夢七雑録

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47.2 遅野井村八幡宮参詣 善福寺池 妙正寺池(2)

2009-07-26 22:24:03 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 来た道を戻って伊草(井草)に行き、寒泉寺(観泉寺。杉並区今川2)を訪れる。客殿につながる室は修理中であった。門の右手に拝殿と本社があったが何の神を祀るかは不明であった。庫裏には人が居る気配があったが、戸を締め切ったままであったため、何も聞けずに、その場を立ち去っている。寒泉寺は今川氏の菩提寺であったのだが、嘉陵が、そのことを知っていたかどうかは分からない。

 嘉陵は、門前に居た翁から妙正寺への道を聞き、その言葉通りに行くと、長屋門を構えた名主井口新之丞の家と、冠木門を構えた井口新十郎の家があった。その前を北に行くと妙正寺(杉並区清水3)の門があり、入ると左に番神堂、右に仮の鐘楼があり、奥には枝垂桜が見えた。寺の堂舎は一昨年、焼失したため、坊と堂を兼ねた庫裏があるだけだった。傍らに居た40歳ばかりの男に池への道を聞くと、案内してくれるという。池(妙正寺池。杉並区清水3)は大きくはないが、湧き水があり、池の水は東南に流れて下落合に至る(妙正寺川)ということであった。また、池の中の島には弁財天の祠が祀られていた。妙正寺の住職は不在で、堂舎建立のために、本所猿江の慈眼院に寄宿して、寄付を募っているという話であった。案内してくれた男は、井口新十郎といい、途中まで送ってくれると言う。天沼と井草の境の石橋まで送ってもらい、帰り道を細々と教わって、謝して別れている。なお、井口家の古文書は、現在、杉並区の文化財に指定されており、門の前にその事を記す標柱も立てられている。妙正寺池の水は、当時は湧水であったが、現在は地下水をくみ上げて、池の水を保っているということである。

 北西に行けば三宝寺や長命寺に出るが、すでに午後4時近くであったので、またの機会ということにして、帰路に着く。天の沼を経て高田へ行く道を進み、下高田の橋(小滝橋)を渡って、大久保中百人町(新宿区百人町)に出る。そこから、尾張戸山屋敷(新宿区戸山)の横を通り、月桂寺(新宿区河田町)の前を過ぎ、尾張の市谷北長屋下を経て、左内坂(新宿区市谷左内町)を通り、市谷御門から家に帰った。午後6時を少し過ぎていた。この日は、阿佐ヶ谷で休んだ以外は休みを取らなかった。歩いた距離は40km弱。嘉陵は数えで73歳になっていた。


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