夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

稲荷百社詣その十二

2007-12-30 11:02:19 | 稲荷百社詣

(33)隅田稲荷 (墨田区隅田4)★

 東武線を鐘ケ淵で下車。荒川と鐘ケ淵通りの間の道は迷路のようで、なかなか隅田稲荷に行きつかない。人に道を尋ねるのも面倒なので、前を歩いている7,8人の集団の後について行く。すると突然、墨田稲荷の横に出た。この稲荷、土地の開拓者にちなんで善左衛門稲荷とも言い、万燈神輿で知られているらしい。人影の無い境内で一休みし、また元気を出して出発。そう言えば先ほどの集団はどこへ行ったのだろう。

(34)三輪里稲荷 (墨田区八広3)★

 八広中央通りから、看板に従って小路を入ると三輪里稲荷。別名こんにゃく稲荷で、のどの病に効くと言う御符を授与しているらしい。単なる御符が咳に効くわけはないが、偽薬のような効果はあるのだろう。ただし、信じなければその効果はないわけで、今回のところは御符をいただくのを止めにして、賽銭だけで済ますことにした。帰りは稲荷社の正面と思われる所から外に出て、来た時とは別の道を歩く。が、たちまち道に迷ってしまった。胡散臭そうにこちらを見ている視線を避けるように、足を早めて角を曲がり、また角を曲がって、漸うのことで八広中央通りに出る。稲荷巡りの面白さの一つは迷路の楽しみだが、こちらの風体のせいか、近頃は住民から不審者と思われる事が多い気がする。

コメント

稲荷百社詣その十一

2007-12-29 10:50:02 | 稲荷百社詣

(30)榎戸稲荷 (墨田区業平5)★

 この稲荷の鳥居は道路に向って立っているが、何故か玉垣が邪魔をしている。ジャンピングシューズがあれば玉垣を跳び越せるのだが、仕方が無い。今日のところは東側の入口から入る事にした。お稲荷さんのついでに、お不動さんにもお参りしてから立ち去る。

(31)天祖神社の太郎稲荷 (江東区亀戸3)

 亀戸七福神の福禄寿を祭る天祖神社にある稲荷。神社に稲荷が祭られているのは珍しくはない。この稲荷は入谷の太郎稲荷を移したものというが、この辺りに古墳があったと言う説もあり、稲荷に名を借りた古墳の主に詣でている可能性もある。ま、いいか。

(32)石井神社 (江東区亀戸4)★

 以前から咳が止らないので、咳に効き目ありと言う亀戸の石井神社(おしゃもじ稲荷)に行ってみた。が、どこで察知したのか三毛猫をリーダーに猫の集団が待ち構えていた。中に立ち入るなと言うメッセージだろうと勝手に判断し、大人しく退散。

コメント

稲荷百社詣その十

2007-12-26 19:24:21 | 稲荷百社詣

(27)榛の木稲荷 (墨田区両国4)★

 両国駅の南側に、本所に居住する武士の弓馬の稽古を目的とした馬場があったという。この馬場にあった稲荷がこの榛の木稲荷である。勝海舟はこの辺を遊び場にしていたらしいので、勝海舟の馴染みの稲荷ということになる。稲荷を介して遠い日の勝海舟に挨拶してから、次の稲荷へ行く。

(28)駒止稲荷 (墨田区横網1)

 国技館の北側にある旧安田庭園の中にある稲荷で、洪水の隅田川を馬で乗りきった阿部豊後守が、この場所に駒を止めた事から、この名が出たと言う、まことしやかなお話がある。稲荷に対決するような位置に駒止石という石が置かれているが、駒止石が先で稲荷は後から祭られたらしい。単なる境界石でも時代が経てば有難い石になるってわけだ。とはいえ、ここの稲荷は、隅田川の治水の要になっているやも知れない。決して粗末には出来ないと言うことで、隅田川の安全を稲荷に祈願。ついでに石の方にも頭を下げておく。

(29)徳之山稲荷 (墨田区石原1)★

 この稲荷は、本所築地奉行をつとめた徳山五兵衛の屋敷稲荷であったという。五兵衛は日本左衛門こと浜島庄兵衛を捕らえ、屋敷内で処刑したといわれ、境内には日本左衛門首洗井戸跡の石碑も建っている。この稲荷は日本左衛門供養の役割を担っていたようだが、後に本所開拓の功績があった徳山五兵衛も合祀してしまったから、呉越同舟の稲荷ということになる。どうも妙な稲荷である。ひょっとして、徳つながりの元徳餅を供えると、何か良い事があるのかとも思ったが、わざわざ買いに戻る気もしないので一礼して辞す。

コメント

稲荷百社詣その九

2007-12-23 09:57:01 | 稲荷百社詣

(22)猿江神社 (江東区猿江2)★

 源義家の家臣、猿藤太がこの附近の入り江で亡くなり、祠を建てたのが、猿江と言う地名の起りだと言う。猿江稲荷はこのことに因んだものだが、現在はもっぱら神社と称し、稲荷社を道路の向こう側に追い出している。これでいいんだろうか。

(23)榎稲荷 (墨田区立川4)

 この稲荷は菊川小学校の西側にある。この辺りは戦争の被害が大きかったところだと言う。稲荷の境内の樹木は、その事を記憶しているかも知れない。粛として通過。

(24)元徳稲荷 (墨田区立川3)

 竪川に架かる三の橋の近くに元徳稲荷がある。元は名主徳右衛門の拝領地にあった稲荷で、その事から元徳稲荷になったのだと言う。実は、この稲荷に因んで、近くの菓子店で売っている元徳餅を買おうと思っていたのだが、この時はそれらしい店舗が見当たらなかった。店を探してでも求めるべき銘菓なのかも知れないが、まあ、いいか。

(25)五柱稲荷 (墨田区緑4)

 江東橋の近くに稲荷があった。五柱稲荷とある。歩き疲れたので稲荷社の片隅で休むことにした。すると、どこから現れたか、サラリーマン風の男が話しかけてきた。

『時の鐘が鳴らないうちは、のんびり出来ますよね』
『え?....』

 確か稲荷社の向いに、時の鐘屋敷があったらしいが、それは江戸時代の話じゃないか、と思っているうちに話題は変って仕舞ったらしい。仕方がないので、適当に相槌を打っていると、そのうち、じゃぁとか言って、さっさと行ってしまった。何の話をしていたのかまるで記憶にないが、一時の話し相手としての役割は果たせたんだろう。もっとも、お稲荷さんだって、参詣者の話をいつも聞き流しているに違いないのだが、それでも、ちゃんと祭られているのだから同じようなものだ。だいたい、稲荷にとって関心のあるのは稲荷の事であって、人間の事じゃない。狐は狐の事にしか興味は示さないし、猫は猫の事だけで精一杯だ。それでも、話かければ、話を聞いて呉れて居るように錯覚するんだな。だからさ、他人であれ、稲荷であれ、狐であれ、話し掛けるって訳だ。そうだよな。三毛猫にだってさぁ。え、三毛猫?!....。あれ、お前、何時からここに?!

(26)永倉稲荷 (墨田区緑4)

 総武線の車窓から見える永倉稲荷に行く。この稲荷の下に町内会が居させて貰って居るのか、お稲荷さんを屋根に祭り上げてしまったのかは知らないが、お参りするにも他人様の屋根の上に勝手に上がってしまうようで、気がひける。それに、土の上にないお稲荷さんのパワーは大分減っている筈だから、ご利益もあまり期待できそうにもない。まぁ、この土地の人には大事なお稲荷さんかも知れないが、他所者は触らぬ方が良さそうだ、と言う訳で写真だけ撮って、さよなら。

コメント

稲荷百社詣その八

2007-12-17 22:23:00 | 稲荷百社詣

(17)津軽稲荷 (墨田区錦糸1)(写真)★

 長崎橋跡の交差点で信号の変るのを待つ。通りの向うは津軽稲荷。駅北側の再開発が行われた今となっては、場違いな存在にすら見える。その風景の中に荷を担いだ老人がそろりと入り込み、稲荷社の中にすうっと消えた。一瞬どうしようかと思ったが、緑に変った信号に急かされて、その後を追う。この辺りは弘前藩津軽家の中屋敷があったところで、ここの稲荷は屋敷内にあったものが残ったものだと言う。境内は稲荷としては中ぐらいで、外界とは隔絶した空間を形作っている。息を整え心を少しだけ落ち着かせてから、社殿に軽く頭を下げる。それから外に出ようとして、先程の老人の姿が見えない事に気が付いた。周りを見回すと、集会場らしい建物の入口が見えた。多分、町内の寄合いか何かがあるのだろう、そう思う事にした。

(18)千種稲荷  (墨田区錦糸4)

 錦糸公園の入り口近くに稲荷社がある。元は大名屋敷にあったというが、『史跡』とあるだけで子細は何も記されていない。ともかくお賽銭でもあげようかと中に入る。その途端、祠の後で人の動く気配がした。どうやら講中の人が時折掃除をしに来るらしい。声を掛けて史跡の由来でも聞こうかと思ったが、千種講に誘われても困るなと思い直して止めにした。余談だが、この時撮った写真は使い物にはならなかった。

(19)鎮守稲荷 (墨田区江東橋2)

 名前からすると、この辺の鎮守だったのだろうが、場所柄なのか時節柄なのか、その割には手入れも行き届いていないように見える。一応、頭を少しだけ下げて、そのまま通り過ぎる。

(20)田螺稲荷 (墨田区江東橋3)

 この地に大火があった時、無数の田螺が池から現れて類焼を免れた事が、この稲荷の由来という。田螺が火を防ぐ様子は想像しにくいが、詮索するような事ではないのだろう。常日頃、火を出さぬよう心がけるべく、一礼して通り過ぎる。

(21)清昌稲荷 (墨田区江東橋3)

 江東寺が、江東楽天地の中心として広壮な敷地と壮麗な本堂を持っていたなら、この清昌稲荷も、こんな狭い場所に押込められずに済んだかも知れない。この稲荷にとって、寺の脇はあまり居心地の良い場所ではなさそうだ。ざっと拝んで、賽銭の方は江東寺の賽銭箱に代理徴収をお願いすることにした。

コメント

稲荷百社詣その七

2007-12-15 15:19:00 | 稲荷百社詣

(14)千束神社 (台東区竜泉2)(写真) ★★

 「八月二十日は千束神社のまつりとて山車屋台に町々の見栄をはりて土手をのぼりて廓内まで入りこまんず勢ひ、若者が気組み思いやるべし....」

 樋口一葉の「たけくらべ」の世界はすっかり消え去ってしまったが、その微かな記憶が千束神社(千束稲荷)には残っているような気がする。賽銭をあげてから、暫くは、祭の音が聞こえてこないか耳を澄ましてみる。でも、聞こえるのは猫の鳴き声だけ。

(15)玉姫稲荷 (台東区清川2)★★

 この稲荷に行くのであれば、「こんこん靴市」の日がオススメである。普段は閑散としている稲荷神社も、この日ばかりは、近隣の靴メーカが所狭しと店を出し、境内は買い物客でごったがえしている。皮革関連商品を安く販売するのが、このイベントの主旨とはいえ、靴市だけ覗いて帰るわけにはいかない。最初に稲荷神社を参拝するのが礼儀だろう。その後、何か面白そうな靴がないかと見て回る。すると、ジャンピングシューズのような靴を見つけた。値段が折合わないのと、サイズが合わなかったので止めにしたが、買っておけば良かったかも知れない。

(16)真崎稲荷(荒川区南千住3)★

 江戸稲荷番付では関脇をつとめる繁盛した稲荷である。ここの名物は田楽で、茶屋が軒を並べていたという。場所的に吉原の連絡口としても便利だったらしい。今は石浜神社に間借りしているような有様で、当時の面影はなく、真崎稲荷としてより、浅草七福神の寿老人として参詣する人の方が多いのかも知れない。境内に招来稲荷という祠があったので、念のため、おいでおいでと唱えてみたが、狐は勿論、猫すら現れない。仕方なく外に出ると、それを待っていたかのように一台の車が急発進した。こちらを見張っていたのだろう。

コメント

稲荷百社詣その六

2007-12-10 20:13:26 | 稲荷百社詣

(10)石塚稲荷 (台東区柳橋1)(写真)

 総武線の車窓から小さな社を見つけたので浅草橋で下車して行ってみると、やはり稲荷社だった。この社に柳橋芸妓組合の名を見つけ、ひょっとして組合員でも来ないかと、しばらく待ったが、通るのは車だけ。三味の音すら聞こえないので、諦めて立ち去る。

(11)篠塚稲荷 (台東区柳橋1)

 浅草橋の駅から少し歩いたところに稲荷社があった。この稲荷を信仰していた篠塚伊賀守に因んで、篠塚稲荷の名がついたと言う。伊賀守のことは知らないが、手入れが行き届いているところをみると、この辺の人には相応のご利益があるらしい。一礼して賽銭の方は近隣の人任せ。

(12)草分稲荷 (千代田区神田佐久間町4)

 この稲荷は総武線の脇の小公園にあり、板倉主計頭の屋敷稲荷であったものを、町内会の手で復興した稲荷と言う。江戸時代は屋敷内の稲荷でも、町民の参詣が許される事があったが、この稲荷もそうだったのかも知れない。だから、町内会が引き継いでも、それはそれで構わないのだろう。ひとまず頭を下げて、近くのベンチで一休み。

(13)金綱稲荷 (千代田区神田和泉町)

 総武線からも見える稲荷だが、草分稲荷を出て近くのガードから向こうを見ると、金綱稲荷の赤い幟が見える。稲荷社の中には由緒書きが掲げられているが、長文なので読むのを諦め、外に出る。要は日通のお稲荷さんという事なのだろうな。

コメント

稲荷百社詣その五

2007-12-09 21:54:27 | 稲荷百社詣

(7)妻恋神社(文京区湯島3)★

 妻恋神社は、ヤマトタケルが入水したオトタチバナ姫の事を嘆いたという伝承にもとづいて創建され、その後、倉稲魂神を合祀して妻恋稲荷となる。この稲荷は関東総司を名乗っているが、それは寺社奉行裁定で妻恋稲荷が関東総社と認められた事に由来する。しかし、世間の見方はこれとは異なり、関東を束ねるのは王子稲荷と思われていたらしい。妻恋稲荷も江戸稲荷番付で行司の役をつとめる稲荷ではあったが、勧進元をつとめ江戸随一と称された王子稲荷に、人気の点では及ぶべくも無かったのだろう。妻恋稲荷も夢枕の専売など手を打ってはいたようだが、それでも王子稲荷には敵わず、今では関東総社を自称して多くの参詣客を集めている王子稲荷に比べて、妻恋神社の方は境内も狭く閑散としていて、稲荷の祠も分離されている。とりあえず型どおりの参拝を済ませたが、本当は、公認の関東総社であったこの稲荷を、稲荷詣の最初に参詣すべきだったかも知れない。

(8)神田明神の稲荷(千代田区外神田2)

 神田明神の裏に回ってみると、やはり稲荷があった。末広稲荷と言い、意外と立派な鳥居が建って居る。この稲荷は神田明神が創建される以前から、この地にあったらしい。近くには江戸城内にあったと言う浦安稲荷も鎮座している。また金毘羅社との合祀ながら三宿稲荷も祭られている。神田明神は表の顔で、裏の顔は稲荷だったかと思いつつ、礼を失しないよう参拝してから外に出る。

(9)講武稲荷 (千代田区外神田1)

 秋葉原の電気街の一角に小さいが存在感のある稲荷が祭られていた。講武稲荷の名は武道練習所として幕府が開いた講武所に因んだものらしい。詳しくは稲荷社の前にある由緒書におまかせ。賽銭の方も近くの電気店が出す筈なので、そちらに任せて通り過ぎる。

コメント

稲荷百社詣その四

2007-12-03 19:06:40 | 稲荷百社詣

(5)柳森神社 (千代田区神田須田町2)★

 秋葉原の電気街を抜けて神田川を人道橋で渡り、道路から一段低い所にある柳森神社に詣でる。この社は太田道灌が江戸城改修の折に鎮護の為に設けたもので、稲荷社ではあるが、福神としての狸も祭っている。今回は狸を横目に狐の方を参拝。やはり、お狸さまにも挨拶しておくべきだったかな。

(6)繁栄お玉稲荷(千代田区岩本町2)

 昔、この辺りに桜が池という池があり、お玉という茶屋の娘がこの池に身を投げたことから、鎮魂のため祠が建てられた。この祠がお玉稲荷で、池も何時しかお玉が池と呼ばれるようになった。その後、お玉が池は埋め立てられ、その土地に北辰一刀流の千葉周作が剣術道場を開いたこともあって、神田お玉が池の地名は広く知られるようになった。現在は、お玉が池の地名はなくなり、お玉稲荷も目的を繁栄に変えて、ビルの傍らに鎮座している。江戸の名残としての稲荷にちょっと頭をさげ、何事もなかったように通り過ぎる。

コメント

稲荷百社詣その三

2007-12-02 09:28:12 | 稲荷百社詣

 (2)三崎稲荷 (千代田区三崎町2)★★

 古くからの稲荷社で、この辺の地名から三崎と称したという。江戸時代以降、何度か移転させられ、ようやく現在地に落ち着いたという事だが、これも稲荷の宿命だろう。この稲荷、江戸稲荷番付では小結をつとめる人気の稲荷であり、旅の安全祈願のため参勤交代の大名も必ず立ち寄ったという。まずは、これから先の稲荷詣の安全を願って拝礼する。終わって外に出ると、入れ替わりに背広姿が三人。どこか長旅にでも行くのだろうか。

 (3)出世稲荷 (文京区本郷1)

 後楽園近くの、地下鉄が地上に出る辺りに、春日の局の拝領地に祭られていたという稲荷があった。この稲荷、春日の局の出世に因んで出世稲荷の名をつけているが、今はひっそりとして、幟がなければ気づかずに通り過ぎてしまうだろう。鳥居の前で写真を撮っていると、年配の紳士がすっとやってきて、何やらメモをとり始めた。邪魔にならぬよう横にどいて、社殿に向かって一礼、そっとその場を立ち去る。

 (4)沢蔵司(たくぞうす)稲荷(文京区小石川3)★★

 善光寺坂の途中にある稲荷で、江戸稲荷番付では行司役を務めている。むかし、伝通院の修行僧であった沢蔵司が、ある夜、伝通院廓山和尚の夢枕に立ち、自分は稲荷大明神であり、今からは当山を守護すると告げた事から、山内に稲荷神として祭ったという伝説がある。修行僧であったころの沢蔵司は、近くの店に時折そばを食べに来たが、帰ったあと代金の中に木の葉が混じっていたので、店の者が後を付けると祠の中に消えてしまったという話もある。境内は緑が多く、落ち着いた気分で参拝が出来る。参拝のついでに、社殿の右手を下って鳥居の列に潜りこみ、狐穴とおぼしき場所へ行ってみた。が、写真撮影の際のフラッシュがまずかったようで、上の方で話している声が聞こえた。

『近頃は賽銭を入れないし、頭も下げないし、マナーが悪くなりましたね。』
『それに、神仏にみだりにカメラを向けるべきじゃないのですよ。』

 そうは言っても写真を撮らないことには、と思ってはみたが、一応ばつが悪そうな顔をして速やかに退散。道路中央に鎮座する神木の脇をすり抜けて坂を上がる。帰りに伝通院近くの蕎麦屋に寄る積りだったが、それも取りやめ。写真はちゃんと撮れたのだろうか。

コメント