九頭龍橋跡から、次の信号の所まで行くと、ようやく北側の歩道に桜並木が続くようになる。桜の下はグリーンベルトで、千川上水が地下を流れているという。桜の下の道を歩いて行くと祠があり、九頭龍弁財天ほか石造物を集めて祀っている。その先、中村橋駅の入口にある交番の近くに架かっていたのが中村橋で、今は駅名にその名を残すだけである。中村橋跡から千川通りの北側の歩道を歩くが、グリーンベルトには桜の並木が続き、花見時には歩いて楽しい道である。その先、桜の下の不動の祠にちょっと頭を下げ、桜の向こうの桜井銘木の建物に目を留め、古道の下練馬道を知らぬ間に通りすぎる。
そろそろ桜にもグリーンベルトにも飽いてくる頃、桜並木が途切れて豊玉北六の交差点に出る。この交差点で、千川通りは目白通りと交差するが、西側の目白通りから東側の千川通りに抜ける道は、清瀬や練馬からの農産物の運搬ルートであった清戸道に相当する道である。この交差点を渡って千川通りに入ると、練馬駅前の繁華街となる。北側の歩道を歩くと、文化センター入口の五差路の先に筋違橋跡の小さな碑がある。人通りの多い駅前を抜け、練馬消防署前の交差点を過ぎると、再びグリーンベルトと桜が現れる。桜台駅前の交差点を過ぎ、桜の碑を横目に先へ進んで、環七の陸橋の下を潜る。ここから道は右に曲がるようになり、右手に武蔵大学が見えてくる。武蔵野稲荷神社の前を過ぎて、江古田駅が近くなると桜並木も無くなり、江古田二又、現在の江古田駅南口の五差路の交差点まで、桜並木は途切れたままである。
「千川上水路図」(明治16年頃)で、九頭龍橋から千川上水の右岸を行く。北側は畑地が続くが、南側に林が見えるようになり、中村橋が架かっている。この橋には、阿佐ヶ谷、鷺宮から清戸道に出る道が通っている。現在の中杉通りである。千川上水の右岸をさらに進むと、現・中村北三の交差点から南に中村分水が分かれている。この分水は南に流れて南蔵院付近の田の灌漑に使われた後、東流して現・学田公園付近にあった沼に注いでいた。この沼に流れ込んでいた分水はもう一つある。中村分水から橋を六ヶ所過ぎたところから、中村と中新井村の境を南に流れる中新井分水である。なお、この沼から流れ出た中新井川(江古田川)は、東流して水田を潤し、北に流れたあと南に向きを転じて妙正寺川に流れ込んでいた。中新井分水から先、二つ目の橋を北に渡ると清戸道に出る。ここを右に千川上水の北側を進み、橋を三か所ほど過ぎると、千川上水が南から北に移る場所に筋違橋が架かっている。この橋を渡って人家が続く清戸道を進むと現・練馬消防署の近くに水車があった。矢島水車で、筋違橋の手前から回し掘を設けて清戸道の南側を通し、その水で水車を回していた。この水車から先、千川上水の右岸をそのまま進んで橋を二か所過ぎる。清戸道沿いには人家が点在しているが、北側は相変わらず畑地が続いている。現・環七の陸橋の辺りまで来ると、下練馬分水が北に分かれ、石神井川に向かって谷を下っている。その先では、南へ中新井村用水が分かれている。現・武蔵大学構内を抜けて江古田川に流れ、妙正寺川に注ぐ分水である。なお、現・桜台駅交差点近くにも、中新井村分水があったとされるが、「千川上水路図」には記載が無い。右岸をそのまま進むと、清戸道と高田道が分岐する江古田二又に出る。