夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

お知らせ

2012-02-26 10:25:35 | Weblog

 
 2月も末になってようやく、一輪ほどの暖かさ。そこで、今回の花暦はウメということになりました。梅の名所も数々あれど、今年は軒並み開花が遅れているようです。さて、当ブログは、下記のカテゴリーを設けていますが、次回、「歴史メモ帳」というカテゴリーを追加し、歴史に関する一寸した記事を投稿する事にしました。最初の記事は、ヤマトタケルとオトタチバナヒメの話を予定しております。  夢七。 

1.稲荷百社詣:都内の稲荷神社、百社をめぐる与太話のような巡拝記。
2.古いアルバムめくり:
・初期のオリンパス・ペンで撮影した半世紀前の写真。
・戦前と戦中のモノクロ写真。
3.巡見使の旅:江戸幕府が陸奥・出羽・松前に派遣した巡見使の道中記。
4.江戸近郊の小さな旅:文化文政の頃、江戸近郊を歩いた村尾嘉稜の紀行文。
5.気ままに百人一曲:クラシックの作曲家百人に対し、各々一曲を気ままに選ぶ。
6.神田川橋めぐり:神田川を上から下まで橋めぐりをした紀行文。
7.民話伝説の世界:民話を改ざんしたらどうなるかという、単なるお遊び。
8.寺社巡拝:昔の地図を参考に歩いた七福神めぐり等の都内の寺社巡拝記。
9.しょーとしょーと:いわゆる掌編小説、といっても与太話の類。
10.あの町この町:あちこちの町の雑記。今のところは、錦糸町と亀戸。
11.千川上水花めぐり:花咲く季節に、千川上水跡を歩いた紀行文。
12.絵葉書で海外の旅:大正時代の欧米の風景絵葉書で当時の海外の旅を思う。
13.都電荒川線に沿って:都電荒川線に沿って早稲田から三ノ輪橋まで歩く。
14.神田川支流散歩:善福寺川、妙正寺川、桃園川をめぐった紀行文。
15.東京の文化財:東京文化財ウイークの対象となる文化財の見て歩き。

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参詣道を歩く(3)「長命寺」

2012-02-04 09:09:08 | 寺社巡拝

 中村橋駅から北に向かって商店街を歩き、目白通りを渡って直進し、次の角を左に折れる。道を下っていくと右側に清戸道の説明板がある。清戸道は、農産物などを江戸に運んでいた道である。坂を下り目白通りに出る。その先の右側に円光院がある。付近は低地で、寺の南側に大きな池があったという。目白通りを上っていくと、道の角に江戸時代に立てられた東高野山の道標がある。この道標は、清戸道から長命寺の参詣道が分かれる場所にあったという。

 ここからは、「ねりまの文化財」記載の道を歩く。現在は、環八が開通するなど、道も少々変わってしまったが、変わっていないところもある。目白通りを渡って左側の歩道を歩き、ガソリン・スタンドの手前の左斜め方向に入る道を歩く。須賀神社の祠を過ぎると、道は二つに分かれるが、右の道を進んで環八を渡る。南光幼稚園の横を通って歩いて行くと、左手の角に地蔵の祠がある。ここを過ぎて、右側にテニスコートを見ながら、さらに進む。

 まもなく、馬頭観音を祭るT字路に出る。ここを左に折れて、三つ目の角を右に折れ、突き当りを左折して下っていく。下りきったところはT字路で、右側の角には庚申塔が祭られている。南側に社殿が見えるが、御嶽神社、稲荷神社、須賀神社を祭る神社である。神社の横を通って南に向かう道は、御府内八十八か所15番札所の南蔵院に通じていた道という。

 T字路を西に行き、石神井川を渡る。その先の角を右に曲がって石神井東中の前を通り、次の角を左に折れると笹目通り出る。谷原村絵図によると、江戸時代は、石神井川の両側に灌漑用の水路が分かれていたようで、長命寺への参詣道も橋を三つ渡っていたようである。押しボタン式の信号を押して笹目通りを渡ると、長命寺東門の前に出る。

 長命寺は東高野山または新高野と呼ばれ、紀州の高野山に参詣に行くのと同じ御利益があるとされて、人気のあった寺である。また、この寺は、御府内八十八か所の17番目の札所でもある。長命寺への参詣道としては、清戸道から分かれる長命寺道のほか、川越街道から分岐する富士・大山街道から分かれる道、所沢・石神井道から分かれる道、御府内八十八か所の巡拝路の道などがあるが、今回は、所沢・石神井道から分かれる参詣道を、長命寺からの帰途に選ぶ。

 長命寺の南大門を出ると門前に道がある。谷原村や下石神井村の村絵図にも記されている道で、右に行くと御府内八十八か所16番札所の三宝寺に通じていた。今回は、左に行き、笹目通りに出て南に行く。西武池袋線のガードをくぐり、笹目通りを南に進み、廃寺の名を由来とする長光寺橋で石神井川を渡る。橋を渡ってすぐ右に下り、元締山の森という緑地の西側の道を南に上がっていく。どこか懐かしい雰囲気が残る道を、道なりに進んでいくと笹目通りに出る。笹目通りと環八の合流点を渡り、東側の歩道を南に行き、左斜め前方に入る道を選ぶ。道はやや上ってから、旧道らしさを保ちながら南に向かい、やがて千川通りに出る。

 この左手の角に、右長命寺道と記された江戸時代の道標がある。千川通りは千川上水が流れていた場所で、ここには三兵橋という橋が架かっていた。この道標は、三兵橋を渡った場所に東向きに立っていた道標で、千川上水と長命寺への参詣道の交差する場所に位置していた。

 千川通りを渡って所々に畑の見える道を進むと、やがて道は左に曲がっていくようになる。曲がり終えた場所で右に折れると、旧早稲田通りの八成小北の交差点に出る。旧早稲田通りは、中野の追分で青梅街道から分かれる所沢・石神井道に相当する道である。交差点から左に少し行くと、道標付きの石造物である庚申塔と念仏供養塔があり、説明板も置かれている。この道標は、本来の場所から移されているかも知れないが、この辺りから、新高野道すなわち長命寺への参詣道が分かれていた事が分かる。その先、旧早稲田通りは新青梅街道と交差する。新青梅街道を東に行くと目白通りと合流して目白方面に出るが、その道筋は、雑司ヶ谷に向かう江戸時代の道に重なっている。

 新青梅街道を渡って先に進むと、右側に道標付き石造物が見える。ここから先、車に注意しながら進み、踏切の手前で左に入ると、下井草駅の北口がある。今回の三ケ寺めぐりは、これにて終わりとする。なお、旧早稲田通りは西武新宿線を越えて南に進み、早稲田通りと合流している。早稲田通りを東に行くと高田馬場に出るが、その道筋は、青梅街道の裏道として利用されていた江戸時代の道と重なっている。今は中央線により分断されているが、早稲田通りから分かれて中野駅の西側を通り、青梅街道の追分に出る道があり、この道筋は江戸時代に所沢・石神井道と呼ばれていた道に相当している。

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