伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

奪われる

2008-06-28 23:54:58 | Weblog

 見た瞬間に目を奪われることってある。
しかし、旅行などで名刹を見に行くことが分っていたり、予習をして敷地のどの場所に何があるかということが頭の中に入っていたりするとそんなには驚かないものである。もちろん感動がないという訳ではない。

 その「見た瞬間に目を奪われた」ことで、はっきりと記憶に残っていることについて書く。

 写真は関宿城址博物館(千葉県野田市)の奥にある中ノ島公園(茨城県五霞町)から見た関宿水閘門(せきやどすいこうもん)だ。水門の意味はお聞きになったことがあると思う。閘門(こうもん)とは、水門などによって入水口と出水口の水面の高さが異なる場所に船を通すために、造られた門である。船が上流から下流に行く時には、閘門の中に入り、上流側の門を閉めて、下流側の門を開ける。(写真の状態…後ろ側は門は閉まっている)

 そうすると閘門内の水が下流に流れ出て、閘門内の水位と下流側の川の水位が同じになる。そこを船は通るのである。逆の場合も想像できるだろう。


これが閘門です

 船が下流から上流に行く時には、閘門の中に入り、下流側の門を閉めて、上流側の門を開ける。(写真前方の門は閉まって、後ろ側の門が開いている状態)

 そうすると上流側の水が閘門内に入り、閘門内の水位と上流側の川の水位が同じになる。


閘門部と水門部が良く見える

 最初の方に、千葉県野田市だの、茨城県五霞町だの書いたが、もう1つ埼玉県がある。この関宿水閘門の上流には、利根川と江戸川が分岐する処がある。その江戸川側に水閘門があるのだ。そして近くの中ノ島公園には下写真の碑がある。


「三縣鶏鳴之地」

 三縣とは、三県(茨城・埼玉・千葉)のことで鶏鳴は朝一番に鳴く鶏の鳴き声のことである。つまり、三県がここに産声を上げたということだ。1871年、廃藩置県により、生まれ変わった多くの町があった。この三県もそうだ。しかし、低地は水害との闘いも強いられてきた。そして水量調整の必要から水門の設置を考えなくてはならなかった。
 そして利根川から江戸側に流れ込む水を調節するための「水門(堰)」と、船を安全に通すための2門のゲート「閘門(こうもん)」で構成され、1918年に着工し1927年に完成した。

 今年で81歳を迎える水門に、忘れられない衝撃をもらった。

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