてしまったが、近くの神社への初詣は続けていた。そして、令和6年(2024)の正月。おせちは止め、年賀状も出さなくなったが、近くの神社への初詣と門松だけは続けている。

コメント

85歳の壁

2023-12-23 07:47:46 | 随想ほか雑記

 

今年(令和5年)、85歳の誕生日を迎えることになった。年の割に元気だと思ってはいるのだが、長い距離を歩くウオーキングに参加するのは諦めることにして、散歩に近いウオーキングだけを続けることにした。6月のある日、国の重要有形民俗文化財である長崎富士塚を見に行ったときに、7月1日と2日に山開きの行事があることを知り、行ってみる積りでいた。しかし、6月の終わり頃に体調を崩してしまい、入院には至らなかったものの、1ヶ月近く外出を控えざるを得なくなった。

8月になって、近くの公園まで何とか歩けるようになった。それからは少しずつ距離を伸ばし、9月、10月、11月と歩く距離を増やすようになり、12月には長崎富士塚を見に行く事が出来た。ただ、長崎富士塚の開山は年に一度だけなので、今年は眺めるだけ。富士塚に登るのは来年にまわすことにした。今年もあと九日。この一年、85歳の壁かも知れぬものもあったが、何とか壁を越えられそうなところ迄は来た。果たして・・・・。

コメント

70歳、80歳の壁を越えて

2023-11-30 16:52:41 | 随想ほか雑記

(1)50歳は曲がり角

老後の事を考えるようになったのは、50歳になってからだったと思う。当時は60歳が定年であったので、このまま仕事を続けて60歳になったら、のんびり暮らすという選択肢もあるにはあったが、そんなことは考えたくなかった。その後、60歳から先も働き続けられる職場がある事を知り、定年まで待たずに退職して転職することにした。給与は減る事にはなったが、それでも、長く働き続ける方を選んだのである。

       

(2)70歳の壁を越える

転職先の定年は65歳であったが、その後も非常勤の嘱託として67歳まで働いた。嘱託を辞めてからは年金暮らしになったが、老後の備えとして預貯金については早くから準備していたので、贅沢をしなければ日々の暮らしを続ける事が出来た。退職後、勤め先の行事にOBとして参加する機会はあった。また、勤め先の同好会はOBも参加が可能だったので、ウオーキングの同好会にOB会員として加入する事にした。実は、歩いた距離の累計が所定の距離に達すると表彰されるという事があり、それが目的の一つでもあった。

69歳の時、江戸時代の歴史について興味を持つようになり、江戸東京博物館の友の会に入会した。また、このブログ「夢七雑禄」を始めたのも、この年である。その翌年、平成20年(2008)、70歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。

 

(3)80歳の壁を越える

このブログ「夢七雑禄」を始めた頃は、ブログの訪問者はまだ居なかったと思う。何年か経ち携帯からもアクセス可能にした頃から訪問者は少しずつ増えるようになり、そして現在は一日当り3桁の訪問者が居る。内容的にはアクセス数の多いブログとは言えないのだろうが、現在の訪問者数は作成者として有り難い数である。仕事が無くなった今は、ブログが仕事の代わりになっているのかも知れない。そしてウオーキングがそれを支えているのだろう。

平成25年(2013)、今までの保険証に代わる後期高齢者保険者証が送られてきた。この年、この保険証を使う必要が生じ一週間ほど入院したが、退院して暫くしてからは、旅行はともかく、散歩するぐらいの事は出来るようになっていた。

 それから5年。ブログの記事を書くため都内の各所を歩き回り、時にはウオーキングの会に参加し、時には博物館や美術館、公園や寺社を訪れることもあった。そして、気がついたら、80歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。

それから5年が経ったが、85歳の壁を乗り越えられたかどうか、今はまだ分からない。

 

コメント

雪中四友

2023-02-28 17:27:47 | 随想ほか雑記

“雪中四友”という言葉がある事を知り、広辞苑で調べてみたところ、“画題:玉梅・臘梅・茶梅(さざんか)・水仙の称”とあった。描きたいものが見つけにくい雪の季節であっても、冬に花を咲かせる梅や臘梅、サザンカや水仙は画の題材として使えるので、困った時に助けてくれる友人のような存在なのだろう。そこで、今まで撮った写真の中から、冬に花を咲かせる、梅、臘梅(ロウバイ)、山茶花(サザンカ)、水仙の写真を探してみた。

 

(1)梅

写真は目白庭園でのもので、2016年1月の撮影。庭園内には雪がまだ残っていた。

「梅つばき早咲ほめむ保美の里」:芭蕉

 

(2)臘梅(ロウバイ)

この写真も目白庭園でのもので、撮影は今年の2月。この日、雪は無かった。

「臘梅や雪うち透す枝のたけ」:芥川龍之介

 

(3)山茶花(サザンカ)

今年2月10日、都内に大雪警報が発令された日の写真である。写真の花は寒椿(カンツバキ)かも知れないが、寒椿をサザンカの園芸品種の一つとする考えもあるようなので、サザンカとして取り上げることにした。

「山茶花のここを書斎と定めたり」:正岡子規

 

(4)水仙

今年の2月、目白の森での撮影。園内には他にも水仙があった筈だが、この日は見当たらなかった。

「水仙や寒き都のここかしこ」:蕪村

 

コメント

卯年のお年玉切手シート

2023-01-20 17:55:17 | 随想ほか雑記

 今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、昭和38年から令和5年まで卯年(ウサギ年)のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。十二支と十干を組み合せた干支で、今年は癸卯(みずのと・う)に相当するが、前回の癸卯は60年前の昭和38年(1963)ということになる。

(1)昭和38年(1963)

昭和38年のお年玉切手は5円切手4枚からなるシートで、佐賀県の郷土玩具である“のごみ人形”の干支シリーズから卯の土鈴の図柄が使用されている。のごみ人形は佐賀県の鹿島で昭和20年(1945)から作られていた土人形がもとになっている。なお、昭和26年(1951)11月に葉書は5円で封書は10円となったが、その後、昭和41年(1966)までは変わらなかった。

 

(2)昭和50年(1975) 

昭和41年(1966)7月には、葉書は7円に封書は15円となり、昭和47年(1972)2月には葉書は10円に封書は20円に値上がりした。昭和50年(1975)のお年玉切手は10円切手3枚のシートで、図柄には桂離宮の水仙の釘隠しが使われていた。釘隠しとは長押などの釘の頭を隠すための装飾具を言うが、桂離宮の参観者で水仙の釘隠に気づいた人は少ないかも知れない。

 

 (3)昭和62年(1987)

昭和51年(1976)1月に葉書20円、封書50円に値上がりしたが、さらに昭和56年(1981)1月には葉書30円で封書60円となり、同年4月からは、葉書40円、封書60円となる。昭和62年(1987)のお年玉切手は40円の切手1枚と60円の切手1枚からなるシートになっている。40円の図柄は、明治になって旧士族が始めた名古屋土人形の継承者による“めおとうさぎの餅つき”で、60円の図柄は慶事用折鶴になっている。 

 

(4)平成11年(1999)

平成1年(1989)4月に葉書41円で封書62円となり、平成6年(1994)1月には葉書50円、封書80円に値上がりする。平成11年(1999)のお年玉切手は50円切手1枚と80円切手1枚からなるシートになっている。50円切手の図柄は千葉県佐原の郷土玩具、佐原張子の“もちつきうさぎ”で、80円切手の図柄は、幕末に始まった渋江人形を継承した山形張子の“玉乗兎”である。

 

(5)平成23年(2011)

平成23年(2011)のお年玉切手は50円切手と80円切手の2枚からなるシートで、50円切手の図柄は福島県西会津町の”首振り招福卯”という西会津張子、80円切手の図柄は兵庫県丹波市の稲畑人形のうち“子兎土鈴”という土人形が使われているが、何れも江戸時代からの郷土玩具の流れを汲むものという。

 

(6)令和5年(2023)

平成26年(2014)4月に葉書は52円、封書は82円になり、平成29年(2017)6月には葉書62円、封書82円に値上げされ、そして令和元年(2019)10月には葉書63円、封書84円となった。お年玉切手シートは平成28年まで国立印刷局が印刷していたが翌年以降は委託するようになり、令和5年の場合は、凸版印刷(株)の製造になっている。図柄は干支に因んだ84円と63円のうさぎのデザインである。

 

 

コメント

MD(ミニディスク)について

2022-10-02 15:55:46 | 随想ほか雑記

先日テレビを見ていて、十代の多くがMD(ミニディスク)を知らないということに驚いた。MDが登場したのは平成になってからで、CDに比べて小さく持ち運びしやすく、録音が容易にできる利点もあった。また、カセットテープとは異なり曲番が付けられる(頭出しが出来る)というメリットもあったので、今後は主流になる可能性もあると思っていたのだが、現実にはそうはならず、それどころか、今では絶滅危惧種にすらなっているらしい。こんなことになるとは思ってもみなかった。

上の写真は、所有しているSONYのポータブルミニディスクレコーダー、MZ―R4ST(1996年)である。写真の上側がステーションで、その左上側に本体が装着されている。写真の下側にあるのがMD(ミニディスク)で、ディスクをカートリッジに収めて保存する。

 

上の写真は、ステーションから本体を外して、上側に置いた状況を示している。本体にバッテリーとリモコン付きヘッドフォンを装着すれば、本体を持ちだして歩きながら聞くこともできるので、MDウォークマンと称していた。

この先、MD(ミニディスク)に録音することは考えていないし、MDウォークマンとして屋外で聴くこともないだろう。ただ、録音済みのMDについては、聞いてみた上で残した方が良いと思う場合は、別の媒体にコピーすることを考えたい。

 

 

 

コメント

切手収集という趣味

2022-09-15 20:55:08 | 随想ほか雑記

切手収集が趣味の王様だった頃、雑誌の広告につられて海外切手のパケットを買ったことがあった。中身は未使用の切手が1枚、残りは使用済み切手41枚で、相場が分からなかったので、値段相応なのかどうかは分からなかった。それと、どのような切手なのか、当時は調べることが難しかった。切手収集を続けることも考えたが、それには小遣いが足らなかったので、きちんと保管する事を条件に、家にあった使わない切手はまとめて預かることにした。それから年月が経ち、自分で稼いだ金で、切手収集が出来るようになったが、その頃には、切手は投機の対象となり趣味の域を脱していたため、たまに切手を入手することはあっても、本格的な切手収集を始めるまでには至らなかった。

ところで、当時入手した海外切手のパケットだが今も手元にある。上の写真はその一部で、中ほどにある三角形の切手が、たった1枚の未使用切手で、円盤投げの図柄によるサンマリノの切手である。他の使用済み切手はともかく、この未使用切手は当時も多少の値がついていた筈なので、長く保存しておけば、可成りの値がつくのではないかと思い、このパケットを今まで残しておいたのだが、最近になって調べてみたら、この未使用切手は10円にも満たないことが分かった。ひょっとすると、この切手パケットの中の使用済み切手の中に、10円を超える値のつくものがあるかも知れないのだが。

 

コメント

ふみの日切手

2022-07-18 07:15:11 | 随想ほか雑記

 毎月23日は語呂合わせで「ふみの日」と呼ばれている。中でも7月23日は、7月が文月と呼ばれることから、文月ふみの日として、ふみの日切手が発行されている。1998(平成10年)から2002年(平成14年)の5年間は、オランダの絵本作家ディック・ブルーナ(1927~2017)のデザインによる、ふみの日の切手が発行されている。今回は手持ちの切手の中から、「ふみの日」すなわち“Letter Writing Day”を、「LETTER」と「WRITING」と「DAY23」の3回に分けて切手シートのデザインとした、1999年、2000年、2001年の切手シートを取り上げる。

 

(1)1999年(平成11年)ふみの日切手シート

この年の切手シートの図柄のうち、上段は“LE”、中段は“TT”、下段は“ER”になっていて、合わせて“LETTER”を表している。上段には、「①お星さまにとどけ」「②キリンさんこんにちは」「③いっしょに飛ぼう」「④なに書こうかな」の4枚、中段には、「⑤ミッフィーとバーバラ」「⑥トランペットとぼく」「⑦きもちをこめて」の3枚、下段には「⑧お手紙まっててね」「⑨お手紙出すの」「⑩アヒルのさんぽ」の3枚、計10枚の80円切手が記されている。このシートの特徴は各切手のサイズや形が同じでないことで、④と⑧と⑩は円形になっている。

 

(2)2000年(平成12年)ふみの日切手シート

この切手シートの図柄のうち、上段は“WR”、中段は“ITI”、下段は“NG”になっていて、合わせて“WRITING”を表している。上段には、「①風船にのって」「②リンゴの木」「③インコさんこんにちは」の3枚、中段には「④自転車とウサギ」「⑤こころをこめて」「⑥うれしい手紙」の3枚、下段には、「⑦ハープ」「⑧リコーダー」「⑨コントラバス」「⑩お手紙届けてね」の4枚、計10枚の80円切手が記されているが、切手の形は、5枚の方形のほか、長円形が2枚、楕円形、円形、半円形が各1枚ある。

 

(3)2001年(平成13年)ふみの日切手シート

この切手シートの図柄のうち、上段は“DA”、中段は“Y”、下段は“2.3”になっていて、合わせて“DAY 23”を表している。上段には、「①うさぎをだっこ」「②白い小鳥」「③たくさん書くよ」「④読みたいワン」の4枚、中段には「⑤サイクリング」「⑥お空にとどけて」「⑦小鳥と風見鶏」の3枚、下段には「⑧こぶたとニワトリ」「⑨うさぎとお花」「⑩ぼくらは仲良し」の3枚、計10枚の80円切手が記されているが、方形が3、円形が2、半長円形が2、長円形2、楕円形が1と、切手の形は様々である。変わった形の切手を使ってみたい気もないではないが、そうなると、ディック・ブルーナの切手シートのデザインの一部が欠落してしまうことになるので、やめた方が良さそうである。

(注)この記事を書くに当たって「日本切手カタログ」などを参考にした。

 

コメント

寅年のお年玉切手シート

2022-01-30 16:22:01 | 随想ほか雑記

今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、先日、郵便局で入手した。これで、今年までの寅年のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。

 

(1)昭和37年(1962) 

昭和37年は干支で言うと、今年(2022)と同じ壬寅(みずのえとら)に当たる。昭和37年は、戦後の高度経済成長である岩戸景気と、いざなぎ景気の間の景気後退期に当たっていた。この年は、米ソ開戦、強いては核戦争の危険すらあったキューバ危機が生じた年でもある。なお、プロ野球では阪神タイガースが優勝している。

昭和37年寅年(1962)のお年玉切手の図柄は、出雲市の郷土玩具、張子の虎で、額面5円の切手4枚が1シートになっている。郵便料金は昭和26年から変わらず、はがき5円封書10円のままであった。出雲の郷土玩具・張子の虎は、江戸末期の彫刻家荒川亀斎による虎の像をもとに、出雲市の高橋熊市が造ったとされ、節句の祝いに贈るものであった。

 

(2)昭和49年(1974) 

昭和49年は干支で言うと甲寅(きのえとら)に当たる。その前年、中東戦争によるオイルショックがあって物価が高騰し、昭和49年にはマイナス成長となって、長く続いた高度経済成長も終焉を迎えることになった。

昭和49年(1974)のお年玉切手は10円3枚の切手シートである。なお、郵便料金は昭和47年に、はがき10円封書20円に値上げされていた。図柄は重要文化財の千葉寺(せんようじ)の銅梅竹透釣燈籠で、千葉寺址地から出土したものである。銘文から、室町時代の天文19年(1550)の鋳造で、現在は東京国立博物館の所蔵になっている。

 

(3)昭和61年(1986)

昭和61年は干支で言うと丙寅(ひのえとら)に当たる。また、九星気学では五黄(ごおう)の寅年に当たり、非常に強い運勢を持つ年とされる。昭和61年は、投機による株価や地価の上昇によって生じた、実態とはかけ離れたバブル景気が始まった年である。 

昭和61年のお年玉切手は、40円切手2枚のシートである。郵便料金はすでに、はがき40円封書60円になっていた。お年玉切手の図柄は大阪の郷土玩具で、五葉の笹に張子の虎が付けられた神農の虎である。神農は古代中国の伝説上の帝王で農業と医薬の道を開いたとされ、大阪の少彦名神社には薬祖神として合祀されている。文政5年にコレラが大流行した時、丸薬とともに張子の虎を授与したのが神農の虎の始まりとされている。

 

(4)平成10年(1998)

昭和64年(1989)は1月7日で終り、1月8日からは平成元年となった。その翌年、株価は暴落に転じ、平成3年(1991)にバブル景気は崩壊した。その後の経済は停滞し、平成10年(1998)もマイナス成長で、失業率は過去最悪の状態だった。

平成10年は干支で言うと戊寅(つちのえとら)に当たる。郵便料金は既に、はがき50円封書80円になっており、この年のお年玉切手は50円の三春張子虎と80円の博多張子虎のシートであった。三春張子の虎は郡山のデコ屋敷で作られている腰高虎で江戸時代からの手法が受け継がれているという。博多張子の虎は、初節句の祝いとして成長を祈願する首振りの虎になっている。

 

(5)平成22年(2010) 

インターネットは1990年代から使われてきたが2000年代に入るとインターネットが使える第三世代携帯が登場し、2010年頃からはスマホの普及が始まった。

平成22年は干支で言うと庚寅(かのえのとら)に当たる。郵便料金は、はがき50円封書80円で平成10年と変わりが無かった。この年のお年玉切手は80円の加賀魔除虎と50円の静岡張子によるシートだった。加賀魔除虎は節句に贈られるもので魔除けを念じるものだが、愛嬌のある姿で首を振る郷土玩具である。静岡県には郷土玩具の張子虎が静岡、清水、浜松で作られているが、この年選ばれたのは顔が可愛らしい静岡の張子虎である。 

 

(6)令和4年(2022)

グローバル化にはプラスの面とマイナスの面があるが、コロナ禍は後者かも知れない。コロナ禍がいつ頃終わるのか判然としないが、良い方向に向かうことを願っている。

令和4年は干支で言うと壬寅(みずのえとら)に当たる。郵便料金は、はがき63円封書84円になっていた。この年のお年玉切手は、手紙を携えた2匹の虎のオリジナルデザインでシール式になっている。お年玉切手シートの製造は、平成29年になって国立印刷局からエンスヘーデ社に変わり、さらに令和2年からカルトール社となり、令和4年には凸版印刷になっている。

 

コメント