(76)穴守稲荷 (大田区羽田5)★★
比較的新しい稲荷で、波浪により堤防に穴があいたため、稲荷の祠を祭ったところ、その後は被害が出なかったというのが始まりだという。穴守の名もそこから来ているらしい。この稲荷、明治になって神社に昇格してから、急に流行し始め、近くに鉱泉が湧き出したこともあって、周辺は歓楽地のようになったそうである。戦後、進駐軍の命により現在地に移転。空港の敷地内には大鳥居だけが取り残されていたが、それも何事もなく移転できたようで、まぁ結構なことである。稲荷は今でも結構繁盛している様子で、空港とは共存共栄という事なのだろう。ご利益があるかどうかはよく分らぬが、空の旅の安全を願って拝礼。
(77)白魚稲荷 (大田区羽田5)
創建時期不詳の古い社を再建したものという。名前の由来は分からないが、この辺でも白魚がとれたに違いない 。付近の民家の中に溶け込むように鎮座しているところを見ると、あくまで地元の稲荷なのだろう。近隣の子供たちが稲荷社を占有していようと文句は言えない。離れた場所で頭を下げ、怪しまれぬうちに退散。
(78)鴎稲荷 (大田区羽田6)
昔は羽田道だったという道を歩いていたら稲荷社があった。豊漁の兆しとしての鴎を祭った稲荷という。近くの浴場で身体を清めてから参拝するのが本当かなと思ったが、それも面倒なので省略。ついでに空を見上げてみたが、鴎の姿は無い。まだ、その時期では無いのだろう。今回は、賽銭の方も省略し、一礼しただけで通り過ぎる。
(74)武芳稲荷 (豊島区雑司ケ谷3)
鬼子母神の境内の、名物のみみずくを売る売店の隣に、稲荷の鳥居が列を為しているのが見えた。この稲荷、古くからこの地にあったらしい。それにしても武芳という稲荷の名が気になるのは、今が武ばった時代に入りかけているからだろうか。鳥居の行列を抜け、突当たりの稲荷を拝んで、ひとまず安心。賽銭の方は鬼子母神の方へまとめて払い込み。
(75)威光稲荷 (豊島区南池袋3)
法明寺の裏手の曲がりくねった参道を入ると、隠れるように稲荷が祭られていた。伝承では、稲荷神の威光を見た円仁が堂宇を建てた事に始まるという。その真偽は別にして威光を放つ稲荷が最初にあって、狐の威を借りた寺、つまり稲荷山威光寺が建てられ、現在の法明寺に受け継がれたということなのだろう。お上の威光も無きに等しく、稲荷の威光もとうに無いので、形ばかり参拝して済ます。ついでに稲荷社の奥にある塚らしきものを見に行こうとしたら、背後から制止された。塚の主を怒らせてはならぬというのである。
(72)武蔵野稲荷 (練馬区栄町)★
西武線江古田駅の近くに稲荷がある。参道は線路近くにあるが、堂々たる鳥居が迎えてくれる武蔵大学側の参道が正面なのだろう。稲荷社の場所は、もともと豊島氏の塚という瓢箪塚があった場所で、社殿も稲荷社には不相応なほど立派なものである。難は、西武線の電車が轟音をあげて横を走っていく事。そういえば、さっき白い子猫が線路に入り込んだような気がしたけれど、大丈夫だったのだろうか。
(73)五郎久保稲荷 (豊島区南長崎5)
コンコン通りというお稲荷さんがありそうな通りに、期待に違わず稲荷社が祭られていた。五郎久保の名は最近付けられたもののようで、元の名前も由緒も分からぬ稲荷ながらも、境内もそこそこの広さで、祭礼の時には神輿もでるという。その待遇からして、相応のご利益もありそうに思えた。目付の作法に従って角を直角に曲がり、神社の決まりに従って拝礼。外に出てから賽銭を忘れていたことに気付いたが、また今度という事で。
(70)杓子稲荷(世田谷区梅丘1)
前から猫のことが気になっていたので、招き猫の寺という豪徳寺に行ってみることにした。ところが、どこでどう道を間違えたか、杓子稲荷に行きついた。この稲荷、世田谷城を築いた吉良氏が、城の鬼門の鎮護のため伏見稲荷を勧請したことに始まり、後に再興したものという。今の社は質素ながら、由緒ある稲荷ということらしい。杓子は飯を掬うことから、転じて難を救うというのが稲荷の名の由来だそうだが、それなら、落雷の難を避けることも出来るだろう。それにしても、この稲荷に行き当たったのは、何がしかのご縁があるという事なのだろうか。
(71)福寿稲荷(世田谷区若林2)
杓子稲荷を出て、何とか豪徳寺にたどり着く。この寺は井伊家の菩提寺だが、その前は吉良家ゆかりの寺であったらしい。ひとまず広い境内を見て回る。招き猫の姿はともかく生きている猫の姿は見かけない。参詣を終えて、今度は烏山川緑道を散歩。少々歩いて環七を越えたところに稲荷社を見つけた。由緒は分からないが、稲荷というより普通の神社である。境内は閑散として猫の子一匹居ない。来るまでもなかったのだろうか。
(67)於岩稲荷(新宿区左門町)★
この地にあった於岩稲荷が、明治になって田宮稲荷と改称して移転した後、その跡地に建ったのが、現在の於岩稲荷である。この稲荷、余程儲かるとみえて、向かいには寺が運営する同名の稲荷も建っている。芝居の話と実際の人物像とはかなり違うようだが、そんな事は稲荷にとってはどうでも良い事らしい。要は、参詣客が心安らかになり、稲荷が繁盛すれば、それで良いのである。この種の稲荷には願を掛ける人の思いが渦巻いているかも知れず、そんなものに取りつかれても困るので、横目で拝んで、さらりと通り過ぎる。
(68)甲賀稲荷(渋谷区千駄ヶ谷1)
鳩森神社に上まで登れる富士塚があるということなので行ってみた。すると富士塚の脇に稲荷があることに気がついた。甲賀稲荷といい、この近辺にあった甲賀鉄砲組の社であったという。ひょっとすると、鉄砲組と稲荷とは何かの縁があるのかも知れない。とりあえず、稲荷の鳥居の前で一礼して立ち去る。
(69)榎稲荷(渋谷区千駄ヶ谷2)
鳩森神社の近く、寺の裏参道と思しき場所に稲荷の鳥居があった。石段を上ると、途中の洞に稲荷の小さな祠が祭られていた。この稲荷、テレビで取り上げられた事があったような気もする。稲荷の名の起こりとなった榎は既に無くなっているらしく、今ある稲荷の祠もメモリアルに近いものかも知れない。立ち去る前に洞の中を覗いてみると、猫が一匹、こちらを睨んでいた。