夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

目白駅から豊島園まで歩く・その1

2020-06-28 18:02:12 | 散歩道あれこれ

都内有数の遊園地であった豊島園が100周年を待たずに今年の8月で閉園するという。豊島園には暫く行っていないので、閉園前に行ってみようと思っていたが、遊戯施設の休業日に、あじさい園が公開されているという事なので行ってみた。また、これに加えて、目白駅と豊島園を結ぶ戦前のバスのルートに沿った散策コースを考えてみた。なお、江戸川橋から清戸(清瀬市)に至る道を清戸道と呼ぶようになったのは明治時代以降のことだが、そのルートは、豊島園までのバスのルートとも重なるところが多い道でもある。

昭和8年の豊島区詳細図によると、目白駅北側の線路上に架かる目白橋の西側が、豊島園へのバスのルートの起点だったようである。昔のバスのルートをそのまま進むとすれば、ここから目白通りを西に向かうことになるが、近辺の公園などに寄り道するコースも合わせて考えてみた。

目白通りを渡って北側の歩道を西に行き、寄り道として、目白庭園の案内表示により右に入り、道なりに北へ向かえば目白庭園に出る。庭園内を見て回ったあと目白通りに戻って西に向かって進み、目白三の交差点に出る。

おとめ山公園を寄り道とする時は、目白三の交差点を南に行き、駐在所を過ぎてその先の四つ角を右に行き次の角を左に、その先を右に入って下っていけば、おとめ山公園に出る。公園は、おとめ山通りの両側にあり、東側には弁天池、西側には湧水のある谷がある。公園内を散策したあと、おとめ山通りを北に向かい二つ目の四つ角を右に少し下って上がり、その先を左斜め後ろに入るとT字路に出る。ここを北に行けば目白通りに出るが、西に行けば中村彝アトリエ記念館に出る。

おとめ山公園に行かない場合、目白三の交差点から目白通りの南側の歩道を西に進むと、中村彝アトリエ記念館の入口表示がある。寄り道する場合は、ここを南に行きT字路を西に中村彝アトリエ記念館に行く。道の左側は林泉園と呼ばれる谷であったが、その面影はない。記念館から元の道を戻るか、記念館の西側の細い道を北に行けば目白通りに出られる。

目白通りを西に行きピーコックの先の交差点を渡り、北側の歩道で西に行く。寄り道として目白の森に行くには、目白病院の先を右に入って次の四つ角を右に行けばいい。目白の森は邸宅跡を緑地として保存したもので、園内を見てから目白通りに戻る。先に進むと郵便局があり、目白通りの向こう側には、七曲坂から上がってくる道の角に子安地蔵尊の祠が見える。

目白通りを西に進むと次の交差点で南側から聖母坂通りが上がってくる。ここで寄り道として、聖母坂通りを車に注意しながら、右側の歩道を進み、二つ目の角を右に入り、案内表示により細い道を南に入れば佐伯祐三アトリエ記念館に出る。記念館から出て細い道を戻り、左、右、左、右へと曲がって北に進めば目白通りで、西に行くと山手通りとの交差点に出る。

山手通りを渡って西に進むと二又交番があり、道が左右に分岐する。左側の道は葛が谷に向かう道であったが、道幅が拡張されて目白通りとなった。一方、右側の細い方の道は練馬方向に向かう昔からの道で、清戸道のルートであり、豊島園に向かうバスが通る道でもあったので、この道を先に進むことにする。なお、この辺りでは清戸道を椎名町通りと呼んでいた。また、分岐点の北側にはダット自動車の営業所があったが、これについては後述する。

先に進むと右側にトキワ荘通りお休み処がある。トキワ荘の名が知られるようになると、通りの名もトキワ荘通りに変えられている。洛西館という映画館があったのは、道を挟んで反対側の辺りだろうか。

その先、右手の奥に子育地蔵の祠がある。その先を右に入ると東側に電話局があり、公衆電話ボックスが設置されていたが、今はマンションになっている。道の反対側にはトキワ荘の玄関に通じる路地があり、漫画家が出版社などに連絡する場合には、電話局側に出て公衆電話を使っていたという。

トキワ荘通りを先に進むと漫画家たちが利用したという中華料理松葉が左側にある。通りの反対側を入ると奥にトキワ荘のモニュメントが置かれている。

先に進むと左側にトキワ荘公園がある。以前は南長崎花咲公園という名称で、トキワ荘のヒーローたちの記念碑が置かれていたが、トキワ荘が復元されたため名称変更したらしい。当初の開館日は3月22日であったが、延期されて7月7日に予約限定の開館となる。

トキワ荘通りを先に進み、岩崎家住宅を過ぎ、長崎銀座の商店街を北に行き、東長崎駅の北口に出る。駅の北側には、日産自動車の前身となる快進社が、大正7年(1918)に建設した工場があった。敷地は6000坪。最盛期の従業員は50~60人。翌年にはダット41型自動車を完成発売している。なおダットの名は出資者の田、青山、竹内の頭文字をとったDATで、脱兎という意味もあったらしい。大正12年(1923)関東大震災が起きるが東長崎の工場は被害を受けず、大正13年(1924)には軍用トラックが陸軍の検定に合格している。大正14年、快進社はダット自動車商会となり、その翌年には合併によりダット自動車製造となる。同社はダット号の試験運用を兼ねて従業員を運んでいたが、地元の要求でバス路線としての認可を受け、ダット41型自動車と軍用試作トラックをバスに改装して使用し、二又交番の近くに営業所を設けていた。しかし、利益が出なかったため、バス路線の業務は、昭和11年(1936)に東京環状乗合自動車に吸収されている。その後、新橋駅~市ヶ谷見附~江戸川橋~目白駅~豊島園の幹線ルートとして運行されたが、昭和17年(1942)には豊島園~練馬車庫~目白駅のルートになった。

 

<参考>「国産車づくりへの挑戦」ほか

 

コメント

100の思考実験

2020-06-15 20:48:48 | 私の本棚

私の本棚の中に読みかけのままになっていた本があった。「100の思考実験」がそれで、今回一通り読んでみた。思考実験とは頭の中だけで想像する実験のことで、哲学や科学に関するものが多いが、この本では一般向けに具体的な内容の100の思考実験が取り上げられている。思考実験は実際には試せないことも試せる利点があり、複雑な要因を取り除いて問題の本質を見極める上で役に立つ方法でもある。この本は、読者に考えさせることを目的としており、100の思考実験について、問題の提示に続けて、考える上で参考となる事柄を解説として記しているが、正解は記されていない。

【書誌】

書名「100の思考実験」。著者 ジュリアン・バジーニ。訳者 向井和美。

発行 紀伊国屋書店。 2012年3月30日。第2刷発行。 

【読後感】

この本は、思考実験について具体的な事例をあげて説明しているので、読むだけなら、ページ数の割に時間がかからないかも知れない。ただ、個々の思考実験について考えるという事になると、そう簡単ではない。本の内容については、個人的に違和感のあるところも無いではないが、各章は独立しているので、興味の無い章は飛ばせばいいのだろう。それでも、考えるには時間がかかりそうである。とりあえず、100の中から思考実験を3件選び、その問題及び解説の要点を記すとともに、個人的なコメントを付記することにした。

 

1.自動政府

(1)問題

「コンピュータが経済を運営することで、経済成長は着実で物価は安定し失業率も低いままとなった。したがって、次の大統領には、全ての決断をコンピュータにゆだねるとした人物が選ばれる筈である。コンピュータが政治を行えば、政治家の質も大幅に向上する。」

(2)解説

「政治の最終目標は人間が指示することになるが、どのような目標を選ぶかは、そう簡単ではない。さらに、何が最善の目標かまでもコンピュータが決めるようになれば、政治家も不要となる。しかし、それは、はるかに難しいことである。」

(2)コメント

グローバル化が進み、世の中が多様化し、現状をまともに把握する事が難しくなっている時代、膨大なデータをもとに実情をより正しく掌握し、様々の政策案に対してシミュレションを行ってくれるコンピュータがあれば、政府もよりまともな政策を実行できるようになるのかも知れない。将来、理想的な政府が実現するか、独裁国家が登場するかは分からないが。

 

AIの世界的権威であるベンゲーツェルは、AIの政治への活用についての質問に答えて、いつの日か善良なAI政治家が生まれる可能性があるとし、人間は時に危険な社会を作ることがあるが、AIは物事をうまくコントロールして人間を助けてくれ、より安全な社会の仕組みを作るのに役立つと答えている(WIRED・AI特集)。AIを推進してきた人物がAIの将来に夢を抱くのは分からないでもないが、楽観的過ぎるような気もする。

 

ホーキングは、AIの潜在的恩恵は大きいとしながらも、人間を超えるAIが、人類の意思と対立する意思を持つようになれば、人類はAIに太刀打ちできず、危険を回避する方法を持たない限り、人類は終りを迎えるとしている(ホーキング「ビッグ・クエスチョン」)。人間には不合理なところがあるが、それが人間らしい点でもあり、合理的な判断をするAIとは相いれないことが起きる可能性がある。たとえば、地球に永遠の平和をもたらす事が正義だとすれば、AIが人類を滅亡させるかも知れないのだ。

 

2.好都合な銀行のエラー

(1)問題

「ATMで100ポンドおろしたら1万ポンド紙幣が出てきた。銀行口座の引落額は100ポンドになっていて、銀行からの電話もなかったので、1万ポンドは自分の懐に入れた。」

(2)解説

「小さな店で釣銭を多く受け取ったら返すが、1万ポンドは銀行にとって小さな損失に過ぎないので返さなくても良いと考えてしまう(自分に都合の良い考えに傾いてしまう)。」

(3)コメント

中学生の頃だったか、近所の本屋で雑誌を買い、帰宅してから釣銭が多い事に気付いて返しに行ったことがある。ただ、電車に乗って行くような本屋だったら、そのままにしていたかも知れない。ある時、銀行の窓口で多少まとまった金をおろしたことがあった。外に出て歩いていると、銀行の人が追いかけてきた。紙幣が1枚落ちていたというのである。こんな事は初めてだった。一方、紙幣が余分に入っていた事は、これまで無かったと思う、多分。仮に、ATMで1万円下ろした筈が機械のミスで100万円出てきたらどうするか。とりあえず、銀行に電話するだろう。遺失物扱いになって、晴れて自分のものになる事を期待して。

 

3.わたしを食べてとブタに言われたら

(1)問題

「信念から肉を食べなかったベジタリアンが祝宴の席でやっと肉を食べられる事になった。その肉は遺伝子操作で話すことが出来、人間に食べられることを望んでいた豚の肉だった。」

(2)解説

「動物を育てて殺すのは間違いだとする主張には、飼育環境の悪さのほか、殺す行為への反感もある。言葉を話す動物を食べるのはたじろぐとしても、除脳した動物ならどうなのか。」

(3)コメント

「100の思考実験」の原著のタイトルは「食べられる事を望む豚ほか99の思考実験」であり、タイトルにつられて本を購入した人もいるかも知れない。この思考実験は、SF(アダムス「宇宙の果てのレストラン」)に出てくるもので、品種改良の結果として人に食べてほしいと願い、それを言葉で言えるようになったウシ型動物の話が元になっている。人間は、植物については抵抗なく食の対象とするのだろうが、人間と同じように言葉を話す動物を食べる事は、生理的に受け付けにくいのかも知れない。

 

何を食の対象とするかは、宗教上のほか地域や時代によっても異なるので、一律に論じることは出来ない。また、動物の尊厳についても考え方の違いは残るだろう。今後、培養肉や植物肉が一般に提供されるようになったとすれば、ベジタリアンも安心して肉の味を楽しめるようになるかも知れないが、自然を変えることが許されるかという問題は残ってしまう。食についての思考実験としては、複雑な要因が残ったままなので、例えば次のような思考実験に変えてみたらどうだろう。「あなたは、宗教上の理由もあって、これまで肉食をしなかった。会食の時、培養肉と植物肉が出されたが、あなたならどうする。」

 

コメント