夢七雑録

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林檎忌や昭和も遠くなりにけり

2016-08-11 19:26:27 | 音楽、映画など

近ごろ、昭和時代に活躍していた人の訃報を聞くにつけ、昭和という時代が遠い過去になってしまった気がしてならない。昭和のことについて語るのは今のうちかも知れない。そこで、美空ひばりの命日(林檎忌)に因んで6月に出された、「好きな昭和の名曲は」という“お題”に、遅ればせながら参加してみる事にした。

 昭和の名曲と言っても数が多いが、ここでは、昭和時代に日本で生まれた流行歌の中から、勝手気ままに10曲を選んでみた。流行歌とは、その時々で大衆が好み流行していた歌のことを言うが、昭和8年にNHKが、それまで西洋音楽の影響を受けた曲に対する呼称であった歌謡曲という呼称を、流行歌の呼称に転用したことから、流行歌と言えば歌謡曲ということになったようである。この状況は、昭和48年頃にNHKが歌謡曲を演歌とニューミュージックに分けるまで続いた。今ではJ-POPが日本のポピュラー音楽の呼称のようになってしまったが、昭和時代を語るとすれば、ニューミュージックまでだろう。

 (1)「波浮の港」野口雨情作詞、中山晋平作曲。

 

昭和3年、日本ビクター創立第一回のレコードとして、佐藤千夜子が唄うこの曲が発売されると、民謡風の哀調ある曲調が受けて大ヒットとなった。伊豆大島には戦後何度か行った事があり波浮にも寄っているが、当時はまだ、昭和初期の波浮港の風景(上の写真。当ブログのフォトチャンネルに掲載)が多少なりとも残っていたと思う。現在はどうなのだろうか。

 (2)「蘇州夜曲」西條八十作詞、服部良一作曲。

昭和15年に公開された「支那の夜」という映画の中で、李香蘭(山口淑子)が歌ったのが、この曲である。戦前の歌謡曲における名曲中の名曲として、取り上げてみた。

 (3)「リンゴの唄」サトウハチロー作詞、万城目正作曲。

昭和20年に並木路子が歌ったこの曲は戦後最初のヒットとなった。トウモロコシ粉のパンや芋の蔓の団子、脱脂粉乳を主食としていた時代、栄養失調を肝油で誤魔化していた時代、リンゴなど手に入る筈も無いそんな時代に、この歌だけはやけに明るかった。しかし、いま聴くと、戦後のヤミ市を思い出す歌でもある。

 (4)「リンゴ追分」小沢不二夫作詞、米山正夫作曲。

のど自慢で「リンゴの唄」を歌い子供らしくないという理由で落選した子供が、美空ひばりとして昭和27年に「リンゴ追分」を唄い大ヒットとなる。誰もがその歌唱力を認めながらも、批判的な目で見られる事も多かった美空ひばり。後年、美空ひばりがジャズを歌うのを放送で聴いた事があるが、この人は日本に留まらずにジャズシンガーとして世界に出て行く手もあったのではないか。そんな気もする。

(5)「上を向いて歩こう」永六輔作詞、中村八大作曲。

昭和36年に始まったNHKの「夢であいましょう」というバラエティ番組には、永六輔作詞、中村八大作曲による「今月のうた」というコーナーがあり、数多くの歌を生み出した。中にはもう一度聴いてみたい曲もあるのだが、曲名すら忘れてしまった。ここでは、「今月のうた」の代表として、昭和36年に坂本九が歌った「上を向いて歩こう」を取り上げる。

 (6)「俵星玄蕃」北村桃児(三波春夫)作詞、長津義司作曲。

浪曲から歌謡曲へと転じた三波春夫が、浪曲の良さを残したいと思い、昭和39年に長編歌謡浪曲として唄ったのが「俵星玄蕃」である。この曲を放送で聴いたのは一度か二度だが、歌の迫力に圧倒された事を覚えている。東京オリンピックが近くなれば、三波春夫の「東京五輪音頭」をカバーする人が出てくるかも知れないが、「俵星玄蕃」を唄う人が出てくるかどうか。

 (7)「帰ってきたヨッパライ」ザ・フォーク・パロディ・ギャング作詞、加藤和彦作曲。

昭和30年代後半にフォークソングが登場し、若者の好む歌が次々生まれるようになったが、宴席ではまだ民謡や歌謡曲、時には軍歌が唄われていて、フォークソングの出番は無かった。昭和42年、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が出ると、宴席でも歌われるようになった。コミカルな歌は宴席を白けさせる事がなかったのだ。

 (8)「中央フリーウエイ」荒井由実作詞・作曲。

いつだったか、サントリーの武蔵野ビール工場に行った事があるが、その時は「中央フリーウエイ」(昭和51年)のビール工場だとは気づかなかった。競馬場とビール工場は高速道路沿いにあり、歌詞の通りの位置にあるが、少々見にくい。バスの方が見やすいかも知れない。それにしても、高速道路を夜空に続く滑走路に見立てたのは、言い得て妙である。

 (9)「津軽海峡・冬景色」阿久悠作詞、三木たかし作曲。

演歌からも一曲選ぶとしたら、石川さゆりが昭和52年に唄ったこの曲だろうか。北海道に最初に行ったのは50年ほど前の事だが、上野発の夜行列車が青森に着き、青函連絡船に乗り換えた時の事が、まだ記憶の底に残っている。

 (10)「いとしのエリー」桑田佳祐作詞作曲。

10曲目には、サザンオールスターズの昭和54年の曲を取り上げる。サザンの曲はニューミュージックに分類されるのだろうが、演歌の趣きが、どことなく漂っているような気がする。

以上の10曲には入れなかったが、昭和の名曲はまだ数多くある。いつか機会があれば、カラオケで歌いたい昭和の名曲として投稿したいと思っている。

(注)カテゴリー及びジャンルを変更している(2017.8)。

 

 

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