夢七雑録

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都立庭園の桜

2015-04-14 18:09:56 | 公園・庭園めぐり

(1)旧古河庭園から六義園へ

旧古河庭園はバラで有名だが桜もある。まず、西門近くの桜を見に行き、それから、売店の近くにあるシダレザクラのところに行く。ここからは、桜の下から洋館を仰ぎ見るような、そんな感じである。バラにはまだ早いので、下の日本庭園を一周してから外に出る。

正門を出て左に行く。多少足を伸ばせば飛鳥山だが、今日は旧古河庭園の西側に沿って道を下り、坂の下を右に入って、六阿弥陀の無量寺に行く。ここにも桜があるが、知る人は少ないかも知れない。

無量寺から南に進み、商店街を右に行き、スーパーのある四つ角を左に入って染井坂を上がる。駒込小の辺りまで来ると桜が見られるようになる。その先、左手は門と蔵のある広場で丹羽家の門と蔵が残され、広場には桜がある。

先に進むと染井通りに突き当る。右に行けば染井霊園で桜も多いが、今日は左に行く。JRを染井橋で越せば、間もなく六義園の染井門の前。通常は閉鎖されているが花見時は開いている。園内の北側の道を通り、吹上茶屋の辺りで池をチラ見してから、吟花亭跡に行き、孤高の桜に挨拶してから先に進む。

千鳥橋を渡ると、人が大勢集まっている。何かのイベントが行われているらしいが、今回はパスして先に進み、とりあえず人気のシダレザクラの様子を見に行く。この桜、やはりライトアップされている姿がベストで、昼間の姿は観光名所でしかない。帰りは染井門から出て駒込駅に向かう。今は、桜と言えば大抵はソメイヨシノになってしまったが、その原点がこの地にある事を記念して、駅の北側は染井吉野記念公園になっている。

 

(2)小石川後楽園

桜が散り始めていることに気付き、小石川後楽園に桜の様子を見に行く。中に入ると正面に東京ドームを背景とした枝垂桜。花はまだ残っている。

大泉水を左に見て先へ進む。池の向こう、桜の間に、修復中の橋が見えている。工事はまだ続いているらしい。

白糸滝の修復工事も継続中らしく、仮設の通路が池の中に見えている。仮橋はやや目障りとは言え、今しか眺められない光景でもある。

一見したところ、内庭に桜らしき姿は見当たらない。すでに散り終えてしまったのだろうか。池の向こう、色鮮やかなヤマブキが、桜に代わって内庭に彩を添えている。

九八屋の裏手にはカイドウザクラ。正しくハナカイドウ。サクラの名は付いているが、リンゴ属でサクラ属ではない。それでも、今はサクラの仲間に入れたい気分。

稲田の雰囲気を残している菖蒲田を前にして、桜が一本、満開の風情で立っている。菖蒲の季節になればその存在感を失ってしまう桜の、今だけの晴れ姿。

梅林を抜けるとシャガの群落が続く。菖蒲田沿いの水路には桜流し。そして、大地には、春を言祝ぐように花びらが散り敷いている。

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都電沿線の桜めぐり

2015-04-05 08:38:05 | 都電荒川線に沿って

都電荒川線に沿ってというカテゴリーで、2010年から翌年にかけて都電の一駅散歩を投稿しているが、今回はその追記で、沿線の桜の見所を取り上げている。江戸川橋から上流の高戸橋までは、神田川沿いに桜並木が続いているが、花見の中心となるのは江戸川橋と駒塚橋の間で、駒塚橋から上流は花見客もやや少なくなる。

新江戸川公園は、細川家の下屋敷(抱屋敷)跡で、明治になって細川家の本邸となった敷地のうち、池を中心とした低地の部分に相当する。細川家の屋敷地は目白通りに至る台地が含まれていて、昭和初期に建てられた細川家の洋館は和敬塾本館として現存し、同じく昭和初期の細川家の家政所は永青文庫として今に引き継がれている。新江戸川公園内の松声閣は大正時代に細川家の学問所として建てられた和館だが、現在は老朽化対策と耐震化のため工事中になっている。去年、この公園を訪れた時は、大雪による倒木のため通行止めになっている箇所が幾つかあったが、今年はそのような事は無かったようで、桜を見ながら庭園内をゆっくり見て回ることが出来る。

新目白通り南側の甘泉園にも桜はあるが、訪れる人は多くなさそうである。甘泉園のある馬場の北側の土地は尾張徳川家、大草家、清水家、田安家の下屋敷を経て、明治になると清水家の本邸となる。その後、相馬永胤(専修大学初代学長)が購入して新築・造園を行ったが、所有者はさらに早稲田大学、東京都と変わり、現在は新宿区の公園になっている。日本庭園出入口の構えは江戸名所図会の挿絵、山吹の里の門に似ていると言う話もあるが、江戸時代、山吹の里は面影橋の南側にあったと言われていたので、縁が無いわけでもない。

面影橋の上流にも桜並木は続くが花見客の姿はあまりない。近くの南蔵院や氷川神社にも桜はあり、明治通り沿いにも桜はある。この時期、探せば何処かに桜はあるが、雑司ヶ谷で見所を一つ上げるとすれば、鬼子母神の北側にある法明寺参道の桜並木だろうか。本数は多くはないが、桜の配置が良いせいか絵になる風景である。都電の線路沿いの道に戻ると、環状第5の1号線(雑司ヶ谷)の道路工事がいまも進行中。都電唯一のガードも閉鎖されてしまったが、都電雑司ヶ谷の近くに残された蔵は今も健在である。その先、西側の小学校跡地にはビルが建築中で、上層は高層マンション、下層には近々豊島区役所が移転してくるらしい。ビルの周囲には、豊島区の木でもあるソメイヨシノに因んでか、何本かの桜が植えられている。ひょっとすると、校庭の桜が混じっているかも知れない。

東池袋四丁目を過ぎて先に進むと、造幣局の周辺にも桜が見られる。向原を過ぎると左側に大塚台公園がある。その先を右に入ると桜並木が見えて来る。600mほど続く南大塚の桜並木だが、ちょっと見た限りでは人通りは少なそうである。桜まつりの時は別として、普段は、知る人ぞ知るの花見の名所になっているのだろう。

大塚駅前から都電に乗り飛鳥山で下車。目の前に飛鳥山の桜が広がっているが、飛鳥山公園に行く前に、レンガ造りの建物に合うサクラを見に、醸造試験所跡地公園に行く。幕末、江戸幕府は千川上水の水を堀割で引き入れて反射炉の建設を行ったが、程なく明治となり反射炉は利用されないまま廃炉となる。その後、同じく水を必要とする紡績工場と製糸工場が設置されるが、明治の中頃には他に移っている。明治37年、酒類総合研究所の前身となる醸造試験所が設置され、その時に建てられた赤レンガ酒造工場が現存している。

醸造試験所跡地公園から下って行き、突き当りを左に行く。この道は石神井川右岸の遊歩道で所々に桜も見られる。やがて音無さくら緑地に出る。ここは蛇行していた石神井川の流路跡に作られた緑地だが、そろそろ戻りたいので、松橋を渡って今度は左岸を下流に向かう。

現在の石神井川は音無橋から飛鳥山の下へと潜ってしまい、もとの石神井川の流路は音無親水公園という名の公園となる。公園内には桜が必要十分なだけあるが、谷底から桜を眺めるより、上がって見た方が良さそうな気もする。

江戸時代には歌舞音曲禁止の上野の花見を嫌って、飛鳥山まで繰り出すことがあったらしい。そう言えば落語の「長屋の花見」も飛鳥山で花見をしている。江戸の浮世絵版画を見ると桜のほかに松が目立つが、今は花見の名所ともなれば、人また人、桜また桜になっている。

旧渋沢家飛鳥山邸の庭園を歩き、大正時代の晩香盧と青渕文庫を外から眺める。この庭園にも桜はある。明治12年、渋沢栄一は別荘として建てて間もない飛鳥山邸に、国賓として来日中のグラント将軍を午餐に招待している。

都電の荒川遊園地前からすぐに桜並木が始まり、あらかわ遊園の中の桜へと続いている。遊園地の裏手は隅田川で、もう少し天気が良ければ川沿いに散歩したい気もする。ところで、小台までの区間、補助90号線の拡幅に関連して都電の軌道の移設工事が行われていた。

尾久の原公園は旭電化の工場跡地を防災公園としたもので、有志によりシダレザクラが植えられたことから、開花の頃は見事な景観を見せるようになり、シダレザクラ祭りも開催されている。ただ、この公園に関しては、ダイオキシン汚染対策を進める必要があるらしい。

三河島水再生センターには桜が多く植えられており、荒川二丁目付近では車窓に桜が続くようになる。水再生センターの人工地盤の上に作られた荒川自然公園にも桜はある。また、荒川八丁目口に行けば桜並木がある。

荒川公園は荒川区役所の前庭のような公園で、しだれ桜が多く植えられている。ここでは花見の会も行われるらしい。桜が多く見られる場所は他にもある。三ノ輪橋の付近では、荒川一中前の線路沿いや正庭通りに桜がある。

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