(97)水稲荷 (新宿区西早稲田3)★★
王子から都電に乗って水稲荷に行く。途中、吊革につかまって窓の外を見ながら考えた。陰陽五行説の相剋の理によると、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つという。金が全ての時代も、火器によって抑えられるという事にはなるが、それも困りものだ。ならば水に働いて貰わねばならない。だが、水とは何だろう。分らぬままに都電は先を急いで面影橋に到着。あわてて下車する。
水稲荷の参道入口は面影橋からすぐの所にある。入口から入ると、例の町内会の連中が稲荷の参道を登って行くのが見えた。何でこんな所へと思ったが、そんな事は余計なお世話というものだろう。こちらは、折角なので先に甘泉園に寄って行く事にした。甘泉園は徳川御三卿清水家の下屋敷の一部で、回遊式の庭園になっている。それほど広くはないが手入れの行き届いた園内を散歩。その後、いったん外に出て参道を上がり、横から境内に入ると、稲荷としては立派な社殿が現れた。水稲荷の名は、境内の榎の洞から清水が湧出して、その水で眼疾が治ったことに由来するという。この稲荷、富塚という古墳のあった場所から移ってきたらしいが、移転先が甘泉園という湧水で知られた場所だったわけで、水とは余程の縁があるのだろう。それにしても、この先のことを祈願するには、水稲荷が最適なのかも知れない。まずは、大量の水が大地を侵すことにならぬよう祈願。参拝を終えてから、稲荷の南側にある流鏑馬が行われる場所に行く。すると、あの町内会の連中がたむろしているのが見えた。あの連中、流鏑馬の下見の積もりだったんだな、そうか、と思って、立ち去りかけた途端に、声をかけられた。
『おぅい、行って呉れるんだろうな』『えっ?』
それっきり、向こうは当方を無視して何処かに行ってしまった。どうやら、こちらに声を掛けたわけでは無かったらしい。
(95)王子稲荷 (北区岸町1)★★★
京浜東北線の線路の下を潜って向こう側に出たところで、町内会の役員と思しき連中が、前を歩いているのに気が付いた。祭の下相談にでも行くのだろうか。そのうち、彼らは王子稲荷の横の坂を上がり始めた。王子稲荷の公式な参詣ルートは正面の石段の筈なのだが、今日は閉鎖されてでもいるのだろう。後を追って坂を上がり、上の入り口から中に入ると、彼らはすでに姿を消していた。ところで、この稲荷は関東稲荷総社の格式を持つと称し、江戸稲荷番付では勧進元をつとめる江戸一番の稲荷であった。今でも火防の凧を出す初午の日には、大変な賑わいとなる。落語の中で人間に騙された狐が棲んでいたのも、この稲荷である。せっかくなので、その狐の穴を覗きに行ってから外に出た。すると、何と先程の連中が、付いて来いと言わんばかりに、こちらの前を歩いて居るのに気が付いた。だが、その前に装束稲荷に立ち寄りたかったので、付いて行くのは止めにした。
(96)装束稲荷 (北区王子2)★
装束稲荷の名は、関東の狐が王子稲荷に集る際に、この辺りで装束を整えたと言うことからきている。そういえば、先程すれ違った、町内会の役員らしき連中も、この辺りで装束替えをしていったのかも知れない。参拝を終えて外に出ると、猫の集団が、付いて来いと言わんばかりに、こちらの前を歩いている。黙って、あとを付いていくと、角を曲がったところで、すっと姿を消してしまった。こちらの勝手な思い込みというわけだろう。
【33】
(92)花園稲荷 (台東区上野公園)★
上野公園に行き、五條天神と敷地を共有する花園稲荷神社に詣でる。この稲荷、正式名称を忍岡稲荷といい、古い稲荷であるらしい。稲荷社の裏手に回ると、妖気漂う穴稲荷があった。寛永寺造営に際し、この地に生息する狐を追い出し、その代わり洞を造って稲荷社を建てたものという。今更狐に謝っても仕方がないが、一応は頭を下げておいて、神社の裏口から外に出た。その途端、サラリーマン風の黒背広の男に声を掛けられた。
『時の鐘が鳴ってますね。急がないと』『あぁ、今鳴っているのが、そうなんですか』
しかし男は何も答えずに足早に行ってしまった。何だあいつ、と思ったが、独り言だったのかもしれない。
(93)太郎稲荷 (台東区入谷2)★
上野から歩いて入谷に行く。落語に登場する浅草田圃の稲荷に行こうとしたのだが、見つかりそうで見つからない。あちこち歩き回りながら、ふと考えた。陰陽五行説によると、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むという。この間、品川神社で会った老人が話していたのは、狩猟中心の火の時代が稲作中心の土の時代になり、今は経済中心の金の時代になっているということか。とすると、水の時代とは何なのだ。分らぬまま思考を停止した途端、建物の間に挟まれた太郎稲荷に行き当たった。
太郎稲荷は、立花左近将監下屋敷内にあった稲荷で、一時は大いに流行るが、しばらくすると廃れる流行神の典型として知られた稲荷である。現在は流行っているとは思えないが、手入れもされて、きちんと祭られているように見える。中に入ろうとして、猫の集団が待ち構えているのに気がついた。まるで、この稲荷は開店休業中ゆえ、中に入るなと言っているみたいにである。それもそうだと思い、軽く頭を下げただけで通り過ぎる。
(94)吉原神社(台東区千束3)★
太郎稲荷に行ったついでに吉原神社にまで足を伸ばす。吉原神社は新吉原遊郭に祭られていた、九郎助稲荷、明石稲荷、開運稲荷、榎本稲荷の四社と、地主神である玄徳稲荷、それに吉原弁才天を合祀した神社である。稲荷を五社も祭ったので五倍の能力になったのか、それとも相互に牽制して無能力になったのかは分からないが、一見したところ普通の神社のように見える。それ故、普通の神社として頭を下げ、それで終わり。
(89)花園神社(新宿区新宿5)★★
花園の名は、尾張藩下屋敷の花園があった場所を敷地にしたことに由来するという。江戸時代は三光院稲荷、四谷追分稲荷などとも称したが、大正時代に花園稲荷神社となり、後に大鳥神社を合祀して現社名となる。新宿の総鎮守であり、地の利もあるので、例大祭や酉の市はかなり賑わうらしい。この日は何も無い日で、普通の神社として本殿を参拝、ついでに境内の威徳稲荷にも一礼して帰りかけた。その途端、年配の見知らぬ人から呼び止められた。何でも、藁しべ長者を趣味としているらしく、何か交換できるものがないかと言う。妙なことを言うなとは思ったが、土製の団子とダーツのミニチュアを渡すと、代わりにもち米の団子と小さな矢を呉れた。損をしたような気もしたが、相手が藁しべ長者なら、こちらが得をするわけはないのだろう。
(90)稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)★
元からあった稲荷社に熊野から勧請した鬼王権現を合祀した神社という。鬼王権現そのものは熊野にも現存していないため、鬼王が何なのか分からない。一説に平将門の幼名から鬼王の名がついたともいう。鬼は敵に回すと恐ろしい存在だが、味方につければまことに頼りになる存在だ。稲荷も強い味方が欲しいのだろうか。よく分からないなりに、鬼は内と唱えながら頭を垂れる。豆腐を供えると湿疹、腫物が治るという言い伝えがあるが、そちらの方は今回はパス。その代わりに、新宿七福神の一つ、恵比寿神の方を参拝。ついでに、こちらを睨んでいる三毛猫にも会釈して立ち去る。
(91)皆中稲荷 (新宿区百人町1)★
新大久保駅と大久保駅をつなぐ道の途中にある稲荷。この付近に鉄砲百人組の組屋敷があり、その隊士の一人が稲荷の霊夢を見て百発百中の腕前になったことから、隊士達が崇敬するようになった稲荷という。ところで、稲荷の始まりは、餅を的として射ったところ白い鳥になって飛び、その止まった所に稲がなったという故事からきているらしい。とすれば、射撃と稲荷とは関係が無いわけではない。今では賭け事や籤に御利益があるとされ、参詣者が早朝から訪れている。他力本願のギャンブルに御利益があるかどうかは不明だが、ダーツの試合に勝つには効能がありそうなので、ひとまず拝礼しておく。
(87)烏森神社 (港区新橋2)★★
江戸稲荷番付では関脇をつとめる稲荷である。烏の多い森にあったので烏森稲荷というわけだが、今は森の代わりに飲食店がまわりを取り囲んでいる。ただ、烏の方はビル街を森林とみなして、江戸時代と変わらず横行しているようだ。ともかく賽銭をあげ、ざっと拝んでから小路を抜ける。それから、喉も乾いたのでお茶でも飲もうかと、あまりぱっとしない店に入った。すると、いきなり、日本酒か洋酒かと聞いてきた。酒類はノーサンキュウーなので、お冷を頼んで一気に飲干すと、そこそこの金を払って店を出ようとした。が、そうはいかなかった。結局、飲みもしないビールを頼み、ママさんの話を聞く羽目になった。ここのママさんも、昔は美人の範疇に入っていたのだろう。ただ、どこか冷たいところがある。ひょっとして、美しき女神であるダキニ天に似ているのかも知れない。しばらくして、話が途切れたのを幸い、店を出ることにした。帰りがけに、開店記念品の残りとかいうダーツのミニチュアを貰った。
(88)日比谷神社(港区新橋4)★
日比谷神社とあるが稲荷社であり、もとは日比谷公園の辺りにあったらしい。また、歯痛の時に鯖断ちをして祈願すると良いとされ、これに因んで鯖稲荷とも言う。その鯖が目当てなのか、三毛猫が一匹、こちらの様子をうかがっている。そのうち、鯖を持っていないことに気付いたのだろう。すっとどこかに行ってしまった。ところで、稲荷の周辺では新橋虎ノ門地区再開発事業が進行中。祭礼の時には神輿も出るという由緒ある稲荷であっても、この地に居座ることは難しいらしい。都市部の稲荷にとって移転は宿命のようなものだが、それでも、今は居た堪れない雰囲気なので、ちょっと拝んで、そっと立ち去る。
(注)現在は港区東新橋2に遷座している。
(85)十番稲荷 (港区麻布十番1)★
六本木から坂を下って少々歩くと稲荷があった。麻布坂下の末広稲荷と麻布永坂の竹長稲荷を合祀して昭和25年につくられた稲荷社という。この稲荷、商売上手と見えて、近くのがま池の蛙が延焼を防いだという伝承を借用して、防火のお守りを出したり、宝船を授与すると言う理由で、港区の七福神に割り込んだりしている。よくは分らぬが、この稲荷を参拝すると何かいい事があるのだろう。宝船も何かの役に立つのかも知れない。
(86)広尾神社(港区南麻布4)★
将軍家の別邸、麻布富士見御殿の鎮守で、もとは二代将軍秀忠が勧請した稲荷という。賽銭もあげずに、高橋由一の竜を覗きこみ、それから少し離れて、稲荷社の写真を撮ろうとカメラを構えていたら、いつ来たのか女性が一人、カメラと社殿の間に割り込んできた。どうやら、撮影お断りというメッセージらしい。仕方なく写真は諦め、そうっと退散。
(83)太田姫稲荷 (千代田区神田駿河台1)★
お茶の水駅から本屋の横の道を下って行くと、江戸城主の太田資長が娘の病気平癒のため建てたと言う太田姫稲荷があった。別の説によると、太田姫と太田氏とは関係がないのだそうだが本当の事は分らない。ともかく、社殿に一礼し立ち去ることにした。その時、若い男がこちらを見ているのに気付いた。ジーンズに赤いセータ、黄色のディーバックを背負って白のトレッキングシューズを履き、黒い帽子を被っている。気にはなったが、こちらから話し掛ける謂われはない。さりとて向こうから話し掛けられても困るなと思い、そ知らぬ顔で境内を出た。
(84)五十稲荷 (千代田区神田小川町3)
スポーツ店の並ぶ靖国通りからちょっと入った裏通りに、ひっそりと稲荷社があった。もとは屋敷内の稲荷で、五日と十日の市が立つ日にのみ参詣を許されたと言う。今は毎日が市のようだが、参詣者は見かけない。写真を1枚撮って速やかに立ち去る。
(81)笠森稲荷 (台東区谷中7)★
「向こう横町のお稲荷さんへ、一銭あげて、ざっとおがんで、お仙の茶屋へ、腰をかけたら渋茶を出して、渋茶よこよこ横目で見たらば、お土の団子か、お米の団子か、おだんご、だぁーんご、まずまず一貫貸しまぁした。」
千代紙の店を横目に三崎坂を上がり、秋にはお仙の菊人形が飾られたりする大円寺に寄ってみる。笠森稲荷は昔ここにあったと言うが、今はお仙の碑が立っているだけだ。この稲荷の本尊のダキニ天は養寿院に移されているらしいが、今回は省略して、三崎坂を登り左へ折れて功徳林寺に向う。お仙の茶屋は、この境内にあったらしく、それに因んで稲荷が祭られている。ざっとおがんで寺を出ると、日暮里駅方面へと歩きだす。喉も乾いたのでお茶でも飲もうかと、あまりぱっとしない店に入った。すると、いきなり、日本酒か洋酒かと聞いてきた。酒類はノーサンキュウーなので、お冷を頼んで一気に飲干すと、そこそこの金を払って店を出ようとした。が、そうはいかなかった。結局、飲みもしないビールを頼み、ママさんの話を聞く羽目になった。ここのママさんも、昔は美人の範疇に入っていたのだろう。ただ、どこか冷たいところがある。ひょっとして、美しき女神であるダキニ天に似ているのかも知れない。しばらくして、話が途切れたのを幸い、店を出ることにした。帰りがけに、開店記念品の残りとかいう土製の団子を貰った。
(82)乙女稲荷 (文京区根津1)★
つつじ祭の頃は、根津権現の周辺には屋台がでて見物客で大混雑する。乙女稲荷は、この根津権現のつつじの群落中に在り、一見華やかながら、稲荷本体は案外開店休業中で賽銭は受けてもご利益無しかも知れない。それに、つつじ見物も最近は有料である。乙女稲荷を参拝するのなら、つつじの季節は避けた方が賢明だろう。というわけで、参詣客の少ない季節を選んで出かけることにした。この日は、あたりに人影無し。静かに参拝できて良かったと思いつつ、ひょっとして、今日は稲荷も休業じゃあないかと心配になった。
(79)品川神社の阿那稲荷 (品川区北品川3)★
品川神社は源頼朝が安房の州崎明神を勧請したことに始まるという。のち、三代将軍家光の時に東海寺の鎮守となり稲荷社と改称したが、明治になって、もとの品川神社に戻っている。つまり、今は稲荷とは言えないわけだが、一時期は稲荷であったわけだし、今でも境内に稲荷社があるので、行ってみることにした。品川神社は初めてではなく、祭礼の日に神輿が石段を下る様子を撮りにいったことがあるが、その時は稲荷の方はパスしていた記憶がある。まずは品川神社を神社として参拝。そのあと、社殿の右手にある稲荷に詣でる。稲荷社は二社からなり、上の社は天の恵みの霊、下の社は地の恵みの霊を祀るという。片方だけ代表して拝礼というわけにいかないので、両方とも同じように参拝することにした。
ひととおり参拝を終えてから、富士山の築山に登ってみた。築山の上には何人かが居たが、その中に孫らしい女の子を連れた老人が居た。どういう訳か、その老人に声をかけてみた。すると、話はたちまち稲荷のことになった。その老人の話では、ここの稲荷は天恵と地恵を祀ると称しているが、本当は、上の社は山の神、赤い狐を祀り、下の社は稲の神、黄色の狐を祀るのだという。眉唾ものと思ったが、黙って聞いていると、話はさらに進展し始めた。老人の話は、こうである。「山の神に言わせれば、昔は人も獣も森も調和していたのに、稲作のおかげで、いびつな世の中が始まったという事になるのだろうが、全ては時の流れというものだ。現に黄色の狐の時代は終わり、今は金儲けの時代だが、それも、もうじき行き詰まりだろう。そろそろ黒狐の出番ではないか。つまり、ここの稲荷はもう役に立たないという事だ」・・世の中には妙な考えの人もいるので、あまり付き合わない方がいい。話が一瞬途切れたところで、するりとその場を逃げ出した。
(80)高山神社 (港区高輪4)★
品川駅のすぐ近くにあり、神社を名乗る。狛犬が置かれ、キリシタン灯篭まであるが、もともとは稲荷である。以前は眺望の良い山の上にあったので、この名が付いたらしいが、今は道路際に鎮座して、車と人間を睨んでいる。