夢七雑録

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文化財めぐり小石川・雑司が谷コース

2017-10-10 19:01:44 | 東京の文化財

文化の日を中心とした東京文化財ウイークが今年も開催され、文化財の特別公開や特別展、講演会が企画されている。今年は、特別企画として行われる文化財めぐりコースとして、小石川・雑司が谷と北多摩が設定されているが、そのうちの小石川・雑司が谷コースを歩いてみた。コースは、茗荷谷駅―石川啄木終焉の地―小石川植物園―お茶ノ水女子大―護国寺―旧マッケーレブ邸―鬼子母神―自由学園明日館―池袋駅である。

丸の内線の茗荷谷駅を出て直ぐの春日通りを渡り、右に行って次の信号で左に入ると竹早公園に出る。ここを右に折れてテニスコートを左に見ながら進み、次の角を左に下って行くと、小石川図書館がある。四つ角を右に折れ次の角を左に行くと、都指定の旧跡・石川啄木終焉の地に出る。歌人として知られる石川啄木は、この地で結核により僅か26年の生涯を閉じている。平成27年、この地に顕彰室と歌碑が設置された。

終焉の地の少し先を右に行くと、桜並木の播磨坂に出る。この坂を下って植物園前の交差点を渡り大雲寺の横を入る。工事中の道路に突き当たって右へ行くと、国指定名勝及び史跡の小石川植物園の正門に出る。この植物園については当ブログの「占春園から小石川植物園」でも取り上げているので説明は省略。入園料を支払って、園内を散策し日本庭園に出る。池の向こうに移築再建された旧東京医学校本館が見えている。

植物園西側の出口から外に出るが、ここから植物園への再入場は出来ないので要注意。出てすぐのところに旧東京医学校本館がある。この建物は重要文化財に指定されているが、東大総合研究博物館小石川分館(建築ミュージアム)としても使用されている。入場無料だが月火水は休館になる。館内からは植物園の眺めが良いが、今回は省略して先へ行く。

外に出て左に行き、交差点を渡って窪町東公園を歩く。右手に占春園への道を見送り、滝の音を聞きながら湯立坂を上がる。坂の上、道路の反対側には重要文化財に指定されている旧磯野家住宅の門が見える。

春日通りに出て右へ行き、坂を下って交差点を渡り左側の歩道を進むと、改修されたばかりのお茶ノ水女子大の表門(正門)がある。お茶の水女子大は、この門のほかに、本館、講堂、附属幼稚園園舎が国登録の有形文化財になっているという。

春日通りを先に進んで、交差点を左に折れ、富士見坂を下って護国寺に行く。石段を上がって重要文化財の本堂を参拝し、西側にある重要文化財の月光殿を眺める。境内の大師堂、薬師堂、惣門、鐘楼、仁王門は区指定有形文化財だが、護国寺には他にも文化財が存在する。護国寺を出て西に行き、護国寺西の交差点を渡る。

渡り終えて右に行き、三つ目の角を左に入る。右手は本浄寺で、その境内にある拝鈍(ハイドン)亭では、クラシックのミニコンサートや落語などが行われているという。気にはなるが先を急ぎ、坂を上がる。曲がりくねった道は、崖に沿ってゆるやかに上がり、右方へと曲がって行く。この道を先に進めば雑司が谷霊園に出るが、その途中にある幼稚園の先を右に入ると、都指定有形文化財の旧マッケーレブ邸(雑司が谷旧宣教師館)に出る。昨年のリニューアルオープン以来、今回が初めての入館ということになる。

雑司が谷霊園に出て左へ行くと分岐点に出る。左の道を進み急坂を下ると、弦巻通りに突き当たる。ここを流れていた川の名が、通りの名の由来になっている。ここを右に行くと都電の踏切に出る。都電に沿って左に行き、鬼子母神前駅の踏切を渡る。先に進むと、右側に都指定天然記念物のケヤキ並木がある。

並木の道を進むと、途中に雑司が谷案内処があり、その裏手には手塚治虫が住んでいた並木ハウスが残っている。ケヤキ並木の道を進み、突き当りを左に折れると鬼子母神堂の境内になり、都の天然記念物に指定されているイチョウの木がある。

鬼子母神堂は平成28年に重要文化財の指定を受けている。建立は寛文4年(1664)、広島藩によって造営されている。ほかに、板絵着色大森彦七図と板絵着色三人静白拍子図が都指定の有形文化財になっている。鬼子母神堂の前を右に下りて、左に境内に沿って進み、広い方の道を行けば明治通りに出る。明治通りを渡って右へ、左側の歩道で上がっていくと、南池袋1の交差点に出る。ここを左に行くと、西武池袋線と山手線の下をくぐる池袋架道橋、通称ビックリガードに出る。昔は車1台が通るだけの狭い道で、上を電車が通ると馬もビックリするような場所だった。

ガードを通り抜け、その先の信号で左に入り、次の四つ角を右に行く。丁字路を左へ次の角を右に行くと、重要文化財の自由学園明日館がある。道路の北側の建物は、フランク・ロイド・ライトと遠藤新の設計で、大正10年に建てられた中央棟を中心に東西の教室棟で構成されている。また、道路の南側には、遠藤新の設計により昭和2年に建てられた講堂がある。これらの建物は使用しながら保存する動態保存として改修され、中央棟や教室棟は平成13年に、講堂は平成29年に改修工事を終えて公開されている。

明日館から西に行き、四つ角を右に折れる。この場所にあった児童文学者の坪田譲治の旧宅“びわのみ文庫”は解体されてしまったらしい。先に進むと広い劇場通りに出る。右手にあった勤労福祉会館は改修されて、“としま産業振興プラザ・IKE・Biz”となり、この建物の7階にあった豊島区立郷土資料館は10月1日にリニューアルオープンしている。

消防署を過ぎ池袋署南の交差点を渡って右へ、次の角を左に入る。ホテルメトロポリタンに沿って次の角を右に行くと、北西側の角地が池袋史跡公園という小さな公園になっている。ここは池袋の名の由来とも言われる丸池の跡地である。明和9年(1772)の雑司ヶ谷村図には、現在の弦巻通りを流れていた弦巻川の源流である池が描かれているが、これが丸池であり、当時は雑司ヶ谷村であったことが分かる。沿革図書からすると、丸池は農業用水の溜池として利用されていたらしい。明治45年、後に成蹊学園となる成蹊実務学校が池袋に創立されると、丸池はその敷地内になり、成蹊池と呼ばれることもあったらしい。丸池は戦後も形を変えて存続していたが、今は跡形も無い。池袋史跡公園から北に行くと池袋駅で、小石川雑司が谷コースはこれにて終りということになる。

<参考資料>「小石川・雑司が谷を歩いてみませんか」ほか。

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