東京都の歴史と文化の散歩道のうち「目黒田園調布コース」は、「目黒不動坂みち散歩(目黒駅~武蔵小山駅)」、「碑文谷そぞろ散歩(武蔵小山~自由が丘駅)」、「田園調布並木散歩(自由が丘駅~沼部駅)」の3区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は12.1kmになる。
(1)目黒不動坂みち散歩
目黒駅からスタート。左に行人坂を見送って権之助坂を下り、次の角を左に入って行人坂に合流する。急坂の途中、大円寺に立ち寄り、石仏群にそっと頭をさげてから、再び坂を下り雅叙園を過ぎて目黒川に出る。広重が描いた石橋の名を継承する太鼓橋の手前を右に、目黒川沿いの遊歩道を歩いて、新橋で目黒川を渡る。
大鳥前商店街を抜け山手通りを渡る。左側は大鳥神社で、酉の市の頃は混雑するであろう神社も今は閑散としている。大鳥神社を過ぎ、今は存在しない社の名に由来する金毘羅坂を上がり、寄生虫館の横を左に入ると、その先は閑静な参詣道となる。坂を上がると不動公園があり、その先、目黒不動の裏側を横目に先へ進む。
折れ曲がりの三折坂を車に注意しながら下って、標識Bに従い目黒不動の境内に入る。男坂を上がって本堂へ行き、そのあと、女坂を下って、仁王門の横をすり抜ける。境内に向かって下ってくるバスを避けながら坂を上がり、目黒不動商店街の四つ角を右に行く。この道も参詣道の一つで、左に曲がっていくと石古坂になる。坂の途中に林業試験場跡地に開園した林試の森公園があり、折角なので、少し時間をさいて園内を散策する。
入口の前に置かれている案内板を確認し、坂の続きを上がり終えると、ほぼ平坦な道となる。かむろ坂通りを渡り、東急目黒線が地上を通っていた時の線路跡を公園とした不動前緑道公園を横切ると、程なく後地の交差点に出る。この交差点、昔は地蔵の辻とか煤団子の辻とか呼ばれ、石古坂を下って目黒不動に出る道と、碑文谷の円融寺に出る碑文谷道の分岐点になっていたという。ここは、西から流れてくる品川用水が二つに分かれる地点でもあったが、用水は既に埋め立てられて今は跡形もない。交差点の西北の角にある標識Bをチラ見して、交差点を右に折れ、碑文谷道を進むと、東急目黒線の踏切跡に出る。ここには標識Aが置かれている。
(注)当ブログのカテゴリー「江戸近郊の小さな旅(明王院に楓を訪う)」「寺社巡拝(山手七福神)」「東京の文化財」「江戸名所」に、大円寺や目黒不動に関する記事がある。
(2)碑文谷そぞろ歩き
今は駐輪場になっている、東急目黒線の線路跡を過ぎ、先に進むと分かれ道に出る。右側の道は品川用水沿いの道、左側の道は碑文谷道で、このコースでは左側の碑文谷道をたどる事になるが、かむろ坂通りが延長されたため、道が分断されてしまっている。そこで、かむろ坂通りを右側の道で渡ってから、左に行き碑文谷道の続きの道をたどる。その先、目黒本町五の信号を渡って平和通りを進み、次の信号を過ぎて先に進むのが円融寺に向かう碑文谷道だが、本コースでは、この信号で左に折れ、少し先で坂を下り、突き当りを右に行って、立会川緑道に出る。立会川の水源は碑文谷池で、円融寺の西側を流れたあと、東に向きを転じて流れていたが、その流路が暗渠化されたあと、その一部が、碑文谷八幡の参道に連なる遊歩道として整備されたのが、この緑道という。緑道内に置かれた案内板を確認し、桜の頃を想像しながら、この緑道を歩いていく。
今回は立ち寄らないが、立会川緑道の途中で右に入ったところに円融寺がある。この寺は旧称を法華寺といい、江戸名所図会には、この寺の仁王像が評判になって参詣者が多く訪れるようになった事が記されている。また、三代将軍家光の事績を描いたという江戸図屏風には、目黒の不動とともに、檜物屋法花寺が描かれているが、この寺は碑文谷の法華寺(円融寺)とされる。円融寺は、家光と何がしかの縁があったのだろうか。
緑道を抜け、参道を歩いて碑文谷八幡に行く。それから、神社の裏手を右に進み、左側にある、すずめのお宿緑地公園に入る。公園に入って竹林を抜けると古民家がある。旧栗山家の主屋を緑が丘から移設したものという。ざっと見てまわったあと、古民家裏手の碑さくら通りに出て左に行き、環七を平町1の信号で渡る。その先、坂を下り、次の四つ角を右に行く。やがて道は下り坂となり、都立大学駅に出る。この辺り、呑川が東から南に向きを変える地点にあたり、少し分かりにくい地形になっている。
駅を通りぬけて目黒通りを渡る。その先、上り坂の手前を左に入る。常円寺、東光寺を過ぎると、やや上りとなり、坂の途中に出る。ここを左に下り八雲小沿いに進み右へ行くと氷川神社の前に出る。ここを標識Bで左に折れ、呑川の暗渠上に作られた緑道に出て右に行く。桜が続く緑道を先に進むと、左側に宮前小の校庭が見えてくる。緑道内に置かれた案内板を確認して、左に折れ、宮前小に沿って太鼓坂を上がり、目黒通りを渡る。ここを右に行き、歩道橋の手前を左に入って南に進む。この道は九品仏浄真寺への参詣道でもあったようだが、今は人通りの多い道ではない。先に進んで谷畑坂を下っていくと信号がある。ここを左に行くと、自由が丘駅周辺の雑踏に飲み込まれてしまうが、このコースでは、駅周辺の喧騒をよそに、左折せずに先へと進む。坂を下りきると九品仏川緑道で、ここを標識Bにより左へ行き、突き当りを右に行くと東急大井町線の踏切がある。
(3)田園調布並木散歩
東急大井町線の踏切を渡り、右側の歩道で南に向かって進む。やがて道は次第に上り坂となって環八との交差点に出る。ここを渡って先に行くと五差路になる。東南の角にある標識Bに従って左前方のイチョウ並木の道を下ると、田園調布駅の駅前ロータリーに出る。田園調布駅は既に地下駅になっているが旧駅舎は地上に復元されている。近くまで行くと、駅東側で何かのイベントが開催されているらしく、ざわめきが聞こえてくる。その一方で、駅の西側は今も一昔前の風景のまま静まりかえっている。
駅前ロータリーの西側に案内板が設置されている。その南側、イチョウ並木の道を上がり、先に進むと宝来公園に出る。武蔵野の風景を残したとされる園内を下り、湧水を入れていた池に出る。小休止のあと、宝来公園を出て左に緩やかな坂を下っていく。
道なりに進んで多摩川駅を過ぎ、東急東横線をくぐって、東急多摩川線沿いに進み、浅間神社の入口を右に見て踏切を左に渡り、すぐ右に折れて中原街道の下をくぐる。その先、六郷用水跡に再現された水路に沿って、快適な道を進めば東光院の横に出る。左側から寺の前に下ってくる坂は桜坂で、旧中原街道は、この坂を下っていた。道を右に折れ、コースの終着点となる沼部駅を左に見送って踏切を渡り、多摩川の堤防に出てみる。江戸時代に脇街道として利用された旧中原街道は、虎ノ門を起点に、大崎、戸越を経て、下目黒経由の道と碑文谷経由の道を合わせて下沼部に至り、多摩川を舟で渡って、小杉を経て平塚方面に向かっていた。さらに、その道筋は、古代の東海道とも重なるところがあるという。目黒田園調布コースを終えるには、この多摩川の土手がふさわしい。そんな気がした。
(1)目黒不動坂みち散歩
目黒駅からスタート。左に行人坂を見送って権之助坂を下り、次の角を左に入って行人坂に合流する。急坂の途中、大円寺に立ち寄り、石仏群にそっと頭をさげてから、再び坂を下り雅叙園を過ぎて目黒川に出る。広重が描いた石橋の名を継承する太鼓橋の手前を右に、目黒川沿いの遊歩道を歩いて、新橋で目黒川を渡る。
大鳥前商店街を抜け山手通りを渡る。左側は大鳥神社で、酉の市の頃は混雑するであろう神社も今は閑散としている。大鳥神社を過ぎ、今は存在しない社の名に由来する金毘羅坂を上がり、寄生虫館の横を左に入ると、その先は閑静な参詣道となる。坂を上がると不動公園があり、その先、目黒不動の裏側を横目に先へ進む。
折れ曲がりの三折坂を車に注意しながら下って、標識Bに従い目黒不動の境内に入る。男坂を上がって本堂へ行き、そのあと、女坂を下って、仁王門の横をすり抜ける。境内に向かって下ってくるバスを避けながら坂を上がり、目黒不動商店街の四つ角を右に行く。この道も参詣道の一つで、左に曲がっていくと石古坂になる。坂の途中に林業試験場跡地に開園した林試の森公園があり、折角なので、少し時間をさいて園内を散策する。
入口の前に置かれている案内板を確認し、坂の続きを上がり終えると、ほぼ平坦な道となる。かむろ坂通りを渡り、東急目黒線が地上を通っていた時の線路跡を公園とした不動前緑道公園を横切ると、程なく後地の交差点に出る。この交差点、昔は地蔵の辻とか煤団子の辻とか呼ばれ、石古坂を下って目黒不動に出る道と、碑文谷の円融寺に出る碑文谷道の分岐点になっていたという。ここは、西から流れてくる品川用水が二つに分かれる地点でもあったが、用水は既に埋め立てられて今は跡形もない。交差点の西北の角にある標識Bをチラ見して、交差点を右に折れ、碑文谷道を進むと、東急目黒線の踏切跡に出る。ここには標識Aが置かれている。
(注)当ブログのカテゴリー「江戸近郊の小さな旅(明王院に楓を訪う)」「寺社巡拝(山手七福神)」「東京の文化財」「江戸名所」に、大円寺や目黒不動に関する記事がある。
(2)碑文谷そぞろ歩き
今は駐輪場になっている、東急目黒線の線路跡を過ぎ、先に進むと分かれ道に出る。右側の道は品川用水沿いの道、左側の道は碑文谷道で、このコースでは左側の碑文谷道をたどる事になるが、かむろ坂通りが延長されたため、道が分断されてしまっている。そこで、かむろ坂通りを右側の道で渡ってから、左に行き碑文谷道の続きの道をたどる。その先、目黒本町五の信号を渡って平和通りを進み、次の信号を過ぎて先に進むのが円融寺に向かう碑文谷道だが、本コースでは、この信号で左に折れ、少し先で坂を下り、突き当りを右に行って、立会川緑道に出る。立会川の水源は碑文谷池で、円融寺の西側を流れたあと、東に向きを転じて流れていたが、その流路が暗渠化されたあと、その一部が、碑文谷八幡の参道に連なる遊歩道として整備されたのが、この緑道という。緑道内に置かれた案内板を確認し、桜の頃を想像しながら、この緑道を歩いていく。
今回は立ち寄らないが、立会川緑道の途中で右に入ったところに円融寺がある。この寺は旧称を法華寺といい、江戸名所図会には、この寺の仁王像が評判になって参詣者が多く訪れるようになった事が記されている。また、三代将軍家光の事績を描いたという江戸図屏風には、目黒の不動とともに、檜物屋法花寺が描かれているが、この寺は碑文谷の法華寺(円融寺)とされる。円融寺は、家光と何がしかの縁があったのだろうか。
緑道を抜け、参道を歩いて碑文谷八幡に行く。それから、神社の裏手を右に進み、左側にある、すずめのお宿緑地公園に入る。公園に入って竹林を抜けると古民家がある。旧栗山家の主屋を緑が丘から移設したものという。ざっと見てまわったあと、古民家裏手の碑さくら通りに出て左に行き、環七を平町1の信号で渡る。その先、坂を下り、次の四つ角を右に行く。やがて道は下り坂となり、都立大学駅に出る。この辺り、呑川が東から南に向きを変える地点にあたり、少し分かりにくい地形になっている。
駅を通りぬけて目黒通りを渡る。その先、上り坂の手前を左に入る。常円寺、東光寺を過ぎると、やや上りとなり、坂の途中に出る。ここを左に下り八雲小沿いに進み右へ行くと氷川神社の前に出る。ここを標識Bで左に折れ、呑川の暗渠上に作られた緑道に出て右に行く。桜が続く緑道を先に進むと、左側に宮前小の校庭が見えてくる。緑道内に置かれた案内板を確認して、左に折れ、宮前小に沿って太鼓坂を上がり、目黒通りを渡る。ここを右に行き、歩道橋の手前を左に入って南に進む。この道は九品仏浄真寺への参詣道でもあったようだが、今は人通りの多い道ではない。先に進んで谷畑坂を下っていくと信号がある。ここを左に行くと、自由が丘駅周辺の雑踏に飲み込まれてしまうが、このコースでは、駅周辺の喧騒をよそに、左折せずに先へと進む。坂を下りきると九品仏川緑道で、ここを標識Bにより左へ行き、突き当りを右に行くと東急大井町線の踏切がある。
(3)田園調布並木散歩
東急大井町線の踏切を渡り、右側の歩道で南に向かって進む。やがて道は次第に上り坂となって環八との交差点に出る。ここを渡って先に行くと五差路になる。東南の角にある標識Bに従って左前方のイチョウ並木の道を下ると、田園調布駅の駅前ロータリーに出る。田園調布駅は既に地下駅になっているが旧駅舎は地上に復元されている。近くまで行くと、駅東側で何かのイベントが開催されているらしく、ざわめきが聞こえてくる。その一方で、駅の西側は今も一昔前の風景のまま静まりかえっている。
駅前ロータリーの西側に案内板が設置されている。その南側、イチョウ並木の道を上がり、先に進むと宝来公園に出る。武蔵野の風景を残したとされる園内を下り、湧水を入れていた池に出る。小休止のあと、宝来公園を出て左に緩やかな坂を下っていく。
道なりに進んで多摩川駅を過ぎ、東急東横線をくぐって、東急多摩川線沿いに進み、浅間神社の入口を右に見て踏切を左に渡り、すぐ右に折れて中原街道の下をくぐる。その先、六郷用水跡に再現された水路に沿って、快適な道を進めば東光院の横に出る。左側から寺の前に下ってくる坂は桜坂で、旧中原街道は、この坂を下っていた。道を右に折れ、コースの終着点となる沼部駅を左に見送って踏切を渡り、多摩川の堤防に出てみる。江戸時代に脇街道として利用された旧中原街道は、虎ノ門を起点に、大崎、戸越を経て、下目黒経由の道と碑文谷経由の道を合わせて下沼部に至り、多摩川を舟で渡って、小杉を経て平塚方面に向かっていた。さらに、その道筋は、古代の東海道とも重なるところがあるという。目黒田園調布コースを終えるには、この多摩川の土手がふさわしい。そんな気がした。