夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

参詣道を歩く(1)「妙法寺」

2012-01-22 11:10:15 | 寺社巡拝

 交通手段が今のように発達していなかった昔は、多少遠方の神社仏閣であっても、歩いて参詣に出かけるのが普通で、特に人気の高い神社仏閣には、大勢の参詣者が通った道筋、参詣道が生まれるようになった。都内にも、このような参詣道が幾つか残っているが、今回は、そのうちから、妙法寺、新井薬師、長命寺の参詣道を取り上げ、参詣道をつないで三か所の寺院をめぐるコースを考えてみた。なお、コースは3回に分けて歩いてもよいが、通しても歩けるようなコース設定になっている。

 コース:中野駅―妙法寺―新中野駅―新井薬師―中村橋駅―長命寺―下井草駅

 杉並区の妙法寺は、厄除けの御利益があるとして、江戸時代から人気の高かった寺である。この寺への参詣道としては、青梅街道の鍋屋横丁から入る道が代表的だが、明治になって鉄道が敷設され中野駅が開業すると、中野駅から参詣する道が必要とされるようになる。この求めに応じて明治29年に作られたのが堀之内新道で、馬糧商が私財を投じて開設した道である。今回は、この参詣道を通って妙法寺に向かう。

 中野駅を出て中野通りを渡り、線路に沿って西に歩き、二番目の角を左に曲がる。突き当って右に折れ、すぐ左斜め方向に入る道を歩く。囲桃園公園を過ぎて先に進むと、折れ曲がりの下り坂となる。その先、暗渠化された桃園川の上の緑道を稲荷橋で渡った先に田中稲荷神社がある。境内に稲荷と堀之内新道についての説明板が置かれている。

 稲荷を過ぎ大久保通りを越えると、ニコニコロードという商店街になり、上っていくと青梅街道に出る。道路を渡って右に行くと、蚕糸の森公園の入口に出る。青梅街道に面して、妙法寺参道入口を示す燈籠があるが、明治43年に建てられたものという。

 蚕糸の森公園の西側に沿って南に行く道は、当時の参詣道である。この道を進んでいくと、当時は存在しなかった環七に出る。妙法寺東の交差点を渡ると、やくよけ祖師の宝塔が待ち構えている。その斜め後ろに遠慮がちに立っている大きな道標は、もともと鍋屋横丁の角にあった道標らしい。

 門前町を先に進むと妙法寺の前に出る。妙法寺は日蓮宗の寺で、祖師というのは日蓮上人のことだが、祖師堂に祭られている日蓮上人の像が厄除けの御利益があるとして、堀之内の御祖師様(おそっさま)と称され、江戸時代から多くの参詣客を集めていた。妙法寺には、都指定の有形文化財である仁王門と祖師堂のほか、重要文化財に指定されているコンドル設計の鉄門があり、何れも通年公開の文化財になっている。

 妙法寺から戻って、妙法寺東の交差点を渡る。直進する道は、鍋屋横丁から入る江戸時代からの参詣道で、昔の道らしく上り下りがあって少し曲がりくねった道である。和田商店街を進み和田帝釈天の祠を過ぎると、道は下り坂となる。真盛寺の池から流れ出していた水路の跡を過ぎると、道は上り坂となり、常仙寺という寺の前に出る。この寺は、もとは麹町にあり、江戸名所図会にも寅薬師として紹介されている寺である。

 道は下りとなり、また上がって中野通りを越える。その次の信号を左に曲がると、鍋屋横丁の交差点に出る。この角にあった大きな道標は無用の長物と化した為か移されてしまったが、交差点の南東角に置かれた由来碑の方は健在で、今も鍋屋横丁の昔を伝えている。交差点から西に少し行くと、丸ノ内線の新中野駅に出る。

 「堀之内」という落語で、粗忽者の亭主は、教えられた通りに青梅街道を真っすぐ行き、鍋屋横丁から曲がって妙法寺に向かっている。この道は、堀之内道または妙法寺道と呼ばれ、江戸から明治にかけては、水茶屋や料理茶屋が軒を並べ、大勢の参詣客で賑わっていた道である。しかし、中野駅が開業して、堀之内新道が作られると、共存共栄とはいかず、この道を利用する人は減少してしまったらしい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 虎ノ門・愛宕・新橋の神社めぐり | トップ | 参詣道を歩く(2)「新井薬師」 »

寺社巡拝」カテゴリの最新記事