夢七雑録

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モノクロの風景・黒山三滝

2011-09-26 20:12:33 | 古いアルバムめくり
 オリンパス・ペンで撮ったモノクロの写真は他にも幾つか残っているが、今回は、その中から埼玉県の越生にある黒山三滝を訪ねた時の写真を取り上げる。撮影は1965年頃と思われる。黒山三滝は、荒川水系入間川の支流である越辺川の源流部にあり、高さ20mの天狗滝、10mの男滝、5mの女滝の総称である。この地は古くからの修験の場であったが、江戸時代、当地出身者により江戸に紹介されてからは、物見遊山客が杖を曳くようになったという。明治になると鉱泉宿が開かれ、文人も訪れるようになり、昭和25年には日本観光地百選の瀑布の部に入選している。現在の黒山三滝は東上線沿線の観光地の一つとして知られているが、全国的な知名度においては、いまいちかも知れない。


 
 上の写真は、黒山三滝の下車駅である、東上線の越生駅の写真である。




 上の写真は、天狗滝近くの沢の写真2点と、天狗滝手前の無名の滝の写真である。




 上の写真は天狗滝で、上から順に、滝の落ち口、滝の上部、滝壺である。




 上は天狗滝の上から撮った写真である。



 上の写真は女滝を撮った2点である。女滝の上の方に男滝が少し見えている。





 上の写真は男滝の写真4点である。









 上の写真は、途中の山里の風景である。

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50年前の秋保・松島・陸中海岸

2011-09-13 20:57:52 | 古いアルバムめくり
 オリンパス・ペンで1961年に撮影した、秋保、松島、陸中海岸のモノクロ写真が今も残っている。50年が経過して、変わってしまった風景もあれば、あまり変わらない風景もあるだろう。そして、震災のあと、今はどうなっているのか、気になる風景もある。

 最初は、秋保の写真7点である。上から順に、秋保の石切場の写真が2点、秋保大滝の写真が2点、磊々峡の写真が3点である。







 


 次の写真は松島の写真である。上から順に、塩釜港、松島への航路、双観山からの展望2点、雁金森付近からの展望2点、五大堂からの展望2点である。









 
 次の写真は陸中海岸の山田町の写真である。上から順に山田港、大浦への渡船、船から見た山田湾、小谷鳥海岸の写真2点、小谷鳥付近2点、ロラン局(現在廃止)付近から見た大釜崎近くの断崖の写真である。











 次の写真2点は山田線のSL貨物列車で、背景は山田湾と、船越半島の霞露ケ岳である。




 次の写真4点は、宮古の浄土ヶ浜とその近辺である。






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50年前の仙台の写真(2)

2011-09-08 20:26:59 | 古いアルバムめくり

「竜の口渓谷・太白山」

 竜の口渓谷は仙台城の南側にあり、長さ3km深さ70mに及ぶ渓谷である。この渓谷は化石の宝庫で採取に訪れる人もいたが、今は崩落も多く度々立ち入り禁止になっている。50年前は、崩落地一か所を除けば、他に荒れた個所は無く、比較的容易に通ることができた。なお、竜の口渓谷近辺の地形は現在と同じではない。

 当時、この渓谷を遡行した時に撮ったと思われる写真のプリントが今も残っている。ただ、元のフィルムを紛失しているため撮影順が分からず、撮影地も分からないものがある。下記の4点の写真は竜の口渓谷の下流部の写真と思われ、上から順に、渓谷入口の橋、入口付近の道、入口近くの青葉山側の絶壁、崩落地の写真である。竜の口渓谷は、入口から暫くの間は明瞭な道が続くが、渓谷が右に折れると道も細くなり、その少し先で落石が積み重なり倒木も重なった崩落地に出る。4番目の写真の撮影地は不明だが、この崩落地の上流側から撮ったのではないかと思われる。




 渓谷をさらに進むと八木山橋が見えてくる。八木山橋を過ぎると、進むにつれ谷幅が狭まっていく。やがて、右側から支流が流れ込んでくる。谷幅はさらに狭まり、屈曲する谷が続くが、そのうち、両側の崖が低くなり、谷は沢へと変わっていく。さらに進むと谷から解放されて空が広がるようになり、源流部の尾根筋が見えてくる。沢から離れ左に踏み跡を上がれば八木山から来る道に合する。
 
 下に示す8点の写真のうち、1番目は八木山橋を下流から撮ったものである。橋の手前の左側から滝が流れ込んでいた筈だが、この写真ではよく分からない。2番目は撮影場所不詳だが谷の幅から八木山橋のやや上流と思われる。3番目の写真も撮影地不詳だが、八木山橋の上流のように思われる。4番目は右側から合流してくる支流である。5番目の撮影地も不明だが、支流の合流点近くの谷と思われる。6番目の岩塔は、合流点近くの狭い谷でよく見られる形の岩塔である。7番目の位置も不明だが支流の合流点より上流の狭い谷と思われる。8番目は崖が低くなっているので、この渓谷の上流部の写真であろう。







 太白山に行くには、竜の口渓谷を経由せずに八木山を通って歩いていく方が遥かに楽である。この道を進むと、竜の口渓谷の源流部の尾根に出るが、この辺の地形が50年前と今では大きく異なっている。現在の太白区と青葉区の境界線を進むのが当時のルートで、亜炭の坑道の崩落現場に出る。その位置は、現在の東北工大のグラウンドの近くと思われる。下の写真は、その崩落現場で、遠くに見える三角形の山は太白山である。なお、亜炭は燃料としてのほか、仙台土産の埋木細工の材料としても使用されたが、現在は採掘されていない。

 ここから北へ尾根道を進むと、212.8mの三角点に出る。確か櫓のようなものもあったと思う。この三角点の位置は青葉台バス停の近辺と思われるが、三角点自体はすでに廃止されている。なお、現在の地形図では北側のゴルフ場付近に203.2mの三角点が設けられているが、この三角点も既に廃止されているらしい。さらに北に進むと、旧青葉山ゴルフ場(現在は廃止)の造成工事が進められていた。下の2点の写真は、オープン間際のゴルフ場を撮ったものであろう。


 ゴルフ場まで行かずに、三角点の少し先を左に折れ、鈎取山(金剛沢治山の森)に入って佐保山に抜けるのが、当時の太白山へのルートである。鈎取山一帯はかなり複雑な地形だが、それでも歩いていくうちに佐保山の集落の上に出る。下の写真は、集落の上から見た太白山である。太白山は標高321m。高い山ではないが、正規分布型の特徴ある山容を持ち、また伝説に彩られた山でもある。 

 当時は東北自動車道もなく、佐保山はまだ山村の雰囲気がただよっていた。鉄線が張られた急坂を上ると、岩石累々とした太白山の山頂に出る。周囲は雑木が茂っていて、思っていた程の展望は得られなかったが、木の間から下界を眺めることは出来た。

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50年前の仙台の写真(1)

2011-09-02 18:14:57 | 古いアルバムめくり
 オリンパス・ペンで1961年に撮影した、仙台のモノクロ写真が今も残っている。その一部は、当ブログの「竜の口渓谷から太白山へ」と題する記事の中で使用しているが、公開していなかった他の写真も含めて、今回まとめて投稿することにした。

「愛宕山・大年寺山・経ケ峯・青葉山」

 下の3点の写真のうち、上の2点は愛宕山近くの愛宕橋(愛宕大橋)の上流、愛宕山の下の広瀬川を写したもので、50年前には河原で牛が放牧されていたという証拠写真でもある。その下の写真は愛宕山から経ケ峯方面を眺めた写真である。



 次の2点の写真は大年寺山付近からの展望であり、上は北側の空き地から経ケ峯方向を望んだもの、下は西方を見た写真で、遠方に小さく見える三角形の山は太白山である。


 経ケ峯には瑞鳳寺のほか瑞鳳殿など伊達家三代の廟があったが戦災で焼失している。次の写真は、再建される前の、木の墓標が立っているだけだった頃の写真である。


 経ケ峯の裏手は広瀬川に面して崖になっているが、次の写真は、その崖の上から撮ったと記憶している。上は広瀬川を俯瞰したものであり、下は自動車教習所を手前に青葉山を望んだものである。


 次の写真は仙台城址から広瀬川沿いを俯瞰したものである。

 次の写真のうち、上は東北大学の植物園の写真であり、下は八木山の放送局の方向を見た写真である。




(注)8月31日の投稿で、仙台市街として間違った写真を使用したため、削除しました。
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