夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

都立練馬城址公園

2023-05-19 17:54:25 | 公園・庭園めぐり

遊園地「としまえん」の跡地を中心に整備された、都立練馬城址公園が開園(令和5年5月1日)したというので行ってみた。西武豊島線の豊島園駅を下車して左に行くと、エントランス交流ゾーンのエントランス広場に出る。何か物足りない気がするのは、遊園地の正門などが撤去されたせいだろう。

広場の上に古城の塔が見えた。豊島園では昔から良く目立つ建物で、豊島氏の城跡という言い伝えをもとに、西洋の城の塔を建ててしまったところが、遊園地らしくて面白いのだが、この塔が残されるかどうかは分からない。

坂を下って石神井川を渡ると、ワーナーブラザース・スタジオツアー東京の敷地の前に出る。ハリーポッターのテーマパークが6月にオープンされるようで、今はその準備で忙しいらしい。敷地の外から中を覗き、それから川と建物に沿って、川辺の散策ゾーンを西に向かう。

整備中らしい場所を通り抜けると、花のふれあいゾーンに出る。広場の右側の道を先に進むと花の丘に出る。向こうに四阿が見えるが、災害時には救護所になるらしい。

花のふれあいゾーンを散策し、遊具広場のそばを通り抜ける。今回はサービスセンターに寄らなかったが資料などを入手出来たらしい。石川橋に出て下流方向を眺めたあと、四阿で小休止したあと、川沿いの道を戻る。

川辺の散策ゾーンを東に向かう。石神井川の南側は工事中のようで、既存の施設の解体撤去を行っているらしい。ただ、その跡地に何が出来るのかは分からない。

川辺の散策ゾーンを東に進むと豊島園通りに出る。ここを右に行けば大江戸線の豊島園駅に出るが、その前に中之橋から上流方面を眺める。左側の建物は「庭の湯」である。中之橋から石川橋迄は豊島園内のため、以前は川沿いに歩けなかったのだが、今は川沿いに歩けるようになったので、機会があれば石神井川を遡行してみたいと思っている。

 

 

 

コメント

妙正寺川沿い公園めぐり

2021-12-23 18:08:38 | 公園・庭園めぐり

妙正寺池を水源とする妙正寺川については、2011年に神田川支流・妙正寺川として5回に分けて投稿したが、今回は妙正寺川沿いの公園を取り上げる。

(1)妙正寺公園

妙正寺公園は妙正寺池を中心として、休息コーナー、遊具コーナー、運動コーナーからなる公園で、開園は昭和38年。妙正寺池の湧水量が少なくなっているため、現在は地下水をくみ上げているという。池を中心に公園内を見て回る。現在の池は、元の池に比べて広くなっているようで、噴水も設けられ、公園の池らしくなっている。妙正寺池から流れ出ている筈の妙正寺川は見当たらないが、公園内では地下を流れているらしい。妙正寺川には井草川が合流していたが、昔の地図からすると合流点は公園内になるので、地上には見当たらない。妙正寺川が姿を現すのは、合流点の下流にあたる、妙正寺公園の外からである。

(2)平和の森公園

妙正寺公園を出た妙正寺川は北東に流れるが、その途中で杉並区から中野区へと変わる。妙正寺川は鷺ノ宮駅の近くから南に流れたあと、東に向かい環七の下を潜ることになるが、この辺りは工事中のようなので、またの機会に見て回ることに。この先、妙正寺川は沼袋駅方向に向かうが、途中の妙正寺川沿いに平和の森公園がある。この公園は、中野刑務所の跡地に下水処理場とともに設けられた防災公園で、昭和60年に部分開園したあと再整備が行われて令和2年に開園している。妙正寺川沿いの入口から入ると多目的運動場の下に出る。ここを上がり水辺の広場を過ぎると、広々とした草地広場に出る。東側には区立総合体育館も見える。以前は、天気の良い日に広場の西側から富士山を見ることも出来たが、今はどうなのかは分からない。

(3)江古田公園

妙正寺川は沼袋駅近くで東に流れたあと、西武鉄道の線路を潜って北に流れ、新青梅街道近くで、学田公園付近を源流とし千川上水の分水を加えた江古田川(写真の下側)が合流する。そのあと、妙正寺川は南東に向きを変えて流れていく。妙正寺川の両側は江古田公園で、北側には太田道灌と豊島氏との古戦場の碑が置かれている。南側は崖下の樹林地で北野神社の境内に続いている。

(4)哲学堂公園

妙正寺川は下田橋の先で哲学堂公園沿いに流れるようになる。川の左岸から園内に入って時空岡に上がり、菖蒲池に下りて唯心庭に行き、心字池を暫し眺める。それから富士橋で右岸に移り、哲学の庭を通って妙正寺口から外に出て、川沿いに進む。右側には、中間調節池を挟んで多目的運動コーナーがあり、左の方には流れと池による休憩コーナーがあるが、これらは妙正寺川の増水時に雨水を溜める第一調節池になっている。多目的運動コーナーの南側には運動広場が見えるが、その地下は雨水を溜める第二調節池になっている。運動広場、多目的運動コーナー、休憩コーナーは、妙正寺川公園に含まれる。妙正寺川の右岸を四村橋へと向かう途中には区境があり、中野区から新宿区に代わる。妙正寺川公園の池は新宿区側にある。

(5)上高田運動施設と落合公園

哲学堂を出て四村橋を過ぎる。この辺りの妙正寺川は区の境界にもなっていて、左岸にある西落合公園は新宿区になっている。北原橋から先は川の右側に移る。中野区の上高田公園の先には、中野区の上高田運動施設が続いているが、運動施設の地下は洪水防止のために雨水を溜める上高田調節池になっている。

川の右岸を先に進み西武鉄道の下を潜る。ここは出水時には通行不可になる。先に進むと川の左岸に新宿区の落合公園があり、橋を渡って入ってみる。この公園の地下は落合調節池で増水時に雨水を溜めるようになっている。

(6)せせらぎの里公苑

妙正寺川の左岸を先に進み山手通りを潜り中井駅を過ぎる。そのまま進むと西武鉄道で行き止まりになるので川から離れ、下落合駅近くの、せせらぎの里公苑に行く。以前の神田川はこの辺りで蛇行しており、下落合駅近くで妙正寺川と合流していたが、現在は流路が変えられている。公苑から北へ下落合駅を過ぎ、妙正寺川に出て右に行く。この先、妙正寺川は、新目白通り下の暗渠である高田馬場分水路に入り、高戸橋の上流で神田川に合流している。

(7)おとめ山公園

新目白通りを歩道橋で渡り、薬王院の前を右に行く。すぐ先を左に入り下落合野鳥の森公園に立ち寄ったあと、おとめ山公園に向かう。公園の東側にある池は弁天池で、昔は池の中の小島に橋が架かっていた。おとめ山公園も今は広くなっているが、以前は弁天池と西側の谷の部分だけだった。おとめ山通りを渡って西側に行く。昔は相応の湧水量があったが、今も湧水はあるらしく、東京の名湧水57選の一つになっている。広くなった園内を見て歩き、それから目白駅へと向かう。

 

コメント

晩秋の港野鳥公園

2021-12-01 17:54:10 | 公園・庭園めぐり

東京港野鳥公園(大田区東海3-1)には、これまで何度か行ったことがあるが、感染が落ち着いている今のうち、久しぶりに出かけてみることにした。持参するのはコンパクトな双眼鏡とコンパクトカメラ。まともな野鳥写真は無理でも、晩秋の野鳥公園の景色ぐらいは何とか撮れるだろう。公園への最寄り駅は東京モノレールの流通センター駅だが、多少遠くても、大井競馬場前から大井ふ頭中央海浜公園内を歩くルートがお勧めである。

港野鳥公園の前の道路は、都道316号・318号(環七)で交通量も多いが、公園内に入ると、その音も遠のいて公園は野鳥たちの領分となる。管理事務所は入口から坂を上がったところにあり、ここで入園料を支払って野鳥たちの様子を見に行く。管理事務所の前には竹が置かれているが、滅多に咲かない竹の花を展示しているらしい。この地が埋め立てられたのは1960年代なので、120年を待たずに竹は花を咲かせたことになる。

管理事務所から東に行くと、すぐに広い芝生広場に出る。ここで弁当を食べるのも良く、2m間隔を開ければ遊ぶことも出来る。雨が降ってきたら、屋根付休憩舎で休んでもいい。

この公園は東園と西園に分かれていて、いそしぎ橋の東側が東園となる。その橋を渡りかけたとき、羽田から飛び立った飛行機が見えた。港野鳥公園は羽田空港から間近な位置にあるが、空港のすぐ傍にあるこの公園は、野鳥にとってはどうなのだろう。

いそしぎ橋の南側には大田市場が見える。北側を見ると鉄道線路があった。地図によると線路は 東海道貨物線で、いそしぎ橋から先は地下となり大田市場から昭和島の下を抜け、羽田飛行場の西側を抜けて天空橋の先で多摩川を潜って川崎に向かっているようである。

いそしぎ橋から先、東園の道を歩く。東観察広場を過ぎて、ネイチャーセンターに行く。2階と1階の観察ロビーから全景を眺めたあと、地階の干潟遊歩道に出て潮入りの池を見る。

ネイチャーセンターの外に出て広場から北側の東淡水池を眺める。野鳥の姿を探すが、間近にはあまり見られない。

2号観察小屋に立ち寄ったあと、1号観察小屋に行く。2号観察小屋のある北側を眺め、それから東側を眺める。ホシハジロだろうか、群れが見える。

前浜干潟観察デッキに行く。オオバンが近くまでよってくる。オオバンの数は最近、全国的に増えているらしい。

もと来た道をネイチャーセンターまで戻り、来た時とは別の散歩道を通って、いそしぎ橋を渡り、管理事務所を過ぎて、西園の自然生態園に行く。

自然生態園の北側に自然学習センターがある。自然観察会などのイベントで使われる場所ということだが、建物は周辺の景観に溶け込んでいるように思える。

自然生態園には雑木林の中を小川が流れている。広くはないが田んぼもあって、植え付けから収穫までのイベントも行われているらしい。ここは、野鳥のほか、昆虫など自然の生態を観察する場所でもあるのだろう。

西園には西淡水池がある。3号観察小屋に行き池の様子を眺める。ここまで来たところで、そろそろ時間切れ、帰らなければならない。次回、来るときには、もう少し時間をとって、園内をじっくり見て回りたい。

東京港野鳥公園はユニークな公園である。この場所は広大な干潟だったところを埋め立てた土地で、水たまりや原っぱに集まってくる野鳥の保護を訴える声がきっかけで、この公園が造られたという。ここには、池や原っぱ、雑木林や干潟などが再現され、野鳥を始めとして生物が生息しうる環境が整えられている。現在、この辺りには、倉庫など物流関係の施設が集まっているが、この公園内だけは、人工的とは言え、自然が存在している。

 

 

コメント

池袋駅周辺の4公園めぐり

2020-10-10 11:10:08 | 公園・庭園めぐり

豊島区は、2014年に民間有識者組織から消滅可能性都市の指摘を受けたことを踏まえ、その脱却を目指して国際アート・カルチャー都市としての都市像を実現するべく取り組むことになり、池袋駅周辺の4公園を文化交流の舞台と位置づけ、賑わいと人の流れを広げるまちづくりを進めることになった。4公園とは、池袋西口公園、中池袋公園、イケ・サンパーク、南池袋公園の4カ所である。

(1)池袋西口公園と東京芸術劇場

池袋西口公園は、東京学芸大学(旧豊島師範)の附属小学校跡地に1970年に開園した公園で、池袋駅西口から近い所にある。1990年、この公園内に東京芸術劇場が開館した時、公園も一体として整備され、噴水と彫刻のある公園として親しまれていた。東京芸術劇場には大中小のホールがあり、そのうち、大ホールには世界最大級のパイプオルガンがある。東京芸術劇場は2011年から改修工事が行われ、その翌年にリニューアルオープンしている。

東京芸術劇場内には展示スペースもあり、5月に開催される回遊美術館では会場の一つになっている。写真は2016年の回遊美術館の際にB1のロワー広場に展示された巨大バルーンこけしである。

2002年、池袋西口公園に屋外ステージが寄付され、2004年には開閉式のルーフが作られ、雨天でも演奏が出来るようになった。上の写真はジャズフェスティバルで会場として利用されていた時のものである。

2019年11月、池袋西口公園はクラシック音楽のコンサートや演劇に対応した野外劇場、「グローバルリングシアター」へと変身を遂げ、フルオーケストラに対応するメインステージのほか、大型ビジョンとサウンドシステムが備えられ、GLOBAL RINGと呼ばれる、らせん状の巨大リング型モニュメントが設けられた。よく見るとリングは五線譜のようになっていて、ここで演奏された音楽は、リングによってらせん状に上昇し世界へと広がってゆく、そんなイメージをいだかせる。

もとの公園にあった大噴水は消滅したが、グローバルリングの中央に小さな噴水として復活している。昔、この公園の辺りに、池袋の名の由来ともいう丸池という池があったが、この噴水はその池の湧水を表現しているらしい。噴水は定時に噴出するようになっているが、音楽とも連動するという。

グローバルリングの下には案内所を兼ねるグローバルリング・カフェが設けられている。また、カフェの裏手にはトイレも整備されている。この公園は世界に向けての文化発信拠点であると同時に、災害時の情報発信拠点でもあるようだ。

 

池袋西口公園から中池袋公園に歩いて行くには、池袋駅の地下街を通る方法もあるが、駅北側の歩行者専用の雑司ヶ谷隧道で線路の下を通る方が近道になる。この隧道の開通は1925年に遡るが、1986年の改修後はウィロードと呼ばれるようになった。以前は暗い道であったが、2019年の改修で色鮮やで明るい道になり、通る人も増えている。ウィロードから先は明治通りを渡って東に向かい、次の交差点を渡って左手直ぐの角を右に入れば中池袋公園に出る。

 

(2)中池袋公園

中池袋公園は1950年に区画整理事業で誕生した公園で、2018年から改修工事が行われ、砂地舗装を平坦な石張りの舗装に変えるなど、各種イベントに対応できる公園として、2019年10月に一般開放された。また、アニメの聖地・池袋の発信拠点とすべく、公園内にアニメイト・カフェを設置している。

旧豊島区役所の跡地などの再開発により誕生した、ハレザタワーとブリリアホール(芸術文化劇場)及びとしま区民センターは、前庭となる中池袋公園を含めて、ハレザ池袋(Hareza池袋)と呼ばれている。ハレザは、非日常を体験できる「ハレ」の場と、多くの人が集まる場所を示す「座」という言葉を合わせた造語で、様々な文化の賑わいを発信する舞台という意味合いを持たせているようだ。ブリリアホール及びとしま区民センターは2019年11月のオープンだが、ハレザタワーは2020年7月のオープンとなる。上の写真(2020年9月)は中池袋公園側から見たもので、左側からハレザタワー、ブリリアホール、としま区民センターであり、公園と合わせてハレザ池袋ということになる。

2019年11月から池袋駅周辺をめぐる小型の電動バス、IKEBUS(イケバス)が運行を始めている。Aルートは池袋駅の東側、Bルートは池袋駅の西側と東側を回るようになっており、写真は中池袋公園付近を通るAルートのIKEBUSである。IKEBUSには赤色のものが多いが黄色のバスもある。

 

(3)豊島区役所庁舎の移転とハレザタワー

豊島区役所の旧庁舎(豊島区東池袋1-18)は免震工事が行われていたため東日本大震災でもさほど被害は無かったものの、建物自体が老朽化し防災拠点としては難があり、手狭でもあったので建て替えが検討された。問題は費用の点で、これを解決するため日出小学校跡地を活用してマンション一体型の庁舎とし、財政負担無で新庁舎を建てることになった。上の写真は2016年の旧庁舎の解体工事の様子で、この旧庁舎の跡地に建てられたのが、ハレザタワーである。

写真は2019年のハレザタワーの状況である。まだ工事中で、豊島区役所の新庁舎への案内表示もされていた。

2020年7月にハレザタワーがオープンした。7階以上はオフィスで、6階以下にシネマコンプレックスとシネマプラザが設けられた。写真はシネマエントランスで右側に道路の上をまたいでブリリアホールとの間に設けられた連絡通路が見えている。

ハレザタワーは地上33階158m。写真はサンシャイン60ストリート側から眺めたハレザタワーである。

 

(4)芸術文化劇場(ブリリアホール)と区民ホール

豊島区には戦前にも公会堂があったが空襲で焼失していた。戦後の復興が進むにつれ豊島公会堂建設の機運が高まり、区民の寄付もあって1952年2月に着工の運びとなり、徹夜の工事の末、この年の11月に豊島公会堂はオープンした。この公会堂は、式典や公演、集会、歌謡ショー等のほか、芸能会などにも使われていた。上の写真において、手前の建物が豊島公会堂で、その向こうの建物が豊島区民センターになる。豊島公会堂の跡地に建てられたのが豊島区立芸術文化劇場(ブリリアホール)で、豊島区民センターの跡地が、としま区民センターとなる。

豊島公会堂は2016年2月で閉館し取り壊されることになり、その前に一般公開されていたので入ってみた。写真は上から順に、公会堂2階の通路、2階席から見下ろした舞台、客席から見た映写室である。

映写室には35mm映写機(上側の写真)が2台設置されていた。また左右のピンルームには演者の動きに合わせて光をあてるピンスポットライト(下側の写真)が各1台設置されていた。

写真は上から順に、出演者や関係者が利用していたと思われる公会堂内の階段、地下に設けられていた畳敷きの楽屋、小道具の置き場である。

2016年、豊島公会堂は解体され、その跡地に建てられたのが、豊島区立芸術文化劇場(ブリリアホール)で、2019年11月に開館している。

一方、1969年に建てられた豊島区民センターは、老朽化が進んでいたため改築が検討されたが、結局、裏手にある生活産業プラザと合築することになり、2016年に閉鎖。2019年11月に、としま区民センターとしてリニューアルオープンしている。なお、ブリリアホールと区民センターの間は道路上をまたぐ連絡通路によって結ばれている。

 

中池袋公園のあるハレザ池袋から、サンシャイン60通りに出て左に行き、東急ハンズの先のエスカレーターを下り、サンシャインシティの地下街を歩いて、サンシャインシティ東側1階のバスターミナルに出る。その東側一帯は造幣局東京支局の跡地で、区営グランド前の交差点を渡り、跡地に沿って東に向かえばイケ・サンパークに出る。

 

(5)イケ・サンパーク

サンシャインシティの東側に造幣局東京支局があった。写真はその入口で、敷地の北東側にあった。2016年10月、支局はさいたま市へと移転した。

写真は造幣局東京支局の裏口で、ここを入ったところに造幣東京博物館があった。入館は無料で、大判小判のほか造幣局製造の貨幣や勲章と褒章を展示していた。また、予約制で工場の見学も行うほか、秋には造幣東京フェアを開催していた。なお、造幣東京博物館については2016年6月に閉館になっている。

造幣局跡地については防災公園とするとともに、跡地の西側に東京国際大学を誘致し(2023年開学予定)、サンシャインシティと連携したイベントの実施などによる賑わいの創出にも取り組むこととしている。写真は跡地の工事の様子で、上側の写真は2020年1月の工事の状況、下側の写真は2020年3月の工事の状況を示す。

造幣局跡地の東側は、としまみどりの防災公園、通称イケ・サンパーク(IKE・SUNPARK)として、2020年7月にプレオープンしている。上側の写真は北東側の入口で、造幣局東京支局時代の入口に相当し、桜も両側にある。下側の写真は公園の南側でカフェとなる予定の建物が見えている。

旧豊島区民センターの隣にあった池袋保健所は、2019年10月に造幣局跡地に移転している。その建物は、イケ・サンパークの南側の道を西に行ったところにある。

 

池袋保健所の先の交差点を左に行き、グリーン大通りを渡って右に、道路の工事現場を左に入ると、豊島区役所新庁舎が入っているビルがある。

 

(6)豊島区役所新庁舎

豊島区役所の新庁舎が入る建物は地下3階地上49階で、高さは189m。有楽町線の東池袋駅には地下通路が通じている。建物の呼称は「としまエコミューゼタウン」で、豊島区の新庁舎は1階の一部と3~9階、マンションは11階~49階を占めている。10階は免震装置などがあり豊島の森と呼ぶ屋上庭園がある。施工は大成建設。設計・監理は日本設計が担当し、外観デザイン監修は隈研吾建築都市設計事務所が、ランドスケープデザインはランドスケープ・プラス社が担当している。この建物の着工は2012年2月で、2015年3月には落成式が行われ、同年5月7日には新しい豊島区役所が開設している。写真は2015年3月のものである。

2015年3月25日に見学会があったので行ってみた。建物の1階入口は4カ所あり、入ると1階から9階まで吹き抜け空間になっているアトリウム(建物内の空間空地)に出る。その近くには、豊島区の事業や区民の活動のための多目的ホールとして利用される「としまセンタースクエア」がある。区役所に用事がある場合は、エレベータかエスカレータで上がることになるが最初は分かりにくい。そのため1階には区役所の総合案内所も設けられている。

エレベータで上がって、上からアトリウム内を見下ろしてみる。庁舎内部の自然採光と自然換気を可能にするため吹き抜けのアトリウムを設けたという。

庁舎の3階と4階は、区民の利用が多い窓口サービスゾーンで、3階の総合窓口と4階の福祉総合フロアからなる。また、庁舎の5階は災害対策センター、6階と7階は事務室、8階と9階は区議会ゾーンになっている。3階から9階までの回廊状の通路には、回廊ミュージアムと呼ぶ美術作品などの展示空間が設けられている。

10階は庁舎の屋上に相当し、免震設備が設置されるほか、豊島区の昔の自然を再現した豊島の森と呼ばれる屋上庭園が造られている(写真は2015年3月)。

写真は南側から見た「としまエコミューゼタウン」の全体像で、2020年9月の撮影である。豊島区役所新庁舎の横を通るのは環状5の1号線で、明治通りの池袋駅付近の混雑を解消するためのバイパスだが、工事はまだ続いている。

 

(7)南池袋公園

豊島区役所新庁舎から西に行き、本立寺の北側の道を西に行くと南池袋公園に出る。1951年に区画整理事業で出来た公園であったが、公園の地下に東京電力が地下変電所を設置することになり、それに合わせて公園の改修と地下駐輪場の設置が2009年から進められ、改修を終えた2016年にリニューアルオープンしている。

この公園の魅力は広い芝生だが、公園の西側には桜も植えられ、花見を楽しむことも出来る。園内の北西側は少し高くなっていてサクラテラスと呼ばれている。

公園の南側はキッズテラスと呼ばれている。ここには、アートでもあり玩具にもなるリボンスライダーと呼ばれるすべり台がある。

公園の北側には、芝生地に臨んで、ラシーヌ・ファーム・トゥ・パークというカフェレストランがある。

カフェレストランの西側は多目的広場になっている。この公園内ではどこからも、豊島区新庁舎が入っている、としまエコミューゼタウンの建物が見える。南池袋公園からグリーン大通りに出て左へ行けば池袋駅東口に出られる。

 

 

コメント

東伏見公園、下野谷遺跡公園、武蔵関公園

2019-12-05 19:51:00 | 公園・庭園めぐり

東伏見公園は、都道12号線(調布田無線)のうち、西武線の下をトンネルで抜ける区間(伏見通りの一部)が開通したのに合わせ、2013年4月に開園した新しい都立公園である。公園は未完成のようで、現在より西側に拡張するとともに石神井川を含む広い公園とする構想もあるらしい。

西武柳沢駅を南口に出て東伏見公園に行く。公園の西側はもともと千駄山広場という場所だったようだが、現在は多目的広場のようになっている。なお、園内の案内図は古いままのようで、現在の公園は東側に拡張されている。

東伏見公園の北側には西武線の電車を眺められるデッキが設けられている。デッキの近くには、千駄山ふれあい歩道橋という西武新宿線の跨線橋があり、眺めも良い。

公園東側の小さな丘から公園全体を眺める。この時は見えなかったが、この公園から富士山が見えるらしい。

丘の上にはローラー式すべり台が設けられている。丘の上から東側を眺め、都道12号線のトンネルの上の道を南に進む。右側には東伏見稲荷神社の森が見える。昭和4年(1929)に関東の稲荷信仰者のため京都の伏見稲荷の分霊を迎えた神社で、東伏見の地名はこの神社に由来する。

交差点を渡って石神井川の右岸を下流に向かって歩く。写真は、弥生橋から上流の東伏見橋方向を見たもので、石神井川は改修されているようである。

石神井川の右岸を進み、下野谷(シタノヤ)橋の手前で右側の丘に上がると、“下野谷遺跡”の上に造られた下野谷遺跡公園に出る。ここは縄文中期の環状集落が隣り合う大規模な集落跡で、遺跡の保存状態も良いことから、国の史跡に指定されている。なお、下野谷遺跡と連続する大規模遺跡として、下野谷橋下流の富士見池南側に富士見池遺跡群がある。

下流に向かって進み、溜渕橋を渡ると、富士見池を中心とした武蔵関公園に出る。上の写真は池の南側にある石神井川の取水口で、石神井川の水位が上がった時は、溢れた水が富士見池に流れ込むことで、周辺が洪水になる事を防いでいるらしい。平常、石神井川は、公園の南側から東側を水路で流れ、北側で富士見池の水を合流させているが、あまり目立たない。

富士見池の名称からすると、昔は池から富士山が見えたのかもしれない。今は富士山も見えないと思うが、その代わり池の周辺に大木が茂ることで、緑に包まれた公園になっている。

武蔵関公園は、江戸時代の溜池がもとになり、大正時代の若宮遊園を経て、昭和13年に東京市の公園として開園している。この公園は昭和50年に練馬区に移管され現在に至っているが、二つの島がある富士見池の形は、開園当初からさほど変わっていないようである。

富士見池の北側に行く。ここから西に行けば東伏見駅に出るが、今回は弁天橋から線路沿いに進み武蔵関駅に向かう。今年もすでに12月。駅近くの本立寺のお会式には、関のボロ市という市が開かれるが、それも、もうすぐである。

 明治42年の地図を見ると、富士見池の位置には石神井川の水路と田があるだけで池は無い。明治14年の地図では、北側に小さな沼が描かれているが、他は荒地で複数の水路が見られるだけである。湧水はあったにしても、池になる程の水量ではなかったのだろう。それでは江戸時代はどうだったのか。調べてみた。

 富士見池から少し南に、玉川上水から分水して江戸に水を送っていた千川上水が流れていた。宝永4年(1706)、千川上水から分水して農業用水として使うことが許されたが、その一つが関村分水で、関村と上下石神井村で使用した。その後、関村に溜池が造られたため、この溜池の水を農業用水に使うようになった。「新編武蔵風土記稿」によると、関村の用水は村内の溜池より引くとあり、また、上下石神井村などの村々とともに組合を作り、溜池からの水を引いて農業用水として利用した。この用水は石神井用水と呼ばれ、複数の水路で田を潤したあと、下石神井村で三宝寺池から流れて来る石神井川に合流していた。

 天明4年(1784)の「関村絵図」には、千川上水からの関村分水と石神井川とを堤で堰き止めた溜井(溜池)が描かれ、堤の下流に田を潤して流れる複数の水路(石神井用水)が描かれている。江戸期の作成と考えられる「関村溜井絵図」からすると、溜池の大半は湿地になっており、池は堤近くの小さな池だけになっている。「新編武蔵風土記稿」には、村に水害が多い事を憐れんだ幕府の役人から弁天の木像を与えられ、その像を溜井の側に祀ったところ、水害が稀になったと記されているので、この木像を祀った弁天社の池が「関村溜井絵図」に書かれた池であったと思われる。なお、弁天社は天祖若宮八幡に合祀されており、今は橋に名を残すだけになっている。

 

コメント

和光樹林公園、大泉中央公園、大泉さくら運動公園を巡る

2019-11-23 15:02:04 | 公園・庭園めぐり

和光市駅を南口に出て駅前通りを南に行き、川越街道を渡って先に進んで行くと、埼玉県営和光樹林公園の前に出る。園内に入ると右側に屋根付きの広場がある。

先に進むと、左側に遊具のある芝生広場が見えてくる。広場の南側まで行き、芝生広場全体を見渡す。広場の向こう側には、和光市総合体育館の建物が見える。

芝生広場から西に行く。ここは疎林広場と呼ばれ、樹木の点在する低い丘のようになっている。周囲にはジョギングやウオーキングのためのコースも設けられている。

疎林広場の西側は多目的広場として利用できる樹林になっているが、現在は倒木もあるので立ち入り禁止になっている。なお、BBQガーデンは利用可能である。

埼玉県営和光樹林公園の西側から外に出る。東西に走る道は埼玉県と東京都との境界で、道の向こう側に都立大泉中央公園の入口がある。

大泉中央公園に入ると左側に遊具などがあり、右側は陽だまりの広場という芝生地になっている。先に進んで公園の西口、水の広場に行く。ここには大泉の名に因んだ噴水・モニュメントがある。

西側入口から戻り公園内を歩く。すでに日は傾いて、陽だまりの広場も日影になっているが、競技場の辺りはまだ日差しの中にある。センター広場に上がり、それから野球場に沿って進み、東口から外に出る。

練馬区立大泉さくら運動公園は、大泉中央公園の東側に隣接している。入ると芝生広場の先に多目的運動場がある。その横を下って行くと屋外炊事広場があり、BBQが可能である。その先にある池を眺めてから外に出ると、そこは東京都と埼玉県の境界となる道で、道の向こうは和光樹林公園になっている。ここは、県と都と区の公園が隣り合っているちょっと珍しい場所で、境界を越えて3公園を巡るスタンプラリーも行われている。

 

コメント

11月の浮間公園

2019-11-18 19:59:55 | 公園・庭園めぐり

 

浮間公園は浮間ケ池を中心とした公園で、浮間舟渡駅の北側すぐのところにある。浮間ケ池は北区と板橋区の境界になっているが、今回は北区の区域になる東側から歩く。池には渡り鳥が多く飛来してきている。対岸にはこの公園のシンボルでもある風車が見える。

浮間ケ池は、河川改修により断ち切られた荒川本流の一部を池としたものという。この池には島があるが、池の底の錘につなげられている人工の島らしく、浮島の名が付いている。

浮間ケ池に沿って北に進む。ここは無料のへら鮒の釣り場になっているらしい。池の北側には芦原が見えるが、バードサンクチュアリになっているようだ。

桜草園を過ぎると、水生植物園になっている池がある。公園はここ迄。外に出るとすぐ荒川の土手に出る。土手の下は赤羽ゴルフ場になっている。

浮間公園西側の板橋区側を歩く。野球場やテニスコートを横目に池沿いに歩き、風車を過ぎると程なく浮間舟渡駅に出る。河川改修前の荒川は、ここから南に新河岸橋の方向に流れていた。

新河岸川は新倉で荒川に合流していたが、岩淵に至る新しい水路を流れるように改修され、その一部に荒川の旧水路が使われた。上の写真は新河岸大橋から上流の新河岸橋方向を見たものだが、この水路が浮間ケ池から続く荒川の旧水路に相当し、河川改修によって新河岸川がこの水路を流れるようになった。なお、新河岸川大橋の少し下流に、荒川の舟渡の場所の一つ浮間の渡しがあった。

 

コメント

六月の旧古河庭園と飛鳥山公園

2019-06-15 08:26:16 | 公園・庭園めぐり

梅雨時の花、菖蒲と紫陽花を見に旧古河庭園と飛鳥山公園を訪ねてみた。

(1)旧古河庭園

駒込駅から本郷通りを北に、坂を下ってまた上がると、交差点の左側に旧古河庭園がある。入口で入園料を支払い、コンドルの設計による洋館を回り込み、南側のテラス式前庭に行く。この前庭もコンドルの設計でバラ園のようになっている。バラを見ながら前庭を歩いていくと、老いても品格を失わないであろうバラを一本見つけた。そのバラには、イングリッド・バーグマンの名が付けられていた。

旧古河庭園は高低差のある地形を生かして、上を洋風庭園とし下を日本庭園としている。黒ボク石を積み重ねた崖を下り樹林の間を抜けると、心字池を中心に日本庭園が広がっている。京都の庭師、小川治兵衛によるものという。今の季節、池にはショウブが彩を添えている。この庭園にはアジサイもあるが、数は少なくあまり目立たない。

(2)飛鳥山公園

旧古河庭園を出て王子方面に向かい、一里塚を過ぎて飛鳥山公園に入る。園内には博物館があり、その近くにはアジサイもあるが、数は多くない。公園から線路側に下りて、線路沿いの飛鳥の小径に行く。飛鳥山の崖地にはアジサイが植えられていて、飛鳥の小径はアジサイの小径のようになっている。

 

コメント

昭和記念公園の梅と桜

2019-03-20 17:41:45 | 公園・庭園めぐり

昭和記念公園には1500本ほどの桜がある。多くの桜が満開になるのはもう少し先のことだが、公園内を流れている残堀川沿いには、早咲きの桜がもう咲いているという事なので出かけてみた。ついでに残堀川近くの花木園(梅園)にも、梅を見に立ち寄ることにした。

いちょう橋で残堀川を渡ると、下流の右岸に緋紅色のカンヒザクラ(寒緋桜)が見えている。釣鐘型の中輪一重の花が垂れるように咲く桜で、中国南部や台湾に分布している桜だといい、江戸時代の後期に栽培が始まったとされる。公園内では、このほかに、さくら橋の近くや、ふれあい橋の下流側にも、この桜はある。

いちょう橋を渡って左岸を下流に向かうとシキザクラ(四季桜)が咲いていた。4月と10月の2回開花するのが特徴で、花は淡紅色の一重。エドヒガンとマメザクラの種間雑種だという。年に2回咲く桜には十月桜という桜もあるが、こちらの方は八重である。ただ、園芸品種でもあり名が混同して使われることもあるらしい。この桜の対岸にはカンヒザクラがあり、比べて見ることも出来る。

残堀川の左岸を下流に向かって進み、もみじ橋、うのはな橋を経て、さつき橋に出る。この間、所々に咲いている桜がある。さつき橋近くの売店の前にはカワヅザクラも咲いているが、この桜については後で取り上げるとして、右岸にある花木園の梅園に向かう。梅園とは言うが梅以外の花もあって、様々な色彩が混じりあって春爛漫の花の色になっている。

梅園で一番目立つ梅は、名にし負うヨウキヒ(楊貴妃)という梅だろう。花は淡紅色大輪の八重で、品種ではブンゴウメを代表とする豊後系に属し、杏との交雑性が強い豊後性に分類されている。杏は梅と近縁の種でもあり、この梅園にも杏の木が植えられている。

梅園内にはツキカゲ(月影)という梅が植えられていた。花は青白の中輪一重の花で、原種に近い野梅系のうち、緑色の枝や萼があり蕾は緑で青白い花が咲く青軸性に分類されている。ツキカゲは、形も色も香りも優れている梅とされる。

次に取り上げる梅は、その名も見て驚くケンキョウ(見驚)という梅。大輪八重の梅で今は白色になっているが、咲き始めは淡紅色をしているという。ケンキョウは梅本来の性質に近い野梅系の野梅性に分類されている。

梅に名残は尽きないが、この辺にして、さくら橋を渡り残堀川の左岸に早咲きの桜を見に行く。渡ってすぐのところにあるのが、シュゼンジカンザクラ(修善寺寒桜)で、淡紅色の中輪一重の花が咲く。この桜は、カンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種で、伊豆の修善寺に原木があるという。残堀川では、もみじ橋から、さくら橋に至る各所に、この桜がある。

さくら橋の下流にある、ふれあい橋から下流を眺めると、左岸にカワズザクラ(河津桜)が見える。この桜は、公園内では最初に咲始める桜だそうで、すでに見ごろは過ぎているようである。カワズザクラは紅色大輪の一重でカンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種という。原木は静岡県河津にあるそうだが、人気があるせいか各地の公園などでも見かけるようになった。ふれあい橋から、下流のむらさき橋まで歩き、今日のところは、これにて終りとする。

 

コメント

墨田公園と向島百花園の梅を見に行く

2019-02-26 19:40:44 | 公園・庭園めぐり

隅田公園は隅田川の両岸、墨田区側と台東区側にある。本所吾妻橋駅を下車し三つ目通りを北に向かう。北十間川を源森橋で渡って左に行き、墨田区側の隅田公園に入る。現在は園内の一部が工事中だが、日本庭園は公開されている。この公園は水戸徳川家下屋敷の跡で、小梅屋敷と呼ばれていたという。数は多くはないが、今も庭園内に梅はある。梅と池を眺めてから言問橋を渡り、台東区側の隅田公園に行く。

言問橋の下をくぐって北に向かい、梅めぐり散歩道を歩く。隅田公園には150本ほどの梅があるそうだが、散歩道の他にも梅はあるのだろう。待乳山聖天の近くまで行き、スカイツリーを見ながら野球場に沿って戻る。

ビール会社のジョッキ風建物を、枝垂れ梅の下から望み、それから、隅田川の堤を歩いていく。川の上には冬の装いのユリカモメが飛び交っている。ほどなく桜橋。台東区と墨田区を結ぶ歩道橋を渡る。桜橋から先は隅田川テラスを歩いていけそうだが、今回は堤防の上を歩く。堤通公園まで来て右に行き、墨堤通りを渡って地蔵堂の先を右に向島百花園に行く。

現在の向島百花園は四季の花咲く草庭ということだが、佐原鞠塢がこの庭を造った当初は梅園だったという。現在も園内には20種余、70本ほどの梅があり、観梅にも向いた庭園になっている。園内のあずまや近くにある梅は白加賀で、大きくて粒のそろった梅干しが得られる、古くから知られた品種という。向島百花園内の梅の多くはこの品種のようだ。

上の写真は紅千鳥という品種の梅で、一重の明るい紅色の花はよく目立つ。向島百花園内にこの品種の梅は4本ほどある。

上の写真は白滝枝垂れという八重の白色の梅で、百花園ではこの1本だけになる。満開になると滝のような姿になるのが名の由来だそうだが、今はまだ、滝の姿にはやや遠い。

上の梅の写真は、思いのままという品種で輪違いとも呼ばれている。花は八重で、白色、淡紅色、紅色の花が混じって咲く。

向島百花園はさほど広いわけではないが、それでも、全ての梅の品種を確かめながら歩くと時間がかかりそうなので、梅の木の上にスカイツリーが見えることを確認して外に出る。最寄り駅は東向島駅になる。

コメント