↑タイトルのセミナーを聴講してきました。これはGinza学倶楽部という団体がシリーズで開催されている「作者と劇評家のコトバで読み解く 歌舞伎のセカイ」というセミナーの第4回目にあたります。今回は「劇評家編」で演劇評論家の田中綾乃さんが作品を劇評の視点から読み解くというものです。「作者編」というのもあり、その時は木ノ下歌舞伎を主宰する木ノ下裕一さんが演目の作者に焦点を当てて作品を読み解かれるそうです。←というようなセミナーだということを、これを書きながら知りました。と言いますのも、このセミナーは国立劇場の伝統芸能情報館であって、ちょうど鷹之資さんの会の前の時間帯で、言葉は悪いですが“時間つぶし”的な感じで申し込んだもので…。もちろん、田中綾乃さんも木ノ下裕一さんもお名前は存じ上げており、そういう方たちのでお話で、しかも「寺子屋」ならば一度勉強しとかなあかんねっていうのもありましたが…。
こちらのセミナー、どちらかと言えば“復習”の題材が多いそうですが、今回は企画が決まった後に9月の秀山祭で「寺子屋」がかかることが発表され、9月の“予習”って感じになったそうです。ということで、9月の「寺子屋」のお話から始まりました。源蔵と松王丸を幸四郎さんと松緑さんが交互にお勤めになります(ワタシも9月の第1部は2回見ます)。お二人は七代目松本幸四郎丈のひ孫にあたります。七代目幸四郎は九代目團十郎の門弟で、生涯に1600回以上弁慶を勤めた弁慶役者だそうです。その子息が十一代目團十郎、初代松本白鸚、二代目尾上松緑だそうです(あと、女婿に四代目中村雀右衛門)。全員ひとかどの役者となり、その子孫も順調、今でいう“ビッグダディ”ですね。
ひとしきり9月の秀山祭のお話のあと、本題に入ります。劇評や名優たちの芸談のコトバを参考にしながら、「寺子屋」についてお二人がお話されました。一応、メモらしきものはあるのですが、断片的、しかも1か月前のことで「何が何やら???」状態です。このセミナーをオールアバウト歌舞伎ガイドの宗像陽子さんがレポートされてましたので、詳細はそちらをご覧くださいませ。
ということで、ここからは自分のメモで印象に残ったことを…。最初に杉贋阿弥(すぎ・がんあみ)の劇評が紹介されました。劇評って近代の概念で、江戸時代は「評判記」と言われ、好き嫌いや流行ってる流行ってないという視点で書かれていたそうです。それが近代になって客観的に判断して書くようになったそうです。贋阿弥によれば「寺子屋」には軽い役はなく、全ての登場人物がちゃんと役割があってドラマがあります。そう言われれば、名前のあるお役はそれぞれ見せ場があり、それが最後まで続きますね。ダレルってことがないように思います。よー出来た脚本なんですね。
源蔵が菅秀才の身代わりを立てようと寺子屋の子どもたちを見て「いずれも山家育ち」と言うところがありますが、原文では「世話甲斐もなく役立たない」となってるそうです。あまりに露骨なので役者さんは「いずれも山家育ち」と言ってるそうです。文楽では本のとおり語られているそうなので、今度文楽で見たら聞いておこうと思いました。
台詞については「せまじきものは宮仕え」についても言及がありました。ここでさよなら公演の時の映像を見せていただきました。孝夫さん
の源蔵に勘三郎さんの戸浪です。お二人の時は、「せまじきものは宮仕え」は竹本が語り、ひしと抱き合ってました。台詞を言わなくていい分、悲壮な覚悟、深い悲しみをより強く表現できるそうです。抱き合わないっていう演技もあるそうです。その時は、それぞれが抱える苦悩をそれぞれが表現しているそうです。
いろいろな型があるというのは聞きますが、どうも最近は画一化していく方向みたいで、もっといろいろなバリエーションがあってもいいのではないかと。悪いと言われる型も創意工夫によって面白くなる可能性はある。役者さんはそういう努力をしてほしいと。
で、ここで再び9月の「寺子屋」のことを。幸四郎さんは高麗屋、松緑さんは音羽屋の型で、きっと違う型になるだろうと。まずお衣装が高麗屋は「黒地に雪持ちの松」、音羽屋は「銀鼠に雪持ちの松」だそうです。孝夫さん
も「銀鼠に雪持ちの松」でしたね。「首実検」にもいろいろなやり方があるそうです。首桶の蓋の扱いとか刀の置き場所とか。参考文献で二代目松緑さんの「松緑芸話」や保っちゃんの「歌舞伎の型の魅力」、七代目幸四郎さんの「松王の心得」、實川延若さんの「芸談松王丸」が挙げられていました。「松緑芸話」はよく目にするので、一度読んでみたいなと思っているのですが。
そうそう、その「松緑芸話」に六代目菊五郎さんの松王のことが書かれてあるのですが、菊五郎さんは「梅王、松王、桜丸は三つ子なんだから、『寺子屋』の松王も前髪の心持ちでなくちゃおかしい」とおっしゃっていたそうです。そう言われればそうですよね。「寺子屋」ってやっぱり奥が深いんですね。
9月の「寺子屋」を見るまでにちゃんと予習をしておきたいと思います。ただ、「寺子屋」ならば孝玉コンビ
で見たかったなと、またまたこの結論になりました。あの松王と千代は本当に良いご夫婦でしたもの…。

上のチラシの裏面です。
こちらのセミナー、どちらかと言えば“復習”の題材が多いそうですが、今回は企画が決まった後に9月の秀山祭で「寺子屋」がかかることが発表され、9月の“予習”って感じになったそうです。ということで、9月の「寺子屋」のお話から始まりました。源蔵と松王丸を幸四郎さんと松緑さんが交互にお勤めになります(ワタシも9月の第1部は2回見ます)。お二人は七代目松本幸四郎丈のひ孫にあたります。七代目幸四郎は九代目團十郎の門弟で、生涯に1600回以上弁慶を勤めた弁慶役者だそうです。その子息が十一代目團十郎、初代松本白鸚、二代目尾上松緑だそうです(あと、女婿に四代目中村雀右衛門)。全員ひとかどの役者となり、その子孫も順調、今でいう“ビッグダディ”ですね。
ひとしきり9月の秀山祭のお話のあと、本題に入ります。劇評や名優たちの芸談のコトバを参考にしながら、「寺子屋」についてお二人がお話されました。一応、メモらしきものはあるのですが、断片的、しかも1か月前のことで「何が何やら???」状態です。このセミナーをオールアバウト歌舞伎ガイドの宗像陽子さんがレポートされてましたので、詳細はそちらをご覧くださいませ。
ということで、ここからは自分のメモで印象に残ったことを…。最初に杉贋阿弥(すぎ・がんあみ)の劇評が紹介されました。劇評って近代の概念で、江戸時代は「評判記」と言われ、好き嫌いや流行ってる流行ってないという視点で書かれていたそうです。それが近代になって客観的に判断して書くようになったそうです。贋阿弥によれば「寺子屋」には軽い役はなく、全ての登場人物がちゃんと役割があってドラマがあります。そう言われれば、名前のあるお役はそれぞれ見せ場があり、それが最後まで続きますね。ダレルってことがないように思います。よー出来た脚本なんですね。
源蔵が菅秀才の身代わりを立てようと寺子屋の子どもたちを見て「いずれも山家育ち」と言うところがありますが、原文では「世話甲斐もなく役立たない」となってるそうです。あまりに露骨なので役者さんは「いずれも山家育ち」と言ってるそうです。文楽では本のとおり語られているそうなので、今度文楽で見たら聞いておこうと思いました。
台詞については「せまじきものは宮仕え」についても言及がありました。ここでさよなら公演の時の映像を見せていただきました。孝夫さん

いろいろな型があるというのは聞きますが、どうも最近は画一化していく方向みたいで、もっといろいろなバリエーションがあってもいいのではないかと。悪いと言われる型も創意工夫によって面白くなる可能性はある。役者さんはそういう努力をしてほしいと。
で、ここで再び9月の「寺子屋」のことを。幸四郎さんは高麗屋、松緑さんは音羽屋の型で、きっと違う型になるだろうと。まずお衣装が高麗屋は「黒地に雪持ちの松」、音羽屋は「銀鼠に雪持ちの松」だそうです。孝夫さん

そうそう、その「松緑芸話」に六代目菊五郎さんの松王のことが書かれてあるのですが、菊五郎さんは「梅王、松王、桜丸は三つ子なんだから、『寺子屋』の松王も前髪の心持ちでなくちゃおかしい」とおっしゃっていたそうです。そう言われればそうですよね。「寺子屋」ってやっぱり奥が深いんですね。
9月の「寺子屋」を見るまでにちゃんと予習をしておきたいと思います。ただ、「寺子屋」ならば孝玉コンビ


上のチラシの裏面です。