夢七雑録

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LDから・アカデミー作品賞の劇映画

2019-08-30 16:40:48 | 音楽、映画など

①風と共に去りぬ

この映画の原作となるマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」は、NHKの100分de名著にも取り上げられている。映画の監督はビクター・フレミング。南部の大農園、タラ農園の娘であるスカーレット・オハラをヴィヴィアン・リーが、相手役のレット・バトラーをクラーク・ゲーブルが演じている。南北戦争の敗戦により全てを失ったスカーレット・オハラが、その後の運命を切り開いていく姿を描く232分の超大作で、南部の人たちにとっては共感を覚える映画であったのだろう。1939年にアトランタで特別公開された時は、アトランタはお祭り騒ぎのようになり、映画のチケットは通常の20倍の料金にもかかわらず、定員の30倍の申し込みがあったという。なお、日本での公開は1952年であった。音楽はマックス・シュタイナーで、主題曲は「タラのテーマ」。この映画は、カメラの中で三色分解して3本のモノクロネガフィルムに記録する方式で、現在でも当時に近い色彩を再現できるようである。

 

②80日間世界一周

1956年に公開された映画で、原作はジュール・ベルヌ。監督は若手のマイケル・アンダーソンで、主演のフォグ役はデビット・ニーブン、召使パスパトゥはカンティンフラス、フィックス刑事をロバート・ニュートンが演じている。ほかに40数名のスターがゲスト出演しており、たとえばフランク・シナトラがピアノ弾きとして登場し、バスター・キートンが車掌の役で出ている。この映画は、世界12か国でロケを行い、撮影したフィルムは73時間に及び、当時の金額で700万ドルの巨費を投じたという。音楽はビクター・ヤングで、主題曲の“Around The World”は「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組で使用されていた。1872年頃の世界一周旅行が、実際はどのようなものだったか、あらためて知りたくなった。

 

③ベン・ハー

記憶は定かでないが、この映画は映画館で見たような気がする。この映画は、スペクタクル超大作であり、映画館の大スクリーンで見るべき映画なのだろう。原作はルー・ウォレス。監督はウイリアム・ワイラー。ベン・ハー役にチャールトン・ヘストン。音楽はミクロス・ローザ。1959年の公開で、アカデミー賞11部門を獲得している。

 

④ディア・ハンター

ベトナム戦線に出征した鹿狩り仲間、マイケル、ニック、スティーブンの、その後を追う物語。公開は1978年。監督は マイケル・チミノ。マイケル役をロバート・デ・ニーロが演じている。また、壮行会でニックがプロポーズしたリンダ役をメルリ・ストリープが演じている。主題曲はスタンリー・マイヤーズの“カヴァティナ”で、曲名は抒情的な小さな歌曲をいう。監督はこの映画について、平凡な若者たちが戦争という危機にどう対処したかを描いたとしているが、”カヴァティナ”という曲は、あの時代を生き抜いた人たちへの無言歌のように思える。この映画でギターを演奏しているジョン・ウイリアムスによると、“カヴァティナ”の主旋律は“The Walking Stick”という映画のためにスタンリー・マイヤーズが書いたもので、その後全曲を書き上げていた。それから何年も経ってから「ディアハンター」の主題曲として用いる事になったという。

 

⑤ガンジー

この映画は、人種差別に対して無抵抗不服従で戦い、ついにイギリスからインドの独立を勝ち取ったガンジーの伝記映画で、1982年の公開である。監督はリチャード・アッテンボロー。ガンジーを演じたのはベン・キングスレーで、父はイギリス人、母はインド人で、イギリスで教育を受けていた。キングスレーが演じたガンジーの姿は、生前のガンジーそっくりだったという。音楽は著名なシタール奏者のラヴィ・シャンカールで、ジョージ・フェントンとの共作になっている。

 

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LD(レーザーディスク)から・モノクロ映画

2019-08-22 20:14:49 | 音楽、映画など

 LDプレーヤーが故障したのを機に、LDは処分することになったが、LDのジャケットはしばらく残すことにした。ジャケットのコレクションという程のものではないが、昔の事を思い出しながら、その中の幾つかを取り上げてみることにした。まずは昔のモノクロ映画から。

 

①戦艦ポチョムキン

8mmシネを趣味の一つとして始めた頃、異なるカットのつなぎ方による映像の表現方法としてモンタージュ理論というのがあり、その代表例としてエイゼンシュタイン監督による「戦艦ポチョムキン」がある事を知ったが、その映画を初めて見たのは、ずっと後のことで、このLDによってである。この映画は1925年に公開されており、全ての配役を素人が演じ主役が存在しない点でも画期的な映画であったが、ソ連の宣伝映画であったので、1959年に自主上映が行われるまでは日本で公開されることはなかったらしい。この映画が1925年に公開された時はサイレント映画であったが、後に音楽がつけられるようになった。このLDでは、ショスタコーヴィチの曲を使用した1976年版を収録している。

 

②ドンキホーテ

1920年代の後期から1930年代の初期にかけて、サイレントの映画からトーキーへの移行が始まっていたが、フランスではトーキーへの関心が低かったようである。そんな折、セルヴァンテスの作になる「ドン・キホーテ」を、トーキーによる映画とする企画が持ち上がり、作曲の懸賞募集が行われた。これにはモーリス・ラベルなど著名な作曲家も応募したが、採用されたのはジャック・イベールの曲だった。かくて、音楽劇映画「ドン・キホテーテ」が製作され、1933年に公開の運びとなった。監督はゲェ・ヴェ・パプスト。主役のドン・キホーテにはバス歌手のフェオドール・シャリアピン。サンチョ・パンサ役はドルヴィルであった。映画で歌われている曲名は、“ジェラネバダの山が我を呼ぶ”、“この美しき城郭”“騎士とは何て気楽な稼業”“これは我が心の姫に”“泣くなサンチョ”で、このうち、ジェレネヴァダの曲はダルゴミィスキの歌曲で、他はイベールの曲が使われている。シャリアピンは、その声はもちろん、容姿や演技力においてもオペラの役者としての完璧な才能を備え、世紀の大歌手と謳われていたが、その音声や映像の記録はあまり残っていないので、この映画はシャリアピンの貴重な記録にもなっている。シャリアピンは1936年に来日しているが、宿泊した帝国ホテルでシャリアピンの求めに応じて出された柔らかいステーキがシャリアピンステーキの名で残っている。

 

③市民ケーン

「市民ケーン」は、オーソン・ウエルズが監督主演した映画で、映画史上のベスト・ワンと評される映画である。それまでの映画が時間の流れに沿って物語を展開していたのに対して、この映画では主人公となる新聞王の死亡から始まり、新聞王と関わりがあった人達を記者が訪ね歩くことで新聞王の生涯が浮かびあがる構成をとっており、時間の流れを解体して再構成している点が当時としては革新的な方法であったらしい。また、パンフォーカスの技法や、1カットを長くとって時にはクレーンを用いたりする、ワンシーン・ワンカットの長回しの手法も、モンタージュとは異なる画期的な映画技法だったようである。この映画は1941年に公開されているが、当時の新聞王をモデルとしているという噂が立ったため、新聞王からの妨害工作があったらしく、映画の上映も思うように出来なかったようである。

 

④ミラノの奇蹟

「ミラノの奇蹟」は、イタリア出身のデ・シーカ監督による映画で、1951年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞している。デ・シーカは、第二次大戦後のイタリアの悲惨な現実を題材としたネオ・リアリズモの作品として、1946年に「靴みがき」を、1948年には「自転車泥棒」を公開していたが、1950年代になるとイタリアは経済成長時代に突入し、ネオ・リアリズモの映画は作れない時代になっていた。「ミラノの奇蹟」は、善良だが経済成長からは取り残された貧しい人々についてのファンタジー映画であり、当時の政府に対する批判も込められているらしい。

 

⑤禁じられた遊び

「禁じられた遊び」は、フランスのルネ・クレマン監督の作品で、公開された1952年当時のフランスでの評価は低かったようだが、ベネチア国際映画祭ではグランプリを受賞している。ナルシソ・イエペスのギター独奏による、イエペス自身の編曲による「ロマンス」という曲やスペイン民謡が効果的に使われていることが、この作品の評価を高めたようである。この映画は戦闘機の機銃掃射で一瞬にして両親を失った少女の物語だが、日本も戦災で両親を亡くした大勢の孤児が居たことを思い出させる。

 

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LD(レーザーディスク)の思い出

2019-08-07 20:20:37 | 随想ほか雑記

昭和という時代には流行していたが、やがて衰退してしまった昭和の遺品の一つにLD(レーザーディスク)がある。LDとは、映像や音声の電気信号を微少な凹凸として円盤の上に記録するビデオディスクの一種で、直径30cmのものが主流だったが、後に直径20cmの円盤も使われるようになった。当初、映像や音声はアナログ信号を記録していたが、音声信号については後に、コンパクトディスク(CD)と同様にディジタル信号として記録することが可能になった。レーザーディスクが登場したのは1970年代のことで、国内では1981年(昭和58年)にパイオニアがLDプレーヤーを発売したのが最初である。

1984年にはCDとLD兼用のプレーヤー、CLD9000がパイオニアから発売された。当時、レコードからCDへの切り替えを検討していた事もあり、価格は少々高かったが思い切って購入した。LDはレンタル禁止だったので、LDを多少なりとも買いそろえないと、LDプレーヤーを購入した意味がなかった。最初のLDは、LDプレーヤーと同時に買い求めた「スターウオーズ」で、結局、シリーズ三部作(旧)をLDで揃えることになった。ただ、LDが安くはなかったのと、当時はTVで度々映画が放映されていた事もあって、映画の多くはビデオテープ録画にまかせるようになり、LDとしては、放送の機会が少ないものや、繰り返し試聴する事の多いオペラやミュージカル映画などが中心になった。

CLD9000はCD兼用機だったが、後にCDプレーヤを購入してからは、LD専用機として使用した。1989年には両面再生が可能なCL909(上の写真)に買い替えたが、結局、この機種を最後まで使い続けることになった。1996年になるとDVD規格が登場してDVDへの移行が始まり、2006年にはLD盤の製造が中止となり、2009年になるとLDプレーヤーも生産終了となる。そして、2012年には使い続けてきたCL909が故障した。中古のLDプレーヤーへの買い替えも考えたが、LDの盤自体にも寿命があることから、あきらめた。かくて、30年近いLDとの付き合いも、これにて終りとなった。

 

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