夢七雑録

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カフカ「変身」

2018-07-21 16:37:42 | 私の本棚

むかし読んだことのあるカフカの「変身」が、100分de名著の一つに入っていることを知り、私の本棚では今や最古参になっているかも知れぬ、その本を探し出してみた。本の裏表紙にインクで書かれていた自分の名前が妙に懐かしかった。

【書誌】

書名「審判・変身・流刑地にて」。現代世界文学全集7。カフカ著。

大山定一ほか訳。新潮社。1954発行。¥350。

この本には、カフカの作品である、「審判」「観察」「変身」「兄弟殺し」「流刑地にて」「断食行者」「支那の長城がきずかれたとき」「橋」「或る犬の回想」が収められているが、「変身」以外の作品の内容は覚えていない。「変身」は、家族を養うために働いていた主人公が、こんな仕事は辞めてやろうと思ったのがきっかけで、虫に変身してしまい、家族からも見捨てられるという話だが、この小説を最初に読んだ時には、死んだ主人公を虫として処分したあと家族が久しぶりに出かけ、今後の生活について話し合うラストが大事なのだろうと思っていた。この本にはカフカの作品についての解説もあるのだが、当時は、この解説を読まなかったかも知れない。

今回はまず、 この本の解説を読んでみた。この解説では「変身」の主人公が虫に変身した理由について、次のような説明をしている。“現代社会は人間を職業人という歯車の一つとして扱っている。人間が自己自身であることは許されていない。これは掟であり、仕事を辞めてやると思った主人公は、掟破りの罪人として、虫けらのように締め出されてしまう”。カフカは、存在するとは所属する事だと考えていたが、掟を守らなければ社会への所属は許されず、人間として存在すること自体も否定されることになる。

カフカの小説には明瞭なテーマが無さそうに思える。そのせいかどうか、カフカの小説は様々に解釈されているらしい。多様な解釈が可能であれば、その小説は時代や地域を越えて読まれることが容易になる。たとえば「変身」を、現在の日本の状況に合わせて、介護される側と家族、引きこもる側と家族の物語として読むことも出来るだろう。ただ、この小説には救いが無い。カフカは始まりであり、答はもう少し先にあるのかも知れない。

「変身」の主人公とその家族は、カフカとその家族の投影のようになっている。無論、カフカが引きこもり状態になったわけではなく、虫に変身する訳も無いのだが、カフカの書いていた私小説が、人間が虫に変身すると言う着想を得たことで、普通の小説に変化したようにも思えてくる。カフカは繊細で責任感も強かったという。恐らくはストレスもかかえていただろう。ひょっとすると、小説を書く事でストレスを解消していたのかも知れないが。

この本に収められている「観察」はカフカの初期の小品集だが、内容はほとんど忘れていたので再読してみた。この作品は、日ごろ観察したものをかなり変容させたうえで、散文詩のような形にしたものだが、日記の類をブログで公開する際に、個人に関わる部分を出さないようにする場合の範例としても使えそうで興味深かった。

 

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レム「ソラリス」(ソラリスの陽のもとに)

2018-07-15 12:49:59 | 私の本棚

図書館の雑誌コーナーを見ていて、ソラリスという見出しに気が付いた。手に取ってみると、“100分de名著”というNHKの特番のテキストだった。放映は既に終わっていたので、とりあえずテキストを一読したあと、自宅の本棚の片隅に長らく放置されていた文庫本の「ソラリスの陽のもとに」(ロシア語版からの翻訳を後に改版したもの)を探し出して、久しぶりに読んでみた。あらすじについては未だ記憶に残っていたが、個々の文章については、始めて見るような気がした。

 100分de名著のテキストは分かりやすく簡潔に書かれている。ただ、古いテキストの中には品切れのものもある。

【書誌】

書名「ソラリスの陽のもとに」。ハヤカワ文庫SF。早川書房。

スタニスワフ・レム著。飯田規和訳。1979年七刷(1977出版)。¥360。

 

ポーランド語による「ソラリス」が出版されたのは1961年。スターリン死後の雪どけの時代になってからで、この年にはガガーリンが人類初めての宇宙飛行を成し遂げており、宇宙に対する関心が高まった時期でもあった。レムはロシア語版への序文において、人類は宇宙に飛び立とうとしているが、宇宙は地球とは似ても似つかぬ現象で満ちていると思うとし、「ソラリス」を予想や仮定や期待を超えた未知のものと、人類との遭遇のモデルケースの一つとして書いたとしている。

 この小説には、未知の惑星ソラリスについての学問とその歴史について、実際にそのような学問があったかのように、詳細な記述がなされている。多少煩わしいところもあるが、作者が造り上げた仮想の学問なので、理解しようと思わずにそのまま読むしかないのだろう。この小説で多くのページが割かれているのは、ソラリスの海が人の心の内を探って造りだした、“お客さん(人間のそっくりさん)”に関わる話だが、中でもクリスとハリーの物語には心を動かされるところがある。この小説の最後の章では、当時のソ連では使う事がはばかれたという神という言葉が、ソラリスの海に対して使われているが、何故そうしたのか少々気にはなる。

 ソ連の映画監督タルコフスキー(1932-1986)は、この作品を「惑星ソラリス」として1972年に映画化している。タルコフスキーはドストエフスキーの作品の映画化など幾つかの企画を持っていたが、国家映画委員会によって次々と却下され、残ったのは青少年向けの無害な作品と思われていたSF映画(ソラリス)だけだった。タルコフスキーは地球でのシーンを主体とするシナリオを書いたが、これにはレムが反発した(「タルコフスキーの世界」による)。結局、小説の大筋を変えないということで折り合いがついたが、出来上がった映画にはレムの作品に無いものが持ち込まれていたため、レムとタルコフスキーは喧嘩別れすることになった。「惑星ソラリス」は、以前、映画館で見たことがあり、未来都市の設定で日本の高速道路が使用されている事に驚いた記憶があるが、このシーンはレムの小説には無いものである。また、この映画のラストは、主人公の父親の家のシーンになっているが、これもレムの小説には無い。ただ、映画の最後を、レムの小説に沿った映像にしていたら、映画的には、盛り上がりの無いラストになっていた気もする。

 私の本棚には、他のレムの作品として「泰平ヨンの航星日記」「枯草熱」「すばらしきレムの世界2」の三冊があるが、いつか再読することにして、今回は取り上げない。

 

 

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