明治神宮の敷地は70ヘクタール。江戸時代の初めは加藤家の屋敷地であったが、後に井伊家の下屋敷となり、明治時代に代々木御料地(南豊島御料地)となる。大正時代になって、この地が明治神宮の建設地に定められるが、当時は敷地の大半が農地か草地で、林地は全体の五分の一程度だったため、まず、神宮の森を造成することから始めなければならなかった。森の造成を担当した学者たちは、永遠の杜とするためには、この土地に適合する常緑広葉樹の森にする必要があると考え、杉の植樹を主張していた総理大臣大隈重信をも説得したという。神宮の森の造成にあたっては、50年後、100年後、150年後の林相の遷移を想定し、全国から集められた10万本の献木を計画的に植樹したが、90年余を経過して今や自然林と見紛うばかりの森になっている。
神宮橋を渡り、明治神宮内苑の地図を確認してから、第一鳥居を潜って南参道を下る。大正時代に植樹されたシイ、カシ、クスノキの常緑広葉樹は頭上高くそびえ、玉砂利を踏む音だけが辺りに響いている。
南参道を下り終えて神橋を渡る。橋の左側からは、御苑の南池から下ってくる流れが見える。ここは、カエデなどを植樹して風致林とし、筑波石を配して庭園風に見せている。橋の右側に行ってみると、わずかに水面が見えている。その向こうはJRの線路で、水路は暗渠となって下を潜り、竹下通りの方向に流れていくらしい。
神橋から少し上ると左側に御苑の東門がある。今は閉鎖されているが、門から谷沿いに左に行く道が見える。文化館を過ぎて南参道を先に進み、左に折れて大鳥居をくぐり、正参道を進むと左側に御苑北門がある。御苑内の地図を確認し、入口で500円支払って中に入る。
入口から南に進み、戦後に再建された隔雲亭の横を過ぎる。その南側は芝生の斜面になっている。御苑の中では一番の日溜りの場所だろうか。日向ぼっこを楽しみたい気分だが、そうもいかない。斜面の下には南池が横たわり、濃密な樹林が外界の騒音を遮断しているせいか、静寂が辺りを支配している。
南池に沿って右に行き、十字路を左に折れて池の畔に出る。現在の池の形は南豊島御料地だった頃の形とほとんど変わっていない。恐らくは、井伊家の下屋敷だった頃の池の姿を、今もそのまま留めているのではなかろうか。明治神宮の造営の際に、御苑はあまり変えていないので、落葉広葉樹による林の風景も当時のままなのだろう。
池から北は菖蒲田になっている。菖蒲の頃に比べれば、今の季節の彩は地味ではあるが、その代わりに、湧水によって形作られた谷戸の昔ながらの姿を見て取ることが出来る。菖蒲田に沿って進むと四阿がある。しばし休んで谷戸を見渡し、それから、谷戸の水源となる清正井を求めて谷戸の右側をたどる。道はすぐに下りとなって崖下の井戸へと導かれる。
以前は井戸の近くに柄杓が置かれていたので、この水は飲めた筈なのだが、今は飲用禁止になっている。この井戸は横井戸と言われているが、社殿の西側から流れて来る水脈が井戸枠の横から湧き出している事のようである。井戸は古代からパワースポットとして認識されていたが、それでも、この井戸は特別な存在として評判が立ち、今では訪れる人が絶えない。加藤清正が掘ったという伝説も、それに拍車をかけているのだろうか。
清正井から南池に戻り御釣台に向かう。池の畔にカメラマンが何人か。野鳥を撮りにきているのだろう。神宮御苑は野鳥の楽園のようなところで、手乗りのヤマガラは今も健在である。御釣台に出て池を眺めながら、鳥の声に耳を澄ます。
小さな水路を二度渡ると、四阿のある場所に出る。ここは四方を水面に囲まれているので島ということになるが、東門近くの谷からの流れが二つに分かれて南池に注いでいるため、島のような地形になっているとしか見えない。南池には、この水路と清正井を水源とする水路のほか、代々木公園を水源とする水路が流入している筈だが、ここからは様子が分からない。
御苑を出て正参道を左に行き社殿へと向かう。初詣の時は大混雑となるが、今は比較的すいていて、ゆっくり参拝ができる。明治神宮は大正9年の創建で、建築様式については種々議論があったようだが、結局、一般的な流造りが採用されている。なお、大正時代の社殿は戦災で焼失したため、現在の社殿は昭和33年の再建である。
東門を出て先に進むと参道に出る。突き当りの垣の向こうは窪地になっている。ここには東池がある筈だが、参道からは良く見えないので、多くの人は東池の存在に気付かないかも知れない。垣に沿って東に向かうと、垣の間から東池が見えて来る。東池から先の水路は暗渠となり、JRの下を潜って南に流れているらしい。
北参道を北に向かい北口の広場に出る。ここを左に宝物殿への道を辿ると北池に出る。池の水源は西側にあるらしく池から水路が伸びているが、今は水が流れていない。北池から流れ出る先の水路は見えないが、暗渠となって渋谷川に通じているのだろう。宝物殿の前は起伏のある芝生になっている。芝生の下は北池、その向こうには神宮の森が続いている。
明治神宮の森について、平成23年から25年にかけて行われた総合調査によると、40数年前に比べて目通り周30cm以上の樹木では針葉樹がかなり減少している一方、常緑広葉樹は微増している。ただ、目通り周30cm未満の幹の細い樹木は全体として大幅に減少しており、将来的には後継樹不足の可能性があるという。哺乳類ではタヌキ、ハクビシン、ドブネズミの生息が確認されている。池ではカエル、カメ、魚類の調査が行われたが、絶滅危惧種のミナミメダカが見つかっている。昆虫では都内で初めて見つかった種が幾つかあったという。明治神宮では毎月探鳥会が開催されており、ヤマガラのほか、オオタカ、カワセミ、モズ、エゾビタキ、キビタキなどが記録されている。
明治神宮の森が自然林に近い森として存続できたのは、第一に100年後、150年後を見据えた計画的な植樹であり、第二はこの土地に適した樹木を選んでの植樹であり、そして第三に人間と森の領域を区分し、必要な場合以外は林地に立ち入らないようにした事である。今後も明治神宮の森を散策する機会はあると思うが、林地には立ち入らないようにしたい。
<参考資料>「大都会に造られた森・明治神宮の森に学ぶ」「グリーン・エージ 2014.7」「東京の公園と原地形」ほか。