夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

終章(2)

2008-04-05 15:31:33 | 稲荷百社詣

終章(2)

 ....気が付くと、
 小さなお稲荷さんの境内に居た。
 朱の鳥居の向こうに、
 ちょっとだけ覗いている現の世界。
 もういいかい? 
 誰かが外で叫んでいる。
 
 隠れん坊の時の、
 見つかる恐れと、
 いつまでも見つけられぬ不安。

 どぅん。どぅん。
 太鼓が鳴っている。
 あ、錫杖の音。ほぅら来た。
 朱の鳥居の向こうを、
 山車を引く子供達の列が通り過ぎる。
 それから、昔のままの掛け声で神輿が通る。
 子供たちのざわめき。
 そして、みんな行ってしまった。

 いま出ていけば間に合うかも知れない。

 もういいかい?
 また、誰かが外で叫んでいる。

 ....動き始めた時間の罠。

 
 ---GAME OVER--- 

【追記】

陰陽五行説では、原初の混沌から陰陽が分れて天と地になったとし、陰陽から木火土金水の五気(原素)が生じたとする。さらに、相生の理により木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じたとし、相剋の理により、木は土を剋し(締め付け)、土は水を剋し(堰き止め)、水は火を剋し(消し)、火は金を剋し(溶かし)、金は木を剋す(傷つける)とする。この五気の循環を五行という。五気の木火土金水は色彩の青赤黄白黒に対応している。方位においては、土を中心として木火金水が東南西北に対応している。季節においては、土を中心に木火金水が春夏秋冬に対応し、土は季節の変わり目に土用とし現れ、次の季節へと回してゆく。このように、陰陽五行説では、五気のうち特に土を重視している。

「稲荷百社詣」では、人類の歴史において、人類の曙の時代、火を使う時代、農業の時代、経済の時代、その次の時代を、五気の木火土金水に対応させるが、各々を対等に扱うこととし、季節の変わり目に現れる土用の代わりに、時代の変わり目に“時”が“気”に取って代わり、次の時代の姿で現れるよう、陰陽五行説を変形している。

 

 

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終章(1)

2008-04-03 22:02:43 | 稲荷百社詣

終章(1)

 法恩寺橋の下は大横川親水公園になっている。ともかくも稲荷百社詣が終ったことで、ほんのちょっぴり達成感に浸りながら、のんびりと遊歩道を散歩する。その途中、赤いセーターにジーンズの男が、急ぎの用事でもあるのか、こちらを追い越していった。何故か気になって後を追う。男は、かなりの早足で京葉道路を越え、先へ先へと歩いて行き、どこかの会館の中に入っていく。招き入れられたように、こちらも建物の中に入りこみ、どこをどう歩いたのか、何時の間にか椅子に座っていた。

 すぐに部屋の照明が消され天井に星がまたたき始める。プラネタリウムに来ていたのだ。しばらくして星空が回転し始め、その中心に三毛猫が現れた。その白毛は光輝く銀白色となり、黒毛は深き闇の底の如き暗黒色となり、そして茶毛は黄金にも似た輝く黄色の斑となった。しばらくすると、その姿は次第に膨張していき、やがて輪郭がぼやけて、三匹の狐の姿に分離した。それから、狐達は歌うように語り始めた。

『我は猫に非ず、その本性は黄狐にして、火より生まれし土を基とし、
『我は猫に非ず、その本性は白狐にして、土より生まれし金を基とし、
『我は猫に非ず、その本性は黒狐にして、気より生まれし時を基とし、

  水を剋して農耕を支配す。 我が時、既に終わるといえど、
  木を剋して金銭を支配す。 我が時、直に終わるといえど、
  気を剋して変化を支配す。 我が時、今に始まるといえど、

  余韻を楽しむも可なり。 妙見に祈れ。・・・・・・・・』
  なお長らえるも可なり。 妙見に祈れ。・・・・・・・・』
  なお生き残るも可なり。 妙見に祈れ。・・・・・・・・』

 狐の声は、混じりあい響き合って、次第に意味不明となり、遂には狐の姿も消え失せ、星が再びきらめき始めた。近頃のプラネタリウムは凝った演出をするなと思っているうちに、今度は椅子が振動し始めた。どうやら、客席全体を宇宙船の内部に見立て、宇宙旅行を始めるというストーリーらしい。やがて、案内の声が聞こえ始めた。

『皆様、本船は定刻に基地を出発致しました。本船は船首に光輝くいちょうの葉を掲げた宝船型宇宙船であり、その形はいささか古風ではありますが、準光速のスピードを持つ最新鋭の船であります。皆様、画面はいま出立致しました水の惑星、地球を映しております。その青い球体に狐の文様を見出すことが出来ましたでしょうか。それでは皆様、画面を本船の前方に切り替えてみましょう。ご覧下さい。狐の姿をした北斗七星が見えてまいりました。その回転の中心にあるのが、北極星すなわち妙見であり、本船の 目的地であります。それでは...白の時代は滅びの道へと....とはいえ青の時代も....如何なる種も限りあるが故....残された時間を...妙見の霊験により...』

 賽銭を出さなかった稲荷もあったから、多分、妙見へは行き着かないだろう。今はただ眠い。目をつむると、案内の声がすうっと遠くなる。眠い。今は眠りたい。もう、ねむ.....

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稲荷百社詣その三十六

2008-04-01 22:09:06 | 稲荷百社詣

(98)矢先稲荷 (台東区松ヶ谷2)★

 矢先稲荷は、江戸時代にあった三十三間堂の、通し矢の的の場所に設けられた稲荷である。まずは、賽銭をあげて参拝し、あたりに人影が無い事を確かめて、石の上にもち米の団子を置いた。それから、ダーツの要領で短い矢を投げる。矢は皆中稲荷の御加護をもって、予想通りに団子に当たり、思った通りに白い鳥となって飛んだ。鴎かなと思ったが、本当は、物音に驚いた鳩が、飛び立っただけなのかも知れない。

(99)かもめ稲荷 (墨田区本所4)

 飛び立った白い鳥が鴎なら、行き先は見当が付く。近くにかもめを名乗る稲荷は、そうは無いからだ。その稲荷は、能勢妙見堂にあった。この妙見堂は旗本の能勢氏が創建したもので、大阪冬の陣において鴎の奇瑞によって能勢氏が大功をたてたことから、かもめ稲荷を境内に祭っている。とりあえず妙見さんにお参りし、それから、入口に近い場所にある稲荷を参拝した。拝礼を終えて、空を見上げてみたが、鴎の姿は無かった。

(100)平川清水稲荷 (墨田区大平1)

 妙見堂に行ったついでに法恩寺に行ってみた。この寺は太田道潅ゆかりの寺で、江戸時代には十二の塔頭が集まる大寺であったという。境内の稲荷は、道灌が歌に詠んだ平川の辺にあったとされる。江戸時代の初期、平河が付け替えられ、日比谷入り江が埋め立てられるにつれ、江戸は大きく変貌を遂げていく。それに伴い、この稲荷も移転を余儀なくされたのだろう。或いは各地を転々としていたかも知れない。今は、この寺を安住の地としている稲荷だが、室町時代から、江戸時代へ、そして明治、大正、昭和、平成と移り変わる時代の波を、この稲荷はどう見ていたのだろう。ふと空を見上げると、鴎が一羽、ゆっくりと円を描いていた。突然、何かに急かされているような気がして、慌てて外に出た。

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稲荷百社詣その三十五

2008-03-28 22:32:53 | 稲荷百社詣

(97)水稲荷 (新宿区西早稲田3)★★

 王子から都電に乗って水稲荷に行く。途中、吊革につかまって窓の外を見ながら考えた。陰陽五行説の相剋の理によると、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つという。金が全ての時代も、火器によって抑えられるという事にはなるが、それも困りものだ。ならば水に働いて貰わねばならない。だが、水とは何だろう。分らぬままに都電は先を急いで面影橋に到着。あわてて下車する。

 水稲荷の参道入口は面影橋からすぐの所にある。入口から入ると、例の町内会の連中が稲荷の参道を登って行くのが見えた。何でこんな所へと思ったが、そんな事は余計なお世話というものだろう。こちらは、折角なので先に甘泉園に寄って行く事にした。甘泉園は徳川御三卿清水家の下屋敷の一部で、回遊式の庭園になっている。それほど広くはないが手入れの行き届いた園内を散歩。その後、いったん外に出て参道を上がり、横から境内に入ると、稲荷としては立派な社殿が現れた。水稲荷の名は、境内の榎の洞から清水が湧出して、その水で眼疾が治ったことに由来するという。この稲荷、富塚という古墳のあった場所から移ってきたらしいが、移転先が甘泉園という湧水で知られた場所だったわけで、水とは余程の縁があるのだろう。それにしても、この先のことを祈願するには、水稲荷が最適なのかも知れない。まずは、大量の水が大地を侵すことにならぬよう祈願。参拝を終えてから、稲荷の南側にある流鏑馬が行われる場所に行く。すると、あの町内会の連中がたむろしているのが見えた。あの連中、流鏑馬の下見の積もりだったんだな、そうか、と思って、立ち去りかけた途端に、声をかけられた。

『おぅい、行って呉れるんだろうな』『えっ?』
 それっきり、向こうは当方を無視して何処かに行ってしまった。どうやら、こちらに声を掛けたわけでは無かったらしい。

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稲荷百社詣その三十四

2008-03-24 22:16:40 | 稲荷百社詣

(95)王子稲荷 (北区岸町1)★★★

 京浜東北線の線路の下を潜って向こう側に出たところで、町内会の役員と思しき連中が、前を歩いているのに気が付いた。祭の下相談にでも行くのだろうか。そのうち、彼らは王子稲荷の横の坂を上がり始めた。王子稲荷の公式な参詣ルートは正面の石段の筈なのだが、今日は閉鎖されてでもいるのだろう。後を追って坂を上がり、上の入り口から中に入ると、彼らはすでに姿を消していた。ところで、この稲荷は関東稲荷総社の格式を持つと称し、江戸稲荷番付では勧進元をつとめる江戸一番の稲荷であった。今でも火防の凧を出す初午の日には、大変な賑わいとなる。落語の中で人間に騙された狐が棲んでいたのも、この稲荷である。せっかくなので、その狐の穴を覗きに行ってから外に出た。すると、何と先程の連中が、付いて来いと言わんばかりに、こちらの前を歩いて居るのに気が付いた。だが、その前に装束稲荷に立ち寄りたかったので、付いて行くのは止めにした。

(96)装束稲荷 (北区王子2)★

 装束稲荷の名は、関東の狐が王子稲荷に集る際に、この辺りで装束を整えたと言うことからきている。そういえば、先程すれ違った、町内会の役員らしき連中も、この辺りで装束替えをしていったのかも知れない。参拝を終えて外に出ると、猫の集団が、付いて来いと言わんばかりに、こちらの前を歩いている。黙って、あとを付いていくと、角を曲がったところで、すっと姿を消してしまった。こちらの勝手な思い込みというわけだろう。

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稲荷百社詣その三十三

2008-03-22 12:13:37 | 稲荷百社詣

【33】
(92)花園稲荷 (台東区上野公園)★

 上野公園に行き、五條天神と敷地を共有する花園稲荷神社に詣でる。この稲荷、正式名称を忍岡稲荷といい、古い稲荷であるらしい。稲荷社の裏手に回ると、妖気漂う穴稲荷があった。寛永寺造営に際し、この地に生息する狐を追い出し、その代わり洞を造って稲荷社を建てたものという。今更狐に謝っても仕方がないが、一応は頭を下げておいて、神社の裏口から外に出た。その途端、サラリーマン風の黒背広の男に声を掛けられた。
『時の鐘が鳴ってますね。急がないと』『あぁ、今鳴っているのが、そうなんですか』
 しかし男は何も答えずに足早に行ってしまった。何だあいつ、と思ったが、独り言だったのかもしれない。

(93)太郎稲荷 (台東区入谷2)★

 上野から歩いて入谷に行く。落語に登場する浅草田圃の稲荷に行こうとしたのだが、見つかりそうで見つからない。あちこち歩き回りながら、ふと考えた。陰陽五行説によると、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むという。この間、品川神社で会った老人が話していたのは、狩猟中心の火の時代が稲作中心の土の時代になり、今は経済中心の金の時代になっているということか。とすると、水の時代とは何なのだ。分らぬまま思考を停止した途端、建物の間に挟まれた太郎稲荷に行き当たった。

太郎稲荷は、立花左近将監下屋敷内にあった稲荷で、一時は大いに流行るが、しばらくすると廃れる流行神の典型として知られた稲荷である。現在は流行っているとは思えないが、手入れもされて、きちんと祭られているように見える。中に入ろうとして、猫の集団が待ち構えているのに気がついた。まるで、この稲荷は開店休業中ゆえ、中に入るなと言っているみたいにである。それもそうだと思い、軽く頭を下げただけで通り過ぎる。

(94)吉原神社(台東区千束3)★

 太郎稲荷に行ったついでに吉原神社にまで足を伸ばす。吉原神社は新吉原遊郭に祭られていた、九郎助稲荷、明石稲荷、開運稲荷、榎本稲荷の四社と、地主神である玄徳稲荷、それに吉原弁才天を合祀した神社である。稲荷を五社も祭ったので五倍の能力になったのか、それとも相互に牽制して無能力になったのかは分からないが、一見したところ普通の神社のように見える。それ故、普通の神社として頭を下げ、それで終わり。

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稲荷百社詣その三十二

2008-03-20 10:03:59 | 稲荷百社詣

(89)花園神社(新宿区新宿5)★★

 花園の名は、尾張藩下屋敷の花園があった場所を敷地にしたことに由来するという。江戸時代は三光院稲荷、四谷追分稲荷などとも称したが、大正時代に花園稲荷神社となり、後に大鳥神社を合祀して現社名となる。新宿の総鎮守であり、地の利もあるので、例大祭や酉の市はかなり賑わうらしい。この日は何も無い日で、普通の神社として本殿を参拝、ついでに境内の威徳稲荷にも一礼して帰りかけた。その途端、年配の見知らぬ人から呼び止められた。何でも、藁しべ長者を趣味としているらしく、何か交換できるものがないかと言う。妙なことを言うなとは思ったが、土製の団子とダーツのミニチュアを渡すと、代わりにもち米の団子と小さな矢を呉れた。損をしたような気もしたが、相手が藁しべ長者なら、こちらが得をするわけはないのだろう。


(90)稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)★

 元からあった稲荷社に熊野から勧請した鬼王権現を合祀した神社という。鬼王権現そのものは熊野にも現存していないため、鬼王が何なのか分からない。一説に平将門の幼名から鬼王の名がついたともいう。鬼は敵に回すと恐ろしい存在だが、味方につければまことに頼りになる存在だ。稲荷も強い味方が欲しいのだろうか。よく分からないなりに、鬼は内と唱えながら頭を垂れる。豆腐を供えると湿疹、腫物が治るという言い伝えがあるが、そちらの方は今回はパス。その代わりに、新宿七福神の一つ、恵比寿神の方を参拝。ついでに、こちらを睨んでいる三毛猫にも会釈して立ち去る。

(91)皆中稲荷 (新宿区百人町1)★

 新大久保駅と大久保駅をつなぐ道の途中にある稲荷。この付近に鉄砲百人組の組屋敷があり、その隊士の一人が稲荷の霊夢を見て百発百中の腕前になったことから、隊士達が崇敬するようになった稲荷という。ところで、稲荷の始まりは、餅を的として射ったところ白い鳥になって飛び、その止まった所に稲がなったという故事からきているらしい。とすれば、射撃と稲荷とは関係が無いわけではない。今では賭け事や籤に御利益があるとされ、参詣者が早朝から訪れている。他力本願のギャンブルに御利益があるかどうかは不明だが、ダーツの試合に勝つには効能がありそうなので、ひとまず拝礼しておく。

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稲荷百社詣その三十一

2008-03-18 22:05:16 | 稲荷百社詣

(87)烏森神社 (港区新橋2)★★

 江戸稲荷番付では関脇をつとめる稲荷である。烏の多い森にあったので烏森稲荷というわけだが、今は森の代わりに飲食店がまわりを取り囲んでいる。ただ、烏の方はビル街を森林とみなして、江戸時代と変わらず横行しているようだ。ともかく賽銭をあげ、ざっと拝んでから小路を抜ける。それから、喉も乾いたのでお茶でも飲もうかと、あまりぱっとしない店に入った。すると、いきなり、日本酒か洋酒かと聞いてきた。酒類はノーサンキュウーなので、お冷を頼んで一気に飲干すと、そこそこの金を払って店を出ようとした。が、そうはいかなかった。結局、飲みもしないビールを頼み、ママさんの話を聞く羽目になった。ここのママさんも、昔は美人の範疇に入っていたのだろう。ただ、どこか冷たいところがある。ひょっとして、美しき女神であるダキニ天に似ているのかも知れない。しばらくして、話が途切れたのを幸い、店を出ることにした。帰りがけに、開店記念品の残りとかいうダーツのミニチュアを貰った。

(88)日比谷神社(港区新橋4)★

 日比谷神社とあるが稲荷社であり、もとは日比谷公園の辺りにあったらしい。また、歯痛の時に鯖断ちをして祈願すると良いとされ、これに因んで鯖稲荷とも言う。その鯖が目当てなのか、三毛猫が一匹、こちらの様子をうかがっている。そのうち、鯖を持っていないことに気付いたのだろう。すっとどこかに行ってしまった。ところで、稲荷の周辺では新橋虎ノ門地区再開発事業が進行中。祭礼の時には神輿も出るという由緒ある稲荷であっても、この地に居座ることは難しいらしい。都市部の稲荷にとって移転は宿命のようなものだが、それでも、今は居た堪れない雰囲気なので、ちょっと拝んで、そっと立ち去る。
(注)現在は港区東新橋2に遷座している。

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稲荷百社詣その三十

2008-03-15 16:38:01 | 稲荷百社詣

(85)十番稲荷 (港区麻布十番1)★

 六本木から坂を下って少々歩くと稲荷があった。麻布坂下の末広稲荷と麻布永坂の竹長稲荷を合祀して昭和25年につくられた稲荷社という。この稲荷、商売上手と見えて、近くのがま池の蛙が延焼を防いだという伝承を借用して、防火のお守りを出したり、宝船を授与すると言う理由で、港区の七福神に割り込んだりしている。よくは分らぬが、この稲荷を参拝すると何かいい事があるのだろう。宝船も何かの役に立つのかも知れない。

(86)広尾神社(港区南麻布4)★

 将軍家の別邸、麻布富士見御殿の鎮守で、もとは二代将軍秀忠が勧請した稲荷という。賽銭もあげずに、高橋由一の竜を覗きこみ、それから少し離れて、稲荷社の写真を撮ろうとカメラを構えていたら、いつ来たのか女性が一人、カメラと社殿の間に割り込んできた。どうやら、撮影お断りというメッセージらしい。仕方なく写真は諦め、そうっと退散。 

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稲荷百社詣その二十九

2008-03-06 19:32:24 | 稲荷百社詣

(83)太田姫稲荷 (千代田区神田駿河台1)★

 お茶の水駅から本屋の横の道を下って行くと、江戸城主の太田資長が娘の病気平癒のため建てたと言う太田姫稲荷があった。別の説によると、太田姫と太田氏とは関係がないのだそうだが本当の事は分らない。ともかく、社殿に一礼し立ち去ることにした。その時、若い男がこちらを見ているのに気付いた。ジーンズに赤いセータ、黄色のディーバックを背負って白のトレッキングシューズを履き、黒い帽子を被っている。気にはなったが、こちらから話し掛ける謂われはない。さりとて向こうから話し掛けられても困るなと思い、そ知らぬ顔で境内を出た。

(84)五十稲荷 (千代田区神田小川町3)

 スポーツ店の並ぶ靖国通りからちょっと入った裏通りに、ひっそりと稲荷社があった。もとは屋敷内の稲荷で、五日と十日の市が立つ日にのみ参詣を許されたと言う。今は毎日が市のようだが、参詣者は見かけない。写真を1枚撮って速やかに立ち去る。

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