夢七雑録

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桜台から城北中央公園へ

2020-11-24 19:54:00 | 緑と水辺の散歩道

玉川上水から分かれて東に流れ巣鴨の元舛から江戸の各所に配水していた千川上水は、途中の各地で分水され、農業用水などとして利用されてきた。桜台駅から近い下練馬村分水もその一つで、その跡を辿って石神井川を渡り、城北中央公園まで歩いてみた。

桜台駅の南口を出て、すぐ先の千川通りに行く。以前は千川上水が西から東に流れていたところで、今に残る桜並木の道を東に向かうと、環七が西武池袋線を越える桜台陸橋が見えてくる。大正8年修正の下練馬村全図を現在の地図と対応させてみると、下練馬村分水の起点は千川通りが桜台陸橋を潜る辺りに位置すると考えられる。これが正しいとして、その先の流路をたどってみることにした。なお、寛政4年の下練馬村絵図にも下練馬村分水の流路が書かれているが、その流路は大正時代に至るまで、大きくは変わっていないように思われる。

下練馬村分水は桜台陸橋の西側を流れ、線路の下を潜って北側に出ていたようである。桜台陸橋沿いの歩道橋で西武池袋線の上を越え、環七沿いに進む道と分かれて左側の道をたどる。道は右に曲がって環七に近づくが、ここでも左に行く道をたどり、突き当りを右に行って正久保通りに出る。下練馬村分水はここから左に行きすぐ先で正久保通りを渡っていたらしい。ここで、下練馬村分水の流路と離れて右に行き、練馬区栄町の交差点で正久保通りを渡る。今回は寄り道として、環七を少し進んで新桜台駅の入口から斜め左に入り、新桜台もくせい緑地を見に行く。

練馬区栄町の交差点まで戻り、正久保通りを右に進む。この通りは、江古田二又で分かれ、栄町本通りを経て、環七を過ぎてから正久保通りとなり、石神井川を渡って川越街道に至る江戸時代からの道である。交差点から少し先、右に入る細い道がある。緑色のガードレールがある道で、この道が下練馬村分水の流路跡と思われる。この辺りは石神井川の小さな支流の源流域にあたるらしく、その支流に千川上水から分水した水を加えて農業用水としたらしい。 

石神井川支流の浅い谷でもあり、下練馬村分水の跡とも思われる道を進む。緑色のガードレールが標識代わりになっていて、迷うことはない。羽沢ふじ公園を過ぎ、羽沢三丁目区民農園に出て右に行く。この先、下練馬村分水は石神井川沿いの田に用水を供給し、幾つかに分かれて石神井川に流れ込んでいたらしいが、今は様子が変わってしまっている。開進第4小に沿って進むと右側に、こどもの森がある。豊かなみどりと子どもの遊び環境が共存する練馬区立の公園で、運営管理は区から委託された団体が行っているらしい。

こどもの森のすぐ先に羽沢けやき憩いの森がある。けやき、しらかし、ひのきが多い屋敷林で、西側、北側、東側が土地所有者の厚意により開放されている。

羽沢けやき憩いの森と道路を挟んで東側にも、土地所有者の厚意で解放されている羽根木憩いの森がある。この屋敷林の南側を進むと五差路に出る。

五差路の先、前方左側の道に入って開進4中を左に見て進み、突き当りを右に行くと茂呂山公園の下に出る。ここを左に茂呂山通りを進み、小茂根稲荷を右に見て坂を上がる。右側に茂呂山遺跡の林を見ながら進めば石神井川に出る。

石神井川を栗原橋で渡ると、茂呂山通りの両側が都立城北中央公園になっている。公園内に入って園内を散策し、竪穴住居跡を見る。帰りは茂呂山通りを北に行き上板橋駅に出てもよく、石神井川に沿って西に行き氷川台駅に出てもいいが、今回は小竹向原に向かう。

 

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石神井公園と周辺の緑地をめぐる

2020-11-14 17:22:42 | 緑と水辺の散歩道

石神井公園駅を南に出て東に行き、都市計画道路により南に行く。和田堀稲荷神社の前の三叉路で左側の道を下って行くと左側に和田堀公園がある。先に進んで南田中団地西交差点で右に行き和田堀緑道に入る。三宝寺池に発し石神井川に合流する川の跡を緑道にしたもので、庭園風に造られているが、現在は水が流れていない。

緑道に入って少し先の北側は和田堀緑地になっているが、緑道とは一体になっている。緑地の部分が後から緑道に追加されたのかも知れない。緑道を先に進めば石神井池に出られるが、今回は南田中団地西の交差点に戻る。

交差点を南に行き石神井川を山下橋で渡る。渡った先の南側には、土地所有者の厚意により開放されている緑地、和田前憩いの森がある。ここからは石神井川に沿って上流へと向かう。

豊島橋を渡って交差点を渡り石神井公園通りを右に行き記念庭園に入る。大正時代に開設された第二豊田園の跡で、現在は都立石神井公園の一部になっている。

記念庭園を出て石神井池に行く。三宝寺池から流れる水を堰き止めてボート池にしたということだが、当時は三宝寺池の湧水量がそれだけ多かったのだろう。ここから、石神井池沿いに歩いてもいいのだが、今回は、くつろぎ広場を経て上を歩いて西に向かう。

先に行くと道の右側に草地広場が広がっている。左側には野球場とテニスコートがあり、運が良ければ野球場の東側から富士山が見えるのだが、今日は見えそうにない。

草地広場から池淵史跡公園に行き、旧内田家住宅を眺めながら園内を歩く。旧内田家住宅は東京文化財ウイークの参加企画事業である文化財古民家めぐりの対象の一つで、当ブログでも取り上げたことがある。ここから、石神井池に下り、井草通りを渡って三宝寺池に行く。

三宝寺池の北側は水辺観察園になっている。ここは釣り堀があったところで、さらに遡れば100mプールがあった場所という。木道の途中で左に行き、三宝寺池を渡る橋の上から西側を眺める。右側に見える林の辺りは、中の島、又は浮島と呼ばれていた場所で、その植物群落が天然記念物に指定されている。指定当時は水生植物が繁茂していたというが、湧水の減少により植物相が変化してしまったため、今は復元作業が進められているようだ。

橋を渡って上がった先の左側は石神井城址で、文化財ウイークには内部が公開され、説明資料が置かれていた。

三宝寺池を半周してから池を上がり、野鳥誘致林に行く。紅葉が見ごろになるのは、もう少し先だろうか。今日は鳥の声も聞こえない。

練馬区立の石神井公園松の風文化園に行く。気象観測用の練馬観測所のそばを通り、練馬区立のふるさと文化館分室はパスして、北東側の出入り口から外に出る。富士街道を渡り郵便局の西側の道を北へと向かうと右側に、けんか広場という変わった名称の広場があった。北側が練馬区立けんか広場公園で、南側が空き地を所有者から借用して民間の遊び場としたけんか広場になっているが、境界が無いので一体の広場になっている。

けんか広場から北に向かい、突き当りを左に次の角を右に行くと大泉高校のグランドに出る。ここを左に行くと松が高くそびえる千坪憩いの森に出る。ここは、練馬区が土地所有者から借用して開放している場所である。

千坪憩いの森の北側の道を西に行くと、東大泉つばき緑地に出る。ここを北に行き、東京学芸大学の敷地に沿って左に曲がり、その先を道なりに右へ向かう。北に進むと、あかしあ東緑地という小公園のような緑地が左側にある。ここを過ぎて踏切の手前を左に行けば大泉学園駅に出る。

 

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大泉学園駅南側の緑地散歩

2020-11-03 11:13:59 | 緑と水辺の散歩道

緑地散歩に先だって、大泉学園駅の南口から5分ほど歩き、牧野記念庭園記念館に行く。日本植物分類学の父と言われた牧野富太郎博士の旧宅で、国登録記念物(遺跡・名勝地)に登録され、都指定文化財(名勝及び史跡)とし通年公開される文化財になっている。

牧野記念庭園を出て右に行き、庭園に沿って次の角を右に行く。次の角を左に行き、三角公園を左に見て進むと、交差点の北側に道路に沿った緑道のような東大泉六丁目緑地が見えてくる。西に向かって進み、東大泉木もれ陽公園の先を左折し南に向かう。大泉南小の東側を進み、その先の角を左に行くと梨の花公園がある。

梨の花公園から少し先にある角を右に行き、東大泉南児童遊園の左側を進み、突き当りを右に行くと少し広い道に出る。ここを右に行くと左側に井頭緑地がある。道路沿いに続いていた樹林の一部が緑地として残ったのだろう。

先に進み井頭の交差点を左に入って先に進むと、井頭こぶし憩いの森がある。憩いの森とは、練馬区内に残る樹林地を所有者の協力を得て開放するものを言い、面積が少ない場合は街かどの森と言う。所有権が練馬区に移ると公園または緑地と呼ばれるようになる。

井頭こぶし憩いの森の南側は、こぶし広場と呼ばれ、まだ使われていない公有地を子どもの遊び場として一時開放した広場になっている。この広場ではボールを使用することは禁止されている。広場の南側の道を通って西側に向かう。

みどり広場は、その名の通り周囲を木々に囲まれた広場になっている。ここは、民間の土地所有者から区が無償で土地を借用し、子どもの遊び場として一時開放したものになる。

みどり広場に隣接する井頭の森緑地は樹林地で、区の所有地になっている。井頭の森緑地の北側に隣接する井頭憩いの森は所有者の協力を得て開放されている樹林地になっている。扱いの上では区分されているが、みどりの広場、井頭の森緑地、井頭憩いの森は一体のもののように見える。

井頭憩いの森を出て西に向かい、小公園のような井頭泉緑地を右に見て先に進み、白子川の上流起点にあたる七福橋を渡る。渡った先の白子川の左岸は大泉井頭公園になっていて、下を覗くと池のようになっている。新編武蔵風土記稿に白子川の源流は井頭池とあり、明治の地図には細長い池が描かれている。これが七福橋から北側の部分に相当するのだろう。なお、井頭池には新川という川が流れ込んでいたという。

大泉井頭公園内を進み、井頭橋を渡って南方を眺めると、農地の向こうに井頭憩いの森が見える。戦後すぐの写真を見ると、この辺り一帯は畑地の中に雑木林が点在する農村風景が広がっていたようだが、今は雑木林も保存を考えないと消滅する時代になっている。

白子川に沿って下流に向かって歩く。井頭橋の次は火之橋、そして松殿橋、その次は緑橋で、向こうに西武池袋線の線路が見えてくる。この橋で白子川から離れて右へ坂を上がると、東大泉あけぼの緑地の前に出る。雑木林の北側の一部が緑地として残されたようである。

緑地の手前の道を北に行き、右、左と曲がり次を右に行き細い道を抜け、突き当りを左に行くと石庭の森緑地の入口に出る。以前は西武池袋線の近くまで続く屋敷林だったようだが、後に一部が石庭街かどの森として公開され、さらに区の所有となり石庭の森緑地となる。

石庭の森緑地は、屋敷地内にあった既存の自然石のほか、郵便ポストの敷石など廃棄処分となる石材を利用して石庭としている。庭園内には敷地内の大谷石の塀の破片や石を金網の中に詰め込んだ蛇籠が昆虫などの棲家として置かれている。石庭の森緑地からはスーパーの横に出て商店街を北東方向に進み、ゆめりあフェンテを抜ければ大泉学園駅南口に出る。

 

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