夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

目黒田園調布コースを歩く

2013-10-27 10:48:02 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「目黒田園調布コース」は、「目黒不動坂みち散歩(目黒駅~武蔵小山駅)」、「碑文谷そぞろ散歩(武蔵小山~自由が丘駅)」、「田園調布並木散歩(自由が丘駅~沼部駅)」の3区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は12.1kmになる。

(1)目黒不動坂みち散歩

 目黒駅からスタート。左に行人坂を見送って権之助坂を下り、次の角を左に入って行人坂に合流する。急坂の途中、大円寺に立ち寄り、石仏群にそっと頭をさげてから、再び坂を下り雅叙園を過ぎて目黒川に出る。広重が描いた石橋の名を継承する太鼓橋の手前を右に、目黒川沿いの遊歩道を歩いて、新橋で目黒川を渡る。

 大鳥前商店街を抜け山手通りを渡る。左側は大鳥神社で、酉の市の頃は混雑するであろう神社も今は閑散としている。大鳥神社を過ぎ、今は存在しない社の名に由来する金毘羅坂を上がり、寄生虫館の横を左に入ると、その先は閑静な参詣道となる。坂を上がると不動公園があり、その先、目黒不動の裏側を横目に先へ進む。

 折れ曲がりの三折坂を車に注意しながら下って、標識Bに従い目黒不動の境内に入る。男坂を上がって本堂へ行き、そのあと、女坂を下って、仁王門の横をすり抜ける。境内に向かって下ってくるバスを避けながら坂を上がり、目黒不動商店街の四つ角を右に行く。この道も参詣道の一つで、左に曲がっていくと石古坂になる。坂の途中に林業試験場跡地に開園した林試の森公園があり、折角なので、少し時間をさいて園内を散策する。

 入口の前に置かれている案内板を確認し、坂の続きを上がり終えると、ほぼ平坦な道となる。かむろ坂通りを渡り、東急目黒線が地上を通っていた時の線路跡を公園とした不動前緑道公園を横切ると、程なく後地の交差点に出る。この交差点、昔は地蔵の辻とか煤団子の辻とか呼ばれ、石古坂を下って目黒不動に出る道と、碑文谷の円融寺に出る碑文谷道の分岐点になっていたという。ここは、西から流れてくる品川用水が二つに分かれる地点でもあったが、用水は既に埋め立てられて今は跡形もない。交差点の西北の角にある標識Bをチラ見して、交差点を右に折れ、碑文谷道を進むと、東急目黒線の踏切跡に出る。ここには標識Aが置かれている。

(注)当ブログのカテゴリー「江戸近郊の小さな旅(明王院に楓を訪う)」「寺社巡拝(山手七福神)」「東京の文化財」「江戸名所」に、大円寺や目黒不動に関する記事がある。

(2)碑文谷そぞろ歩き

 今は駐輪場になっている、東急目黒線の線路跡を過ぎ、先に進むと分かれ道に出る。右側の道は品川用水沿いの道、左側の道は碑文谷道で、このコースでは左側の碑文谷道をたどる事になるが、かむろ坂通りが延長されたため、道が分断されてしまっている。そこで、かむろ坂通りを右側の道で渡ってから、左に行き碑文谷道の続きの道をたどる。その先、目黒本町五の信号を渡って平和通りを進み、次の信号を過ぎて先に進むのが円融寺に向かう碑文谷道だが、本コースでは、この信号で左に折れ、少し先で坂を下り、突き当りを右に行って、立会川緑道に出る。立会川の水源は碑文谷池で、円融寺の西側を流れたあと、東に向きを転じて流れていたが、その流路が暗渠化されたあと、その一部が、碑文谷八幡の参道に連なる遊歩道として整備されたのが、この緑道という。緑道内に置かれた案内板を確認し、桜の頃を想像しながら、この緑道を歩いていく。

 今回は立ち寄らないが、立会川緑道の途中で右に入ったところに円融寺がある。この寺は旧称を法華寺といい、江戸名所図会には、この寺の仁王像が評判になって参詣者が多く訪れるようになった事が記されている。また、三代将軍家光の事績を描いたという江戸図屏風には、目黒の不動とともに、檜物屋法花寺が描かれているが、この寺は碑文谷の法華寺(円融寺)とされる。円融寺は、家光と何がしかの縁があったのだろうか。

 緑道を抜け、参道を歩いて碑文谷八幡に行く。それから、神社の裏手を右に進み、左側にある、すずめのお宿緑地公園に入る。公園に入って竹林を抜けると古民家がある。旧栗山家の主屋を緑が丘から移設したものという。ざっと見てまわったあと、古民家裏手の碑さくら通りに出て左に行き、環七を平町1の信号で渡る。その先、坂を下り、次の四つ角を右に行く。やがて道は下り坂となり、都立大学駅に出る。この辺り、呑川が東から南に向きを変える地点にあたり、少し分かりにくい地形になっている。

 駅を通りぬけて目黒通りを渡る。その先、上り坂の手前を左に入る。常円寺、東光寺を過ぎると、やや上りとなり、坂の途中に出る。ここを左に下り八雲小沿いに進み右へ行くと氷川神社の前に出る。ここを標識Bで左に折れ、呑川の暗渠上に作られた緑道に出て右に行く。桜が続く緑道を先に進むと、左側に宮前小の校庭が見えてくる。緑道内に置かれた案内板を確認して、左に折れ、宮前小に沿って太鼓坂を上がり、目黒通りを渡る。ここを右に行き、歩道橋の手前を左に入って南に進む。この道は九品仏浄真寺への参詣道でもあったようだが、今は人通りの多い道ではない。先に進んで谷畑坂を下っていくと信号がある。ここを左に行くと、自由が丘駅周辺の雑踏に飲み込まれてしまうが、このコースでは、駅周辺の喧騒をよそに、左折せずに先へと進む。坂を下りきると九品仏川緑道で、ここを標識Bにより左へ行き、突き当りを右に行くと東急大井町線の踏切がある。

(3)田園調布並木散歩

 東急大井町線の踏切を渡り、右側の歩道で南に向かって進む。やがて道は次第に上り坂となって環八との交差点に出る。ここを渡って先に行くと五差路になる。東南の角にある標識Bに従って左前方のイチョウ並木の道を下ると、田園調布駅の駅前ロータリーに出る。田園調布駅は既に地下駅になっているが旧駅舎は地上に復元されている。近くまで行くと、駅東側で何かのイベントが開催されているらしく、ざわめきが聞こえてくる。その一方で、駅の西側は今も一昔前の風景のまま静まりかえっている。

 駅前ロータリーの西側に案内板が設置されている。その南側、イチョウ並木の道を上がり、先に進むと宝来公園に出る。武蔵野の風景を残したとされる園内を下り、湧水を入れていた池に出る。小休止のあと、宝来公園を出て左に緩やかな坂を下っていく。

 道なりに進んで多摩川駅を過ぎ、東急東横線をくぐって、東急多摩川線沿いに進み、浅間神社の入口を右に見て踏切を左に渡り、すぐ右に折れて中原街道の下をくぐる。その先、六郷用水跡に再現された水路に沿って、快適な道を進めば東光院の横に出る。左側から寺の前に下ってくる坂は桜坂で、旧中原街道は、この坂を下っていた。道を右に折れ、コースの終着点となる沼部駅を左に見送って踏切を渡り、多摩川の堤防に出てみる。江戸時代に脇街道として利用された旧中原街道は、虎ノ門を起点に、大崎、戸越を経て、下目黒経由の道と碑文谷経由の道を合わせて下沼部に至り、多摩川を舟で渡って、小杉を経て平塚方面に向かっていた。さらに、その道筋は、古代の東海道とも重なるところがあるという。目黒田園調布コースを終えるには、この多摩川の土手がふさわしい。そんな気がした。


コメント

渋谷コースを歩く

2013-10-14 09:49:11 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「渋谷コース」は、「原宿界隈散歩(渋谷駅~表参道駅)」、「青山緑陰散歩(表参道駅~乃木坂)」、「赤坂山王散歩(乃木坂~桜田門)」の3区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は8.4km。コースが設定された当初に比べ、ルート沿いの景観がかなり変貌しているコースでもある。今回は、桜田門近くで「お堀端コース」から分かれて渋谷駅に至る経路をたどることとする。

(1)桜田門~乃木坂

 保存修理工事を終えた桜田門からスタートし、お堀端を歩いて国会前の交差点に出る。ここで、「お堀端コース」と分かれて交差点を渡ると、その先に標識Aが置かれている。右側は国会前庭の北側の地区で、今は洋風庭園になっているが、江戸時代には井伊家の屋敷があったところである。幕末に井伊大老が暗殺された桜田門外の変は、ここから桜田門に向かう途中で起きている。先に進んで国会正門前の交差点を右に折れて行くと憲政記念館に出るが、今回は、国会前庭の中を通り抜けて行く。途中、標高の基準となる水準点の原点を収めた建造物も見ておく。

 改修工事中の憲政記念館の前を左に折れると国会図書館に出る。ここは、一般の人でも利用は可能だが、手続きが必要となる。この図書館に所蔵されている図書資料のうち一部はデジタル化されインターネットで閲覧できるようになっており、当ブログの記事を書く際にも何度か利用している。

 国会図書館の先の信号で左に折れ、新しくなった議員会館の前を過ぎると、国会議事堂の裏手から日枝神社方面に山王坂が下っている。右側の歩道で坂を下り、坂の下で左側の歩道に移って進むと日枝神社の駐車場がある。その手前を左に入ると鳥居があり、男坂の石段がある。江戸時代の山王坂は日枝神社の社地で、坂上と坂下には門前町があり、山王坂から男坂に至る道筋が表参道になっていた。男坂を上がるのをやめて駐車場まで戻り、神社の境界に沿って道路を上がる。道は少し先から下りとなり日枝神社の下を回り込むように左へ曲がっていく。間もなく右手に鳥居が見え、左手には西参道の石段が見えてくる。ここを右に折れて鳥居をくぐるのがルートだが、右に折れずに先に進むと、山王下から日枝神社に上がる石段に出る。ここにはエスカレータも併設されていて、今では、こちらが表参道のようになっている。

 ルートどおりに右に折れて鳥居をくぐり、昔は溜池だった外堀通りを渡って直進すると、一ツ木通りに突き当たる。通りを渡った先の歩道に標識Aが置かれているが、ここからは「新宿コース」と合流して左に行く。右手の赤坂BizタワーからTBSに至るエリアは、平成20年にオープンした複合施設で、赤坂サカスと呼ばれている。一ツ木通りを先に進み、赤坂通りに出て右に折れる。この辺りは、江戸時代に新町と呼ばれた町人地だったところである。赤坂通りを左側の歩道で先に進むと、道路際に案内板が置かれている。

 案内板から少し先の赤坂小前の交差点で、今回は、右側の歩道に移る。先に進むと、前方に坂が見えてくる。右側には、日露戦争で功のあった乃木大将を祭る乃木神社があり、神社に隣接して乃木旧邸が保存公開されているので、見にいく。

(2)乃木坂~表参道駅

 乃木旧邸から外苑東通り側に出て左に行くと、東京ミッドタウン西の交差点に出る。ルートはこの交差点で右に折れるのだが、その前に左に行き、ミッドタウン・ガ-デンで一休みする。東京ミッドタウンは防衛庁跡地を再開発して平成19年にオープンした複合施設で、ミッドタウンタワーなどの施設で構成されている。

 東京ミッドタウン西の交差点で外苑東通りを渡って先に進むと、平成19年に生産技術研究所の跡地にオープンした国立新美術館の特徴ある建物が見えてくる。入館するのはまたの機会ということにして左に曲がり、左側の歩道を歩いて、政策研究大学院の下を回り込むように右へ行く。道路の下をくぐって先に進み、星条旗新聞の先を右に入り、信号を渡ると青山霊園に出る。

 青山霊園に入ると、右斜め方向に上がっていく桜並木の道がある。緑陰の散歩道としては好みが分かれるところだが、この道を上がって行くと霊園中央の信号に出る。ここに案内板が置かれている。ここから左に折れ、橋を渡っていくと、道は左に曲がるようになり、根津美術館前の交差点に出る。新しくなった美術館に入ってみたいところだが、今回は割愛して交差点を右に折れ、右側の歩道を歩いて、表参道の交差点に出る。

(3)表参道駅~渋谷駅

 表参道の交差点から右側の歩道で坂を下っていくと、同潤会青山アパートの跡地に建てられ、平成18年にオープンした表参道ヒルズに出る。同潤会のアパートは、関東大震災後に不燃住宅を供給することを目的として各地に建てられた、当時最新の設備を備えた鉄筋コンクリート造りの集合住宅だが、上野のアパートを最後にすべて取り壊されており、今は、表参道ヒルズの再生棟に、往時の青山アパートの姿をしのぶのみである。

 表参道ヒルズから坂を下りきった場所は、渋谷川の上流部が表参道を横断するように流れていた場所で、その跡が今も遊歩道のようになっている。江戸から明治にかけては田園地帯であったこの辺りも、大正になって明治神宮が創建されると表参道が造られ、大きく変貌する。今は、お洒落な通りとなった坂道を上がり、原宿駅の手前の交差点を歩道橋で渡って、神宮橋に向かう。交差点の側に設置されている案内板を確認し、神宮橋を渡ると右側に明治神宮の鳥居が見えるが、今日のところは入るのをあきらめ、ここから左に、代々木公園に行く。

 この先のルートは、代々木公園に沿って進み、その先の信号で左に渡るのだが、今回は代々木公園内をしばらく散策し、渋谷門から出て左手の信号を渡り、イベント広場のある区画に入る。左手に前回の東京オリンピックの際に建設された代々木競技場の建造物を見ながら先に進み交差点を渡ると、公園通りに出る。昔は寂しい道だったこの通りも、今は人通りの絶えない道となる。坂道を下り切って右へ折れ、雑踏に飲み込まれたまま、今なお変わりつつある渋谷駅に至る。

コメント