松戸の戦争遺跡を語る時に、鉄道第二連隊のことを語りたくなる。
大した知識を持ち合わせていないのだけれども、幼い頃の電車オタクにその要因があると思う。
ふと、鉄道第二連隊の軌道敷は坂川をどのように越えたのかを考えてみた。坂川よりも西に陸軍の境界標柱を見つけたということは、軌道敷は坂川を渡河していたことになる。付近を探索する藻手がかりはなしのままであった。
そして戦争遺跡の探訪仲間であるslyclow氏に頂いたままになっていた写真のことを思い出した。
氏はゆきたんくに戦争遺跡が興味深い物件であることを教えていただいた方だ。
鉄道第二連隊上本郷から矢切までの地図
改めて、地図を見ると「坂川渡河」の字が見える。
戦前からあった常磐線と国道6号線の間くらいのようだ。
上記地図の辺り、昭和22年の航空写真
氏は大きなサイズの写真を送ってくれた。
レタッチソフトに写し、拡大して見ると軌道敷が分りやすい。
坂川と国道6号線
この辺りを写真右から左に向かって橋があったはずだ。
常磐線と国道6号線の間を通っている歩道から写した坂川
この橋の下で生活をしていらっしゃる方がいたようなのだフラッシュは焚かなかった。下に降りてみたかったが、遠慮した。
そして西側を写したのが1枚目の写真だ。
JR常磐線の上り線と下り線が二段になってかかっている橋になっている。
今日はこの辺りで足の痛みが出たので諦めた。
近くに境界標柱も見つけることができなかった。
以前、千葉県立松戸矢切高等学校近くで畑仕事をしていた方に聞いたのだが、矢切高のグラウンドのネット(北側)の辺りに陸軍の境界標柱が並んでいたのを見たことがあると聞いていたので、標柱の発見も視野に入れていた。
渡河橋があっただろうと思われる場所の近くにあった空き地に・・・
線路の枕木のような形の石があった。
御影石の塊もたくさんあった。
陸軍と関係のあるものかどうかは分らないが位置が位置なのだ。
と言うわけで、戦争遺跡はみつかずしまいでした。