夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

柴又コースを歩く

2014-04-26 09:03:11 | 歴史と文化の道
東京都の歴史と文化の散歩道のうち「柴又コース」は「帝釈天門前散歩(京成高砂駅~矢切りの渡し)」の1区間だけで、総延長は3.1kmになる。
 
(1)帝釈天門前散歩

京成高砂駅北口の階段を下り、線路側に置かれている案内板を確認して、駅前の道を左に行く。右側の歩道のガードレールにはカタツムリのシンボルマークが見える。高砂八の交差点に出て右折。右側の歩道で旧佐倉街道(さくらみち)を進む。

所々に置かれている歴史と文化の散歩道の標識を確認しながら旧佐倉街道を歩いて行くと、程なく京成金町線の踏切に出る。その手前、左後ろから合流してくる道には、以前、小岩用水が流れていたようで、線路の向こう側には、水路跡らしい続きの道も見えている。小岩用水は、小合溜(水元公園)を水源とする上下之割用水から大堰枠で分水された水路で、昭和22年の地図や「葛西筋御場絵図」からすると、旧佐倉街道は筋違橋で小岩用水を渡っており、その近くから分水された水路が、旧佐倉街道に沿って流れていた。

踏切を渡って、さくらみちに因んだ桜並木の道を進み、少し先で北総線のガードをくぐる。柴又五の交差点を渡り、柴又街道を左に行き、再び北総線のガードくぐると新柴又駅の北口に出る。駅前の広場に置かれている案内板を確認し、広場右手のコンビニの横を入る。東柴又小を右手に見て進めば、左側に柴又七福神・大黒天の宝生院がある。

大黒天から先、北に向かって進み、突き当りにある標識Bの右側の道を進む。その次の角で、標識Bをもとに、左斜め前方の細い道に入る。昭和22年の地図によると、この道は、小岩用水から分水し京成金町線柴又駅の北側を抜けてきた水路で、「葛西筋御場絵図」にも記載されている用水路の跡らしい。ひかり学園の横を通って先に進むと道幅が広がり、柴又街道を渡ると程なく柴又駅前に出る。柴又の帝釈天の参道は、この用水路を帝釈橋で渡っていたらしく、駅前の参道の傍らには小さな水路と橋が造られている。

柴又駅前から帝釈天の参道を進み、柴又街道を渡って、また参道を歩く。参道には食事処や土産店が並んでいるが、先を急ぐので、今回は素通りとなる。

参道を抜けると柴又帝釈天・題経寺がある。参拝を済ませて、寺の北側の道を右に行き、江戸川の土手に出る。

土手の上から江戸川を眺めてから、土手を下りて矢切の渡しに行く。今日は、矢切の渡しを渡る人は居ないようだ。


土手を下りたところに向かい合って置かれている、矢切の渡しの案内板と柴又公園の案内板を確認し、これにて、コースは終了となる。そろそろ日も傾く時間ゆえ、水元公園までの延長コースは取りやめにする。

帰りは、江戸川の土手を下流(南)に向かって進み、葛飾柴又寅さん記念館の屋上を土手と一体化した柴又公園に出て、北側の階段を下り、山本亭の門の前から、道しるべに従って歩く。程なく柴又駅に到着。次に来る時には、柴又七福神めぐりを兼ねて歩いてみたい。

コメント

砂町葛西瑞江コースを歩く

2014-04-10 19:12:15 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「砂町葛西瑞江コース」は、「砂町しおかぜ散歩(南砂町~西葛西4丁目)」、「葛西さざなみ散歩(西葛西4丁目~葛西臨海公園)」、「古川せせらぎ散歩(西葛西4丁目~瑞江大橋)」、「一之江名主屋敷散歩(瑞江大橋~瑞江駅)」の4区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は14.9kmになる。

(1) 砂町しおかぜ散歩

南砂町駅の南砂三丁目公園出口から外に出る。公園内に置かれている案内板を確認して北に向かい、北側から公園の外に出て左に、丸八通りに出て右に折れる。この近辺は江戸時代に砂村新田とよばれた場所で、南側には海が迫っていた。明和の頃、洲崎の弁天から砂村新田に至る海中に波除の杭を打ち込んで土手を作り、塩田を目的とした平井新田が造成される。この塩田は、寛政4年の「分間江戸大絵図」にも記載されており、土手に囲まれた区画を塩浜と記し、その西側に水門を設けて潮を入れる製塩の施設を記載している。しかし、思ったほど塩が生産されなかったらしく塩田は廃止され、その跡地は抱え屋敷や町並屋敷となる。明治になると屋敷地も草地へと変わり、やがて元の干潟へと戻ってしまう。今は、埋め立てが進んで海岸線も遠ざかり、点在する運河の水面のうちに、海だった頃の風景を想像するだけである。

丸八通りを右側の歩道で北に向かい、葛西橋通りを渡るとすぐ、旧砂町橋に出る。橋の下には、大正時代に小名木川から横十間川の間に開削された砂町運河が流れていたが、今は埋め立てられて仙台堀川公園になっている。橋の手前を右に入り公園を東に向かうと、少し先で公園は左に曲がっていく。ここを曲がらずに東南の角から外に出るのがルートだが、今回は左に行き、区指定の有形文化財になっている大石家住宅を見に行く。この住宅は、江戸時代後期の半農半漁の民家を移築復元したもので、文化財ウイークにおける古民家めぐりの対象にもなっている。

仙台堀川公園を出て右に行き、葛西橋通りに出て左に行く。歩道橋の手前を右に入り、標識Bを確認して右側の歩道で先に進む。その先、南砂元八幡通りの交差点で標識Bにより左に入るのがルートだが、今回は少し先の元八幡交番前の交差点を右に入って富賀岡八幡に行く。この神社が預かっていた八幡像を深川の富岡八幡に戻したことがあり、その故か、この神社は富岡八幡の旧地とされ、元八幡と呼ばれるようになったという。寛政や文政の「分間江戸大絵図」では、この神社を水神社と記しているが、弘化や安政の「御江戸大絵図」では、元八マンと記しており、「江戸名所図会」でも砂村の海辺に元八幡宮ありとして挿絵を載せているので、天保の頃までには元八幡宮の名が定着していたと思われる。弘化や安政の「御江戸大絵図」によると神社の前は寄洲で、「江戸名所図会」や広重の「名所江戸百景」に描かれているように、海の眺めは良かったに違いない。

神社裏手の富士塚を見てから、南砂元八幡通りの交差点に戻って東に向かい、次の信号で左に折れ、葛西橋通りに出て交差点の手前を右に行く。荒川の土手に上がり、右側の歩道で葛西橋を渡るが、歩いて楽しいとまでは言い難い。その日の天候次第では、渡るのを止めた方が良いかも知れない。それでも何とか、橋を渡り終えて、葛西橋東詰の交差点を渡り、標識Bにより左に折れて船堀街道を北に向かうと、行船公園に出る。公園に沿って先に進み、その先の角を右に折れて公園内に入ると、左側に案内板がある。

公園を通り抜ける前に、左側の平成庭園を見ておく。今回は割愛したが、公園内には入場無料の動物園もあって、規模の割には中身の充実した公園である。公園から宇喜田通りに出て右に折れて葛西橋通りに出る。ここを渡って左に行き、右前方の新田仲町通りに入るのがルートだが、歩道橋を渡ってもよい。新田仲町通りを左側の歩道で進むと、西葛西駅に出る道を右に分ける丁字路に出る。“砂町しおかぜ散歩”はここで終わりとなり、“葛西さざなみ散歩”と“古川せせらぎ散歩”に分岐する。その事を示す標識Aが丁字路の近くに置かれている。

(2)葛西さざなみ散歩

丁字路を右に折れ、虹の道と呼ばれる通りを左側の歩道で進んで行くと西葛西駅に出る。駅北口の広場の右側に置かれている案内板を確認し、駅の南側に出て先に進むと、西葛西六第三の交差点に出る。交差点を渡って右に行き、江戸川区球場に沿って進み、都道450号を信号で渡るのが本来のルートだが、ここは、交差点の手前で右に渡って、江戸川区球場前歩道橋を渡る方が良い。

歩道橋を渡り終えた先は、敷石を敷き詰めた緑道が南に向かって続いており、その左側は自転車専用道になっている。左手の江戸川区球場の横を通る、都道450号・新荒川葛西堤防線は昔の海岸線に相当しており、その西から南に広がる清新町や臨海町は、海を埋め立てて土を盛った造成地という事なる。それゆえ、これから先は、以前、海だった場所を歩いて行く事になる。

緑道を南に進み、途中の標識Bを確認して先に進むと、左側にトイレがある。すぐ先を左に入る道があり、ここを入って下っていくと新長島川親水公園に出る。ここは長島川の河口にあたり、清新町が造成された時、一時的に入江の様になっていた場所だが、これを改修して新長島川親水公園としたという。

新長島川親水公園を先に歩いて行くと新左近川親水公園に出てしまうので、その手前を右に上がり、緑道・自転車道に戻る。南に進み、右に下って行く新左近橋への道と分かれて、左側の道をたどり、葛西かもめ橋を渡る。橋の上から眺める新左近川は池のようだが、清新町と臨海町を造成した時に、残された右近川河口の西側の海面を水路とし、周辺を親水公園として整備したもので、川とは言うが、実は川ではない。

葛西かもめ橋を渡り終え、その先で、右側の臨海町緑道の方に移る。この緑道を南に進み、臨海球技場に上がる階段を過ぎた先で左に行き右に上がって臨海橋に出る。橋を渡り京葉線の下をくぐると葛西臨海公園に出る。大観覧車に向かって進み、標識Bの手前の広い道を左に行く。ホテルを右にして先に進めば、右側に案内板が置かれている。

案内板の先を左に行けば葛西臨海公園駅で、葛西さざなみ散歩は終わりとなるが、御用とお急ぎのない方は、海を眺めながら散策するも良し、水族園や鳥類園に行くのも良し、観覧車に乗るのも良しである。

(3)古川せせらぎ散歩

丁字路で西葛西駅方面への道を右に見送り、十八軒川の跡という新田仲町通りを進んで、葛西中央通りを渡ると、その先、葛西親水四季の道という緑道に出る。妙見島近くの旧江戸川から流れてきた長島川の跡を親水緑道としたもので、十八軒川はこの地点で長島川に合流していた。標識Bにより四季の道を左に進んで行くと、長島一号公園に出る。ここを過ぎて五差路を左に行くが、この通りを三角葛西通りといい、新川から分かれた三角川の跡という。

葛西橋通りを歩道橋で渡り、その先の角を標識Bにより左折すると、南北に細長い宇喜田東公園に出る。公園に入って北に進み、公園が終わったところで右に行き、三角葛西通りに出て左に行くと、新川に架かる新川橋に出る。新川は行徳の塩を江戸に運ぶための航路で、大正時代になるまで川には橋が無く、舟で対岸に渡るようになっていた。新川橋の西側にあったのが三角の渡しで、三方に渡る事から三角の名が出たという。

この地を文政5年に訪れた村尾嘉陵の紀行文によると、三角の渡しを渡って南に進んだところに堤があり、堤の内側には百余戸の家が見えたが、堤の外は芦が生い茂って海も見えなかったという。この堤は、新川から分かれて海に注いでいた宇喜田川の分流である十八軒川の堤と、それに続く堤と思われる。「葛西筋御場絵図」によると、この堤は江戸川沿いの堤につながっており、本来は海岸堤防の役割をしていたようである。現在の新田仲町通りは、この堤があった位置に相当している。
(注)当ブログのカテゴリー「江戸近郊の小さな旅」のうち、29に関連記事あり。

新川橋を左側の歩道で渡って、通りを右に渡り、右側の道を入って先に進むと古川親水公園に出る。古川は、新川橋から東側の水路が開削される以前の航路で、戦後はドブ川と化していたが、その後、水路全体を庭園風に整備し、旧江戸川から取水して濾過した水を流すことによって生まれ変わり、日本最初の親水公園となる。

親水公園内の案内板を確認して先に進むと環七に出る。歩道橋を渡って左に行き、親水公園の続きを歩くと、やがて、園内に流す水を浄化する浄水場で親水公園は終わりとなる。浄水場の先にある標識Bにより左に折れるのがルートだが、この付近にあった筈の区指定文化財の宇田川家長屋門が見当たらない。いつの間にか取り壊されてしまったらしく、プライスレスの価値は消滅してしまっている。仕方が無いので、標識Bに従い左に行き、その先の角を標識Bにより右に行く。程なく、洪水対策として開削された新中川に出て、古川せせらぎ散歩も終わりという事になる。

(4)一之江名主屋敷散歩

新中川に沿って歩き、新今井橋の下を潜ってから上がり、先に進むと瑞江大橋となる。左へ行けば一之江駅に出る。橋近くの信号を渡れば橋際に案内板が置かれている。新中川沿いに進んで、右側の歩道で明和橋を渡る。この先の信号で左側の歩道に移るのが本来のルートだが、今回は右側の歩道を歩く。少し先の右側に瑞江公園があり、その先の信号を渡ると役者寺とも呼ばれた大雲寺がある。

大雲寺の前を左に折れて、椿通りと言う名の道路を右側の歩道で北に向かい、高速道路を潜る。左側の歩道に移って、その先のスーパーの手前を左に入り、突き当りを右に行くと一之江名主屋敷に出る。一之江新田を開拓し代々名主を務めた田島家の屋敷で、都指定の史跡になっている。この地区は、椿が多かったため椿と呼ばれ、明治になると村名も椿村となる。今は地名も春江町に変わったが、通りの呼称に椿の字を残している。

一之江名主屋敷は公開されているので、長屋門のほか、曲り屋造りの主屋、屋敷林や堀跡などを見てから外に出る。屋敷に沿って北に行き、角を右に行き椿通りに出て左折、次の信号を右折して弥生公園を過ぎ、その先の信号を渡って右折し、瑞江駅西通りを左側の歩道で進む。高速道路の下をくぐり、先に進んで、標識Bにより瑞江駅の交差点を左に入ると、瑞江駅南口に出る。これにて、コースは終了となる。

コメント

文京区・緑のウオークラリー

2014-04-03 19:04:08 | 緑と水辺の散歩道
歴史と文化の散歩道のうちの池袋コースと、コースの一部が重複している文京区の「緑のウオークラリー」について、花見を兼ねて歩いてみたので、「緑の散歩道」というカテゴリーを新設したうえで、投稿することにした。



江戸川橋から高戸橋まで、桜は途切れることなく続いている。江戸川橋公園の入口近くにある「緑のウオークラリー」の案内板をデジカメに記録してから、神田川沿いの道を歩き始める。桜は満開。すでに散り始めてもいる。散り急ぐのはソメイヨシノの宿命だが、よく見るとツボミも未だ残っている。座って花を見る人、歩いて見る人、橋から見る人。今日ばかりは、関口の大洗堰のモニュメントも影が薄い。

椿のフェンスの先、椿山の地名を受け継いだ椿山荘の冠木門の前に、人だかりがしている。この時期、椿山荘は予約で満杯なのだそうである。その隣の芭蕉庵は表門を閉じて、ひっそりとしている。胸突坂の下の入口から入ると、芭蕉好みかも知れぬ小さな庭が出迎えてくれる。池に落ちる水は湧水の筈だが、今日は思いのほか水量が多いように見える。

水神社の公孫樹の大木を仰ぎみてから、神田川を覗き見る。両岸から桜が枝を伸ばしてはいるものの、白と黒だけの彩の無い川の風景。護岸のコンクリート壁だけが目立って見える。川を覗き見ることにも飽きて、川沿いの道とも分かれ、新江戸川公園の塀に沿って歩く。

塀が尽きたところに、緑のウオークラリーの案内板がある。コースは、ここを右に曲がって幽霊坂を上がって行くようだが、その前に新江戸川公園に入ってみる。

公園内には倒木が幾つかあるらしく、あちらこちらが通行止め。永青文庫に通じる道も閉鎖になっている。今しか撮れないかも知れぬ景色を探して、歩けるところだけを歩く。池には湧水がある事になっているが、今もあるのだろうか。

もはや御用済みらしき警官詰め所を過ぎると、幽霊坂の上りとなるが、昼なお暗い急な坂を敢えて上る必要もないので、目白台運動公園に通じる坂道の方をたどる。上には広いグラウンドがあり、公園の片隅では花見をしているグループもある。旧田中邸が公園のどの部分に相当するかは知らないが、知ったところで何の役にも立たぬに違いない。

運動公園を出て、目白通りを右に行く。幽霊坂を上がってくる道を一瞥し、和敬塾を過ぎると、道はやや右に曲がっていく。右側、講談社・野間記念館の入口を過ぎると、左側に東京カテドラルが見えてくる。椿山荘の前の歩道橋を渡り、東京カテドラルの右側の道を入る。やがて、鳥尾坂の急な下りとなる。

鳥尾坂を下りて行くと左側に関口台公園があり、坂の下に緑のウオークラリーの案内板がある。コース図を参考に、高速道路の下を潜って音羽通りに出る。ここを左に行き、大塚警察署前の信号を渡り、渡った先の坂を上がる。この坂が、池袋コースとの共通区間になるが、道幅の割には無名に近い坂である。一応、付属横坂という坂名もあるらしいのだが、知られてはいないのだろう。利用者が限られている坂に、名前などは必要無いが、訪れる人が多くなれば、誰かが坂の名を使い始める。そのうちコクリコ坂という名が定着するかも知れない。

切通しのような坂道を上がり、新大塚公園を過ぎると、程なく春日通りに出る。交差点を渡って左斜め前方の道を進み、二つ目の角を右に行き、教育の森公園に入る。桜並木の中を進めば、窪町東公園に出る。右へ行き春日通りを渡れば茗荷谷駅はすぐ。緑のウオークラリーは距離して3kmほどだが、コース途中にアップダウンがある。
コメント