夢七雑録

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稲荷百社詣その二

2007-11-28 22:32:02 | 稲荷百社詣

(1)豊川稲荷 (港区元赤坂1)★★★

 赤坂見付で降りて、坂道を登りかけたところで、鉄の下駄を履いて来た事に気が付いた。坂の上の「とら屋」の喫茶室で一息入れなければと思いつつ、ゆっくり歩いていくと、坂も終わりかけた辺りで、横断歩道の信号が緑になった。そこで、「とら屋」はまた今度ということにして、ともかく渡ってしまう事にした。道路の向うが今日の目的地の豊川稲荷だったからである。

 豊川稲荷は豊川市の豊川稲荷の別院で、大岡越前ゆかりの稲荷がその前身だという。江戸時代には繁盛した稲荷のようだが、現在では特別な日でもなければ、参詣者が多いとは思えない。それにしても、ここの狐の風貌は獰猛である。この寺の本尊であるダキニ天が乗っているのは、狐ではなくてジャッカルだと云うのは本当なのだろう。ともかく賽銭をあげて、境内をうろついた。この寺は東伏見稲荷と違って異様な雰囲気だなと思いつつ、そのうち、ここでは自分だけが浮いた存在になっている事に思い当たった。早々に退散すべきなのだろう。

 寺の石段を降りようとして、もう少しで躓きそうになった。三毛の猫が石段の所に寝そべっていたのである。邪魔な猫めとぶつぶつ云いながら、坂を下っていくうち、何時の間にか鉄の下駄がいつものウオーキングシューズになっているのに気が付いた。足取りも軽く坂を真ん中あたり迄降りたところで、何気なく後を振返ると、先程の猫が後を付けてくるのが見えた。いや、猫がどこへ行こうと、猫の勝手だし、後を付ける理由も見つからない。それでも気になって、交差点のあたりで、もう一度振返ると、猫がすぐそこに居て、こちらを見詰めている。お前....、ひょっとして....。

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稲荷百社詣その一

2007-11-19 12:05:32 | 稲荷百社詣

【1】
 (番外)東伏見稲荷  (保谷市東伏見1)

 今回は、都内のお稲荷さんを巡る積もりなのだが、その前に、京都の伏見稲荷の唯一の分社で、関東の稲荷社の総社でもある東伏見稲荷を番外として訪ねてみる事にした(実を言うと、訪ねたのは今年の春の事であったが)。

 西武新宿線の東伏見の駅を降りると、大鳥居が横向きにずしっと立っている。鳥居は神社の方向を指し示す筈だから、安心してその方向に歩きだしたが、人通りが何時のまにか無くなって、おまけに神社の森らしきものも行く手に見当たらない。誰かに道を聞くのも面倒なので、向きを少し変えて勘を頼りに歩いて行く。それでも、この日は勘が正常に作動していたとみえて、それほど遠回りもせずに神社の裏参道とおぼしき所に行き当たった。参道と云っても山道のようなもので、土の感触を楽しみながら上っていくと、神社から下って来たらしい老人とすれちがった。なにかの荷物を振り分けにして担いでいる。妙な老人だなと思ったが、振返ってみるのは止めにした。

 東伏見稲荷は、京都の伏見稲荷を昭和になってから分霊したもので、新しい割には貫禄がある。玉砂利を敷き詰めた境内は整然として、お稲荷さんらしい雰囲気はまるでない。季節は春、時は昼下がり。今は桜もオーラを引っこめたままだ。ともかく賽銭箱に百円玉を放り込み、形ばかりの参拝をする。これでお稲荷さん詣も無事に運ぶだろう。

 それから、神社の裏手に回ってみた。すると、背の低い朱塗の鳥居が行列しているのが見えた。はじめは、東伏見稲荷創建以前の古墳の主を鎮める仕掛けかとも思ったが、どうもそうではないらしい。入り口の看板からすると、都内の各地から稲荷社を分霊し、ここに集めただけのようである。つまり、ここの稲荷を巡れば、都内の稲荷を回る必要がないという事なんだろう。お稲荷さん巡りなんぞは取りやめにして、ここから帰れというメッセージかも知れないとも思ったが、そうはいかない。やはり、お稲荷さん巡りは続けることにして、稲荷社に黙礼。では、帰ろうかという時になって、先ほど通ってきた裏参道が見当たらないことに気がついた。仕方がないので、正面の大鳥居から外に出た。

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稲荷百社詣

2007-11-16 14:54:09 | 稲荷百社詣

稲荷百社詣の序  「お稲荷さんについて」

 ある日、突然、お稲荷さん巡りを始めてみようと思った。その前に、お稲荷さんについて少々調べてみた。
  
 お稲荷さんは、一般的には、秦氏による伏見稲荷の創建が起源だと言われている。伏見稲荷の祭神ウカノミタマは、「稲の神」(稲魂)とされ、稲荷と言う言葉は稲稔から来たという。一方、東寺の伝承では、空海が翁の姿をした稲荷神を東寺の守護神として要請したのに始るとし、翁が稲を荷っていたことから稲荷の名が起きたとする。また、稲荷鎮座由来の一つである龍頭太を、製鉄に従事していた者と考え、いなりは鋳成りとする説もある。このほか、時代は下がるのだが、豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)に始るダキニ天信仰が稲荷と結び付き、伏見稲荷系とは別の稲荷信仰の流れを生みだしたとされている。

 お稲荷さんは、本来は稲の神(田の神)なのだが、地の神と結びついたり、都市部に広がったりした結果、商売繁盛や病気平癒など庶民の願いを入れた、雑多なご利益を提供するようになり、訳が分らなくなってしまったようだ。

 お稲荷さんと言えば、狐がつきものだが、伏見稲荷と狐との関係は諸説あって、はっきりしない。一方、ダキニ天は狐に乗った形で表される事から、こちらの方は、狐が稲荷神の使いだと言う事になっている。伏見稲荷の狐は、豊川系の稲荷の狐が浸透したという説もあるくらいである。また、田の神として狐を祭る風習が古くからある事から、お稲荷さんと狐が結び付けられたと言う説もある。余談だが、天皇の病気平癒の為、稲荷社に神階を授与した事があって、これが後に正一位を授与するきっかけとなったという。

 ここまで分かったところで、いよいよ、お稲荷さん百社詣に出発である。

(注)下記の文献を参考にさせていただきました。

   ・松前健 編「稲荷明神」筑摩書房
   ・笠間良彦著「ダキニ信仰とその俗信」第一書房
   ・吉野裕子著「狐」法政大学出版局
   ・塚田芳雄著「江戸のおいなりさん」下町タイムス社

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ブログ事始

2007-11-16 13:31:53 | Weblog
 meをやっと諦め、Vistaに買い替えましたが、移行に手間取っているうちに、季節が冬に向かって転がり始め、庭のホトトギスももう終わり、代わってツワブキが咲き始める時候となりました。さて、Vistaへの更改を機に、誰もがすなるブログを吾も試さんという事になりました。ただ、日記の類を投稿するのは好まないので、読み捨ての連載ものを投稿することに致しました。結末を先に読まれる欠点はありますが、仕方ないでしょう。最初のテーマは、「稲荷百社詣」。ただし、ガイドブックとしての機能はなく、単なる与太話ですので、コメントなどはご無用にという事でお願いします。では、次回。   夢七
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