夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

中野通りの桜並木

2018-03-29 19:08:03 | 散歩道あれこれ

中野駅北口の歩道橋(中野駅北口駅前広場東西連絡橋)から北を眺める。中野通りには桜並木が続き、桜まつりも開催されている。

中野駅から中野通りを北へ、満開の桜の下を歩き、新井交差点を越え新井五差路を過ぎる。新井薬師へは裏から入ることも出来るが、表から入る方が良さそうである。

新井薬師は梅に縁のある寺だが、桜も多い。門を入って直ぐのところには、見事なしだれ桜がある。

参詣を終えて境内を見て回ると、北東側にあまり見かけない桜があった。プリンセス雅と名付けられた新種で平成13年に植樹したという。

新井薬師の裏に出て公園を抜け、中野通りを歩道橋で渡る。写真は橋の上から南側を見たものになる。橋を渡ったあと、左側の歩道で中野通りを北に向かう。

小学校の近くの歩道橋を渡り、橋の上から中野通りの北側を見る。ここからは、右側の歩道に移り、踏切を渡って先に進むと、中野通りの上に架かる橋が見えてくる。

交差点を渡り石段を上がって橋の西側に出る。橋の名は片山橋で、中野通りを通すため台地を崩して切通しとした時、分断されてしまった道の代わりに架けられた橋らしい。橋の上で南側を見てから、石段を下って左側の歩道で先に進む。

妙正寺川を過ぎたところで、中野通りを渡って哲学堂に行く。川の北側は花見の場所として使われているが、今回は川の南側の庭園エリアから、川の上に枝を伸ばしている桜を眺める。

哲学の庭を過ぎ、妙正寺川と調整池の間の歩道を歩く。この先、川の両側に桜がある。


川の南側からは哲学堂の菖蒲池辺りが見える。橋を渡って哲学堂に入り菖蒲池に行く。

菖蒲池の北側はつつじ園の傾斜地で、桜の下には流れが作られている。

つつじ園の坂を上がる。上から見ると、つつじは未だ緑一色で、桜の引き立て役になっている。

理想橋を渡り時空岡に出る。桜の上の三学亭は改修工事中なので、桜を前景に入れて宇宙館を眺める。

哲学関という門から外に出る。野球場とテニスコートの間は桜並木になっている。野球場を覗くと桜の上に、国登録有形文化財になっている野方配水塔(水道タンク)の頂部が見える。今回はここまで。最寄りの落合南長崎駅までは1kmほど。

コメント

綾瀬の桜を見に行く

2018-03-28 19:34:24 | 散歩道あれこれ

綾瀬駅の東口を出て右に行くと東綾瀬公園の入口がある。右手の広場を横目に、細長い公園内を北に向かうと、さっそく桜が出迎えてくれる。東綾瀬公園は全体として逆U字型になっており、この先の進路は逆U字の左側すなわち西側に相当する園内を歩く事になる。

斬新なデザインの東京武道館の東側を進み、その裏手を左に行くと東綾瀬公園の続きが現れる。細長い園内には、せせらぎが流れており、桜が各所にある。また、園内の所々には遊具や多目的広場が設けられている。

河内橋で道路を渡ると、公園は右へと曲がっていき、野球場のある健康スポーツゾーンとなる。道路を挟んで向こう側は、逆U字型の東側の部分になるが、今回は割愛して先に行く。

健康スポーツゾーンの北東側から外に出て北に向かう。道に沿って細い水路が流れているが、これは花畑川を水源とした農業用水の中居堀を表しているらしい。この水路をたよりに北に進んだあとその先を右に折れ、水路に沿って交差点を渡り次の角を左に折れる。水路は稲荷社で途切れている。

稲荷社から北に向かうと、しょうぶ沼公園となる。この公園の見所は菖蒲になるのだろうが、桜も多いので花見にも向いている。この公園は北綾瀬駅に隣接しており、綾瀬駅からのひと駅散歩であれば、ここで終りという事になるが、今回はもう少し足を伸ばしたい。

しょうぶ沼公園から東に少々歩き、環七を渡って大谷田公園に行く。ここにも桜はあり、花見が出来る。

大谷田公園から東に行くと葛西用水に出る。用水路沿いに続く桜並木を眺めながら北へ向かうと、足立区の郷土博物館に出る。

郷土博物館では桜まつりを開催中で、期間中は無料で館内が公開されている。葛西用水沿いの桜並木はまだ先に続いているが、今回は足立区郷土博物館で一先ず終りとしたい。

コメント

布多天神から神代植物公園へ

2018-03-04 08:57:10 | 寺社巡拝

駅の地下化で様変わりしてしまった調布駅前から旧甲州街道に出るが、布田五宿と呼ばれた甲州街道の宿場町の面影はあまり無い。ここからは、布多天神の参道にあたる天神通りを歩くが、今は鬼太郎オブジェのある商店街のようになっている。現甲州街道を渡れば右側に大正寺がある。布多天神の別当であった栄法寺と他の寺院が合併して大正時代に成立した寺だという。寺に沿って進み布多天神社の鳥居をくぐる。昔にくらべ境内は広く明るく感じられるが気のせいだろう。布多天神社は延長5年(927)の延喜式神名帳において多磨郡の項に布多(フタテノ)天神社として記載されている古社で、元は多摩川に近い位置にあったが、多摩川の洪水により文明9年(1477)、現在地に遷座している。

上の図は武蔵名勝図会による布多天神の図である。図からすると別当寺は布多天神の裏手にあったようである。同書では祭神を少彦名命とし、垂仁天皇御宇鎮座と記しているが、新編武蔵風土記稿では創建年代の記載はない。遥か遠い昔のことゆえ、創建年代不詳とするのが妥当なのだろう。なお、天神とはもともと高天原由来の神々のことで、天神として少彦名命が祀られたのは当然のことなのだが、後世になって天神と言えば菅原道真を指すようになったため、布多天神でも現在地に遷座のあと、菅原道真を合祀している。ところで、延喜式神名帳記載の天神社のうち武蔵国には5座と多く存在するが、何か理由があるのだろか。

布多天神から保育園の横を通って東に行き次の交差点を左折する。スーパーを過ぎ、その先の広い道を右に行くと深大にぎわいの里の看板が見えて来る。橋場橋で野川を渡り中央自動車道を潜って先に進み、右手の池上院の横にある深大寺南参道に入る。車に注意しながら急坂を上がり分岐点を右へ、修道院を過ぎれば道は下り坂となり、深大寺の信号を渡って右に行けば深大寺の参道に出る。国宝に指定された白鳳仏を拝観するため深大寺に入り、そのあと神代植物公園に行く。

神代植物公園は深大寺門から入り、神代小橋を渡って、うめ園に行く。梅の数は200本ほど、種類にして約70種。裏手の竹林が背景になって梅を引き立てている。隣接するつばき・さざんか園では椿がすでに咲いているが、人気では梅に及ばない。うめ園を一回りしてから、植物公園内を散策する。今の時期、さすがに花は少なく、枯れ色も目立つが、空気が澄んでいるせいか遠目が利く。芝生広場のパンパスグラスの向こうに見えているのは、どこの山だろうか。開花にはまだ早いバラ園を素通りし、雑木林の中を歩き出口へと向かう。

 

 

コメント