夢七雑録

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西新井竹の塚コースを歩く

2014-03-30 14:04:11 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「西新井竹の塚コース」は、「島根六月寺めぐり散歩(大師前駅~竹の塚駅)」、「伊興寺町散歩(竹の塚駅~古千谷橋)」の2区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は6.8kmになる。

(1) 島根六月寺めぐり散歩

西新井駅で改札を通り一駅だけの大師線に乗る。大師前駅は無人駅で改札もフリーパス。参道を通って山門に出るべきなのだろうが、ここでは、ぼたん園と思しき区画に沿って進み、山門に行く。案内板は山門の少し手前に設置されている。

本来のルートは、山門の前を通り過ぎて寺の西側の境界沿いに寺の北側に出るのだが、今回は山門を入って大本堂に行き、裏門から寺の北側に出て右に行く。水路跡という道を進むと車道に突き当たる。この道を七曲の道といい、千住から本木新道を経て西新井大師に至る大師道に続く道で、赤山街道に出て鳩ヶ谷に至る鳩ヶ谷道でもあった。七曲の道沿いには水路があり本木新道へと続いていたようだが、今は姿を消している。この道路を車に注意しながら渡り、左側の道に入って、その先の大師線の下をくぐる。尾竹橋通りを信号で渡って先に進むと、道は線路の近くで右に折れて環七の通りに出る。

左手の階段で西新井陸橋に上がり、環七沿いに歩いて線路を渡り、その先で階段を下りる。住宅公園の前を過ぎて信号を渡り、次の角を左に折れる。先に進んで四つ角を右に折れて島根小に沿って進み、その先の信号で竹の塚センター通りに出る。ここを左折、北に向かって進み、次の信号で環七北通り渡って、右側の歩道に移る。その先の四つ角を標識Cと標識Bに導かれて右に入って進むと、右側に北厨子公園がある。ここは、赤羽家長屋門の家の裏手に当たるだろうか。この公園を過ぎ二つ目の角を左に入り突き当りを左に次の角を右に行くのがルートだが、分かりにくいので、公園の先すぐを左に行き、突き当りを右に行き、次の角を左に入って鷲神社に出る。

鷲神社の前を東に行くと、旧日光街道に出る。ここを左に行き、二つ目の信号で左に入る。先に進んで竹の塚センター通りを渡り、突き当りを右に行くと交差点に出る。標識Bの前の横断歩道を渡り、左に折れて西に向かって進み、次の角を右に折れると、少し先の左側に一茶の句碑がある炎天寺があり、その隣に八幡神社がある。

八幡神社の前を北に行き、突き当たって左へ、次の信号を右に折れ、その先の信号で赤山街道に出て左に折れ、左側の歩道で先に行く。赤山街道は、関東郡代の伊奈氏の赤山陣屋(川口市赤山)に通じる街道で、この道を進んで行くと、竹の塚駅の踏切が見えてくる。竹の塚駅付近が高架になるのは、もう少し先のことなので、ルート通りに歩こうとすると開かずの踏切を渡ることになる。今は、踏切の北側の跨線橋を渡るのが望ましいので、踏切の手前にある交差点で右側の歩道に移り、踏切から右に行き跨線橋を渡る。渡り終えて右に折れ、次の信号で左側の歩道に移り、赤山街道を先に進むと車道側に案内板が設置されている。

(2)伊興寺町散歩

赤山街道を先に進み、伊興町前沼の交差点を渡って右に折れ、尾竹橋通りを左側の歩道で北に向かう。この歩道の途中には、歴史と文化の散歩道の車止めポールが随所に置かれている。伊興白幡の交差点に出たところで左へ折れ、保木間堀親水水路を歩く。親水水路沿いには、関東大震災後に移転してきた寺が並んでいて、寺町を形成している。

寺町の先に伊興遺跡公園がある。この付近は、縄文から古墳時代にかけての遺跡地で、公園内には展示館があり竪穴住居が復元展示されている。遺跡公園から先に進み、毛長橋通りを渡る。その先、はんの木橋の交差点で赤山街道に出る。ここを右に、左側の歩道で進み、古千谷橋の交差点を渡って、見沼代親水公園に入ると、右側に案内板が置かれている。コースはここで終りになっているが、折角なので見沼代親水公園を先に進み、尾久橋通りの、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで延長したい。

江戸時代、農業用溜池として使用されていた見沼溜井を干拓し、灌漑用水の代替えとして見沼代用水が開削される。この用水は東縁と西縁に分かれて流れるが、そのうちの東縁の下流部は毛長川を越えて足立区内に至っている。その水路跡のうち神領堀分岐点から古千谷橋までを親水公園としたのが見沼代親水公園である。明治の地図を見ると、見沼代用水は古千谷橋の下流で西新井堀が南に分かれ、はんの木橋の手前で本木堀が南に分かれて途中から七曲の道に沿って流れ、はんの木橋で保木間堀が東に分かれたあと、赤山街道沿いに流れて、途中から千住堀と竹の塚堀に分かれて流れていたようである。

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井の頭深大寺コースを歩く

2014-03-08 09:05:13 | 歴史と文化の道
 東京都の歴史と文化の散歩道のうち「井の頭深大寺杉並コース」は、「成蹊けやき並木散歩(井の頭恩賜公園~三鷹駅)」、「三鷹連雀散歩(三鷹駅~野崎八幡)」、「武蔵野おもかげ散歩(野崎八幡~調布駅)」の3区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は12.3kmになる。

(1) 成蹊けやき並木散歩

 はじめに、“かいぼり”が行われた時の井の頭池の写真を載せておく。“かいぼり”は、池の水を抜いて、池底を天日に干して水質を浄化する事と、外来種を駆除し在来種を保護する事が目的だという。池の底が露出した井の頭池や、家康が茶を点てたという井戸に水が無い風景は今しか見られない。天日干しのあと水を入れても、大半の水は池底から漏れてしまうそうなので、多少の時間はかかるだろうが、それでも、花見の頃までには元の水位に戻るだろう。この池が、小魚の泳ぐ姿が見える池として蘇った暁には、もう、自転車なんぞを放り込む輩は現れないだろう、多分。それと、井の頭池での“かいぼり”の結果が良ければ、他の池でも“かいぼり”の機運が高まるかも知れない。

 コースの起点となる井の頭自然文化園は、動植物と彫刻の取り合わせが面白く、長崎の平和祈念像の原型など見るべきものもあるのだが、今回はパス。出発の前に道路側に置かれている案内板を確認するが、汚損がひどく読めない。読めない案内板は無視して、武蔵野吉祥七福神のルートに従い吉祥寺通りを北に、それから、五日市街道に出て左折する。車の流れの横を歩くのは楽しくないが、致し方ない。

 歩けば、そのうち目印の歩道橋が見えて来る。ここを右に入り、けやき並木の道を歩く。正門を左に、その先を右に曲がり、けやき並木の道を直進する。突き当りを左に行き、陸上競技場のところを左に曲がる。左側の歩道で浄水場を右手に南に向かい、信号を渡って先に進むと、左側に図書館がある。

 図書館の横の通りは、文化会館通りという通称を持っているが、今では、景観に配慮した道になったことを機に、“かたらいの道”という名称が与えられている。コンサートの感想などを語らいながら歩く道という訳だが、そのコンサートが開催される市民文化会館は、五日市街道を渡ったところにあり、その前には案内板も置かれている。かたらいの道を先に進んで井の頭通りを渡り、左側のグラウンドを過ぎる。その先の角を右に、武蔵野警察署の方に進み、三鷹駅北口に出る道路を左側に見送って、三鷹通りを左に折れる。けやき橋の交差点を渡り、玉川上水を渡り、JRのガードを潜り終えれば、この区間は終わり。左に行けば三鷹駅に出る。

(2) 三鷹連雀散歩

 JRのガードをくぐった先を南に向かう。明暦の大火のあと、神田連雀町の住人が移住して開拓したという下連雀と、後に開発された上連雀の間の三鷹通りを、ただひたすら歩く。やがて、左側に八幡大神社が見えてくる。この地の開拓を始めた時、まだ、神社や寺がなかったため、住民が願い出て創建したのが八幡大神社と禅林寺だという。禅林寺は神社の隣にあるが、墓マイラーではないので省略して先に進む。

 八幡大神社の前の案内板を確認し、連雀通りを渡る。ひたすら南に向かって歩けば、やがて三鷹市役所前の交差点に出る。ここを右折。左側の歩道で人見街道を西に向かう。人見街道は、武蔵国府であった府中と大宮八幡を結ぶ道で、古代の道筋とする説もある。この道を進んで行くと野崎の交差点に出る。ここで人見街道は、拡幅工事中の武蔵境通りと交差する。交差点の南西の角にある標識Bを確認し、右側の歩道で南に進むと東八道路に出る。左側に野崎八幡が見えたところで、三鷹連雀散歩はこれにて終了となる。なお、武蔵境通りの前身というべき道は、調布から野崎経由で田無に至る深大寺参詣道に相当し、中世の軍道とも言われる古道であったが、境浄水場の開設により分断された結果、今の武蔵境通り(調布田無線)は武蔵境の北で、境浄水場の西側を通るルートにより田無に向かっている。

(3)武蔵野おもかげ散歩

 東八道路を渡り、武蔵境通りを右側の歩道で南に向かうが、途中で左側の歩道に移る。野崎の交差点から左側の歩道を歩く方が正解だったかも知れない。ところで、武蔵野吉祥七福神で歩いた伏見通りと武蔵境通りは、現在接続されていて、都市計画道路・調布保谷線として通行出来るようになっており、そのうち、東八道路から先、中央自動車道までの区間は、ほぼ完成している模様である。調布保谷線は片道二車線、歩道は広く自転車とも分離されているので、歩きやすい道になっている。

 神代植物公園の信号まで行き、正門から神代植物公園に入ってみたい気もないではないが、今回はルート通りに、その手前の神代植物公園北の信号で左に折れ、神代植物公園通りを東に進む。左側に絶滅危惧植物保護の拠点として開設された植物多様性センターがあり、入園無料なので西門から入って植物の屋外展示を見てまわり、正門から外に出る。標識Bを確認し芝生の広場を歩いて、総合体育館前の信号で右に入る。植物公園の間を抜ける道を南に向かい、神代小橋という名の橋をくぐると、ほどなく神代植物公園の深大寺門の近くに出る。

 今回は神代植物公園は割愛して、北門から深大寺の中に入り、元三大師堂を経て本堂に出る。深大寺は天平5年創建と伝えられる古刹で、江戸時代には元三大師の縁日に近郷近在から参詣客が集まった寺でもある。深大寺の名物は蕎麦で、深大寺領に産する蕎麦を深大寺蕎麦と称していたが、「江戸名所図会」によると、佳品といえるのは寺の裏門近くの畑でとれた蕎麦だけだったという。江戸から明治にかけて深大寺の門前には十軒ほどの店があり、そのうちの一軒では蕎麦を出していたそうだが、大正時代に田山花袋が訪れた時には深大寺も荒廃して食事が出来るような店も無かったという。深大寺に参詣客が戻ってくるのは戦後暫くしてからで、蕎麦の店が増え始めるのは神代植物公園が開園した昭和30年代の後半以降の事である。現在は、深大寺一帯が鬼太郎の助けも借りて半ば観光地化している。

 山門を出て案内板を確認し、門前を南に向かい、バス停から右に折れて、深大寺の信号を渡る。坂を上がって修道院を過ぎると、池上院沿いの下り坂となる。「江戸名所図会」に深大寺蕎麦についての挿絵があるが、描かれている人物は住職と客人の様であり、その場所も門前の茶店ではなく、丘の上の懸崖造りの建物である。その位置だが、描かれている川を野川とし、遠くに見える家並みを甲州街道と考えると、池上院近くの丘の上のように思える。

 坂を下って標識Cにより右折し、次の角を標識Bにより左折。中央自動車道をくぐり野川を渡る。次の交差点を渡り、左側の歩道で先に進むと、小公園の先から道は右に曲がっていく。次の交差点を渡り、標識Cにより左折。右側の歩道を進み、スーパーを過ぎて、次の信号で右に入ると布多天神の横に出る。参拝ののち、南側の鳥居から外に出て、大正寺を左に先に進む。甲州街道を渡り、天神通りを抜けると旧甲州街道に出る。ここを右に行き交差点を渡って左に行けば調布駅に出る。調布駅の地下化に伴う駅前再開発が、目下進行中である。

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