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おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

新緑の桂離宮  その1

2008-05-01 23:59:13 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
 三たび桂離宮へ行ってまいりました。

 会社が非常に忙しく、今回はせっかくのベストシーズンだけどもう行けないかしらと、半分諦めかけていたんですが、「休んでいいよ」と周りからおっしゃっていただき、非常に心苦しく、後ろ髪を引かれる思いでしたが、お言葉に甘えてお休みを頂戴いたしました。有難うございます

 初めてのベストシーズンの桂離宮です。これまでの2回は「予約を取ること」を優先させていたため、何だか中途半端な時期ばかりでしたが、今回は「ベストシーズンに行くこと」を目標に、ネットではなく往復はがきにしました。はがきのほうが断然定員が多くて取り易いんですが、日にちしか指定できない(時間はあちらが指定)、すぐに結果がわからない(1ヶ月以上かかる)など、予定を立てにくいので敬遠していたんですが、てっちゃんがはがきを出してくれて、無事当選いたしました。

 さすがに3回目となると、こちらも慣れたものですが、それでも案内の人の説明を聞いていると初めて聞くことがあって、「へー」とか「ほー」とか思いながら回りました。

 で、ここで当然写真を載せるべきなんですが、パソコンかカメラかどちらの調子が悪いのかはわかりませんが、写真を取り込むことができなくて、現在メールで問い合わせ中です。USBも認識しているし、写真取り込みのソフトも起動しているんですが、できません。写真はちゃんと撮れていて、カメラの画面ではきれいに見えているんですが・・・。

 やっぱり何もかもが本当に美しかったです。桂離宮の敷地に入った途端、「新緑ってこんなにきれいなもんやねんねぇ」とまず思わされました。文字通り「新しい緑」で、この世に出てきたばかりの色、空気にそんなに触れていない色をしています。それが太陽の光に透けて、なんとも言えない緑のグラデーションになっています。

 さらに、圧巻はつつじです。私たちが街中で見るつつじって、フーシャピンク(青みの強いピンク、サンローランの口紅19番?)と白が多いと思うんですが、桂離宮のつつじは“紅赤”、鮮やかな黄みの赤なんです。それがすごい塊になって咲いていて、遠くから見ると紅赤の絨毯、あるいはペンキをぶちまけたような、おそらく小ぶりのお花が隙間なくついているせいかと思いますが、すごい迫力です。その間にもちろんフーシャピンクや白もあるし、もっと薄い桜色っぽいのもあるし、「おおっ」って声が出ます。写真をお見せできないのが本当に残念ですが・・・。まあ、そのうち何とかなるでしょう。

 ‐続く‐ 
コメント (2)
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冬の桂離宮 その4

2007-12-22 14:27:17 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
 おまけの写真です。
         
     
 当日の空です。絶好の「桂離宮参観日和」でした。日頃のご精進の賜物でしょうか?

     
 書院の遠景です。葉っぱがすべて落ちた木が「冬」ですね。

     
 池の反対側から撮った書院です。誰がどこから撮っても美しく収まります。It's very beautiful!!!

     
 書院の月見台です。端っこに写っているのが案内のお兄ちゃんです。この写真ではあまりわかりませんが、昔の武田鉄矢のような長髪で、およそ宮内庁の職員らしからぬ風体でした。

     
 桂離宮の敷地内にあった南天です。
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冬の桂離宮 その3

2007-12-22 01:43:05 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
 桂離宮のパンフレットやガイドブックの中の写真は紅葉といっしょに撮ったものが多く、桂離宮は秋がベストシーズンのようです。なので、11月に行きたかったんですが、抽選がはずれ、今の時期になりました。こんな暮れも押し詰まった時期に行ってる人は少ないだろうと思っていましたが、なかなか結構な人数の方がいらしていて、この前の6月の参観時より参加者の数は多かったように思いました。

 今回は11時の予約で、10時45分頃に現地に到着し、参観者待合所で待っていました。11時少し前に案内の人が出てこられて、諸注意をおっしゃったんですが、写真撮影は途中の通路や橋の上からはしてはダメと言われ、デジカメも買って写す気満々の私は「えーっ、そんなぁ」と一瞬思ったんですが、次の瞬間「これは聞かなかったことにしよう」と思い直し、参観に出発です。6月に来たときは、そこまで言われなかったように思うので、7月から11月の間に撮影に夢中になって水の中に落ちた人がいたのかなぁと勝手に想像してしまいました。

 参観ルートは前回と全く変わりなく、御幸道、御幸門、外腰掛、州浜、松琴亭、賞花亭、園林堂、笑意軒、書院、月波楼、中門、御輿寄の順番で回ります。

 案内してくださった方は、前回とは違う方でした。お話される内容は皆さん同じだと思うんですが、人によってずいぶんと印象が変わります。何を聞いても初めて聞くような感じがしてなりませんでした。って、これは、単に、前回は人の話を全然聞いていなかっただけかもしれませんが

 ただ、今回の方は写真を撮る時間を全然取ってくださいませんでした。前回の方は、最初の御幸門のところから「さあ、どうぞ写真を」って言ってくださって、まあ、そのせいで前回は人の話も聞かず“大撮影大会”になったのかもしれませんが。松琴亭とか賞花亭とかでは、かなり時間を取って下さって、友人と写真の撮り合いっこができたんですが、今回は説明が終わると「では、次にまいりましょう」って感じで、非常に慌しかったです。

 それでも、一周すると、1時間弱かかっており、前回とほとんど同じ所要時間でした。何がどう違うかったんでしょうか。不思議でした

 相変わらず、お庭は美しく整備されてあります。『This is 日本庭園』、究極の日本庭園です。木々は形よく刈り込まれ、落ち葉もほとんど落ちていません。葉っぱが落ちてしまった木を見ながら、ここに真っ赤な葉がついていたらさぞかし美しいんでしょうね…と思いながら歩いていました。

 1年の中で2回も行ったわけですが、全然飽きることもだれることもなく、何もかもが新鮮で、「う~ん、やっぱり美しいものは美しいわ」と非常に満足しました。もし、『桂離宮教』っていう宗教があれば、絶対に入るし、布教活動も誰よりも熱心に行なう自信があります、ってくらい魅せられました。

 というわけで、早くも次回の予定を考えております。やっぱり、春でしょうか。




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冬の桂離宮 その2

2007-12-21 00:03:47 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
          
          賞花亭
          「峠の茶屋」とも呼ばれている。桂離宮の中では一番の高台にあるお茶室。連子窓を通して見ると、後ろの谷がより奥深く見える。(らしい…。私の写真ではどうでしょうか?)

          
          園林堂
          もともとは、八条宮家の位牌が安置されていたそうですが、現在は建物のみ

          
          笑意軒
          これもお茶室。窓の向うは水田で、田舎家を模している。

          
          書院
          桂離宮のハイライトとも言うべき書院群の外観です。(前回同様内部は見せていただけません)

          
          月波楼
          観月のためのお茶室。窓の向うは馬場
       
          
          御輿寄
          玄関です。沓脱石は六人分の沓が脱げることから「六つの沓脱」と呼ばれています。

          
          中門
          御輿寄へ通ずる門

           
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冬の桂離宮 その1

2007-12-20 23:48:27 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
 再びの桂離宮です。本当は「秋の桂離宮」に行きたかったんですが、残念ながら抽選に外れてしまい今日になりました。

 とりあえず、今日は写真を。

          
          御幸道
          後水尾天皇の御幸にあたって、開かれた道
          (もう少し時期が早ければ、両側の紅葉がきれいかったらしい…)

          
          御幸門
          後水尾天皇の御幸にあたって、設けられた門

          
          外腰掛前の延段
          切石と自然石の組み合わせで構成

          
          冬支度を終えた蘇鉄山
          外腰掛前の前庭。島津家からの献上

          
          岬燈篭
          州浜の先端に置かれている燈篭
          
          
          松琴亭へ渡る石橋

          
          松琴亭
          有名な青と白の市松模様の襖
          (張り替えて20年経過しているので、かなり色は褪せているもよう)
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桂離宮訪問記8 オ・グルニエ・ドール

2007-07-06 22:30:13 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所
 桂離宮の後に寄ったケーキ屋さんです。これも、この日のスケジュールの大事な一つなので続きで書きます。

 堺町錦小路にあります。阪急烏丸で降りて、錦市場の中を東に向いて歩いて行って、堺町通で北に折れます。←方向あってますよね?いまいち、京都の方角がわからないもので。平日の錦市場って、案外空いているんですね。いつも土日しか通らないので、押すな押すなの大混雑しか知らなくて、あんなにすいすい歩ける錦市場は初めてでした。

 オ・グルニエ・ドールは、今京都で一番のケーキ屋さんと言われており(たぶん…)、以前から一度行きたいと思いながら、超人気店なので土日は大行列になっていて近づけなくて、今回平日ということでここに行くことにしました。平日の夕方でしたが、お席は満席で少し待ちました。待っている間にケーキを選んでくださいと言われたんですが、もう夕方ということでケーキの種類がとても少なくなっていて、パイとかタルトとかばかりで、生クリームやフルーツがのったケーキらしいケーキがなくて、ちょっと悲しかったです。 その中から、「ピラミッド」というチョコレートのケーキを選びました。本当にピラミッドの形(正三角錐)をしていて、回りは堅いチョコレートで、中はとろっとしたチョコレートムースでした。

 お席が空いたんですが、四人がけテーブルで、相席を条件に座らされました。ゆったりしたテーブルならいいんですが、結構小さめのテーブルで、二人でちょうどくらいの大きさなのに、そこに4人なので、かなり窮屈になります。前の人との距離も近くて、お互い話もしづらいし、「何だかね~」って感じでした。だから、ケーキのお味もそれなりの水準を満たしていると思うんですが、もうひとつ感動が少なかったです。

 お客さんはひっきりなしで、ケーキもどんどんなくなっていきました。土日とかはきっとすごい勢いなんでしょうね。ここは、ゆっくりティータイムを楽しむお店ではなく、ケーキを食べたらとっとと出て行かないといけないお店でした。テイクアウトのほうが正解かもしれません。

 ワタクシ的にはとりあえず「一度は行きたいお店」だったので得心でしたが、桂離宮ですっかりハイになっていたのが、最後でちょっと盛り下がってしまいました。が、非常に充実した1日を送ることができて、Happyでした。

-終わり-
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桂離宮訪問記7 参観終了

2007-07-05 23:16:22 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所

 御輿寄で見学は終わりです。中門を出て、木のくぐり戸を抜けて皇宮警察の前で解散となりました。もう一度参観者休所へ戻ると、もう次の回の見学者の方たちが待ってらして、私たちと入れ替わりで見学に出発されました。最後に、いっしょに来る予定で急遽来れなくなった友人のためにお土産を、自分のために(このブログのために?)詳しい案内書を買って、名残を惜しみながら桂離宮を後にしました。

 いやー、桂離宮参観ってかなり良いものです。 文字通り、今年上半期の「メインエベント」になりました。
行く前にいろいろ本を読んで、他人の影響を受けやすい私は「素直に自分の目で見ることができるだろうか」と少し心配していました。←だったら、本なんか読まなきゃいいんですが、全く知識のないまま見るのも不安という小心者なもんで。 それと、苦節ン年「行きたい」と思っていて、期待はずれだったらどうしようという思いもありました。

 でも、全くNo Problemでした。かんじんの書院は中は見ることができず、「お庭拝見」って感じでしたが、そのお庭と建造物のバランスが絶妙で、そのバランスが次から次へ変化し、見る者を飽きさせません。「日本庭園なんて、どこもいっしょでしょ」という固定観念を、良い意味で覆してくれました。木と、石と、水と、建物とという組み合わせしかないんですが、何か違います。どこから見てもいわゆる「絵になる」景色なんですが、その景色がすべて違いました。だから、おっちゃんの説明そっちのけで、写真撮影に夢中になってしまったんだと思います。

 例えば、石、岩にしても、さまざまなものがありました。一本の切石でできた橋というのもありましたし、通路の敷石もいろいろなパターンの石が組み合わせてあって、自然石だけを使ったもの、自然石と切石を使ったもの、切石だけを使ったものなど、同じパターンの道はありませんでした。石の灯篭もお庭のここかしこに置かれているんですが、二つとしていっしょのものはありませんでした。それだけ、細部にまで気を配ることができる八条宮家の親王様たちの美意識、美的感覚はよほどのものだったんでしょう。

 すっかり桂離宮に魅せられてしまった私たちは、「秋にもう一度いくぞ!」ともう盛り上がっています。楓の木が多かったので、さぞかし美しいお庭になるだろうとワクワクしています。その前に、抽選を勝ち抜かないといけないんですが。

 それにしても、さぞかし維持費が大変だろうと、貧乏人のワタクシは思ってしまうわけです。以前、京都御所に行ったときも思いましたが、苔むす地面には落ち葉一つ落ちておらず、木々はきれいに刈り込まれています。毎日手入れする人が入っていらっしゃるんでしょうね。私が行ったときも、おばちゃんが熊手を持って掃除されていました。これだけ、手間とお金をかけているにもかかわらず、参観は無料でしかも案内の人までつけてくれるって、宮内庁すごいです。

-まだ続く-

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桂離宮訪問記6 桂離宮参観

2007-07-04 22:48:53 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所

 次は賞花亭です。ここは桂離宮の中でいちばん標高が高いところ、と言ってもせいぜい数十メートルですが、にあります。『峠の茶屋』をイメージして造られたそうです。こちらは、茅葺切妻屋根で、南側に竹の連子窓があって、これを通して見る景色は深山幽邃の趣を備えているそうです。非常に涼しげな紺と白ののれんのような幕がかかっていました。この紺白の布は、まだまっさらって感じでした。

 続いて笑意軒です。田舎家風のお茶室です。このあたりになると、私の行動は、完全に写真を撮ることにシフトしてしまっていて、おっちゃんの説明は全く無視って感じになってしまいました。

 笑意軒の次は、桂離宮の中枢をなす書院群なんですが、残念ながら書院は非公開となっています。古書院、中書院、新書院、楽器の間が雁行形に並んでいると説明されるんですが、上から見ていないので、いまいち感覚がつかめません。確かに、建物が斜めに並んでいるので、そう言われればそうかなと言う感じです。桂川の氾濫にそなえて、高床式になっていました。書院群の中で、外へテラスのように張り出した「月見台」だけが、唯一見られました。ここから、昔の雅な方たちは、空に浮かぶ月や池に写る月を愛でられたんですね。

 古書院の先に、月を見るためのお茶室「月波楼」がありました。屋形船をイメージしているそうで、窓の欄干が池にせり出しています。そして、最後に御輿寄せです。書院の玄関になります。一枚石の大きな沓脱があり、一度に6人の沓が並べられるので「六つの沓脱」と呼ばれているそうです。

 で、ここで見学コースは終わりなんですが、そういえば、かんじんの桂棚を見ていないとに気づき、「えーーっ、見逃してしまったのかしら?!」と慌てておっちゃんに「桂棚ってどこですか?」って聞きにいくと、桂棚は書院の中にあるので見ることができないということでした。 桂棚は、修学院離宮の霞棚、三宝院の醍醐棚とともに、天下の三棚といわれていますが、写真で見る限り、「ありったけの様式をぶち込んだ」感じで、実際どうなんだろう?と思っていたので、ぜひ見たかったです。平安遷都1200年の時は特別公開していたそうで、そういうイベント事があれば、見せてくれることもあるかもしれないとおっちゃんはおっしゃっていました。

 
-続く-

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桂離宮訪問記5 桂離宮参観

2007-07-03 22:38:10 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所

 ここで、少し歴史のお勉強を。 ~京都市歴史資料館及び桂離宮パンフレットから~

 桂離宮は、後陽成天皇の異母弟である八条宮智仁(としひと)親王とその息子智忠(としただ)親王によって、八条宮家の別荘として造営されました。着工から完成まで約50年の歳月をかけています。智仁親王は幼少から学才にすぐれ、『万葉集』『古今集』『源氏物語』など古典文学への造詣も深く、桂離宮も『源氏物語』の松風の巻にみえる“桂殿”がモデルと言われています。

 1615年ごろ、智仁親王がこの地にまず「瓜畠のかろき茶屋」と称する簡素な建物を営んだのがはじまりで、これが古書院の原形をなし、1624年ごろ作庭も含めて一応の完成をみました。1629年、智仁親王の死によって茶屋などは急速に荒廃しましたが、息子の智忠親王は加賀藩前田家の富姫と結婚されて財政的な裏づけもでき、1641年第二次造営を開始し、従来の古書院に接続して中書院を増築し、庭園に5ヵ所の茶屋を設置しました。その後、1658年と1663年に後水尾天皇の御幸に際し第三次造営を行い、中書院南側の楽器の間・新御殿の建設とともに、庭園を大幅に整備し、第二次造営の際の5ヵ所の茶屋を廃し、松琴亭・月波楼・賞花亭・園林堂を設営しました。

 八条宮家はその後、京極宮、桂宮と改称されて明治に至り、1881年(明治14年)十一代淑子(すみこ)内親王が亡くなられるとともに絶えました。1883年(明治16年)宮内省所管となり、桂離宮と称されるようになりました。創建以来、火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を現在に伝えています。
 以上

 さらに、見学が続きます。桂離宮のお庭は池泉回遊式庭園で、裏表がないお庭だそうです。どこから見ても「絵になる」お庭です。外腰掛から池に沿って歩いていくと、黒く扁平な石を敷き詰めた州浜があります。その先には灯篭を配し、海の灯台に見立てています。さらに、その先の中島と石橋のつながりは「天橋立」だそうで、それは次のポイント松琴亭からいちばんよく見えるように配されています。

 松琴亭までの小道には菖蒲やつつじが植えられていました。残念ながら、菖蒲はお花がしぼんで赤茶けており、つつじも時期を間違えて咲いたお花が1輪だけ残っていました。木々の緑も、新緑というには少しいきすぎていて、でも深緑とまではいかない、何だか中途半端な感じでした。もう少し、時期が早ければよかったんでしょうね。 

 松琴亭は、桂離宮でも最も格の高い茶室で、茅葺入母屋造りになっており、一の間、二の間、茶室から成っています。一の間、二の間にかの有名な青白の市松模様の襖障子があります。以前写真で見たより、青色がずいぶん薄くなっていました。でも、まあ仕方ないような気もします。この松琴亭、すべての戸や窓、障子が開け放してあって、見学の日も結構高温多湿になっていたんですが、「これでいいの?」と言いたくなるくらいでした。袋棚と天袋の小襖の絵は狩野探幽と言われているのに、です。見学者にとっては、有り難いですが。ここが休憩ポイントのようになっていて、さすがに座敷に上がることはできませんが、縁側に腰掛けるのはOKで、みんな休憩していました。太っ腹な宮内庁です。

-続く-

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桂離宮訪問記4 桂離宮参観

2007-07-02 23:03:42 | 桂離宮&修学院離宮&仙洞御所

 いつ頃から「桂離宮」を意識したのかはよく覚えていないんです。「昭和の大修理」をテレビで見ていたからなのか、あるいは、マンガ「エースをねらえ」で“世紀の超どハンサム”藤堂さんがエディを案内しているのを見たからなのか、とりあえず高校生ぐらいから意識の端にはあったように思います。京都のガイドブックなどを見ると、参観申込方法は載っていましたが、やれハガキの書き方は上から○センチあけろだの、やれ○日から○日の間に送れだの、何やかやと制約が厳しく、申し込む前に気分を萎えさせるようなもので、さらに、当時は参観日をこちらから指定することができず、見られるのか見られないのかわからないうえに、見る日もわからないという「見せる気ィあるんかいっ」と毒づきたくなるようなものでした。

 今は、参観日はこちらの希望日が言えますし、何よりインターネットで申込みができるようになっています。希望する月の三ヶ月前の1日から予約ができるようになります。今日だったら、10月分の予約ができます。桂離宮は1日6回受付時間があって、ネットは各回定員4名となっています。ハガキや直接申し込みのほうが定員は多いようですが、ネットだと翌日に結果がわかるので「勝負が早い」です。で、私たちも5月に行こうと2月に申し込んだんですが、ことごとくアウトで、3月にこの6月28日を申し込みました。“苦節4ヶ月”、憧れていた桂離宮をいよいよ見ることができます。

 参観者休所を出て、再び皇宮警察の前を通り、木のくぐり戸を通って桂離宮のお庭へ入って行きます。くぐり戸を抜けた途端、文字通り“別世界”が広がります。御幸道と呼ばれる小石を敷き詰めた道をしずしずと進みます。みんな、少しばかりの緊張と「さあ、これから!」と言う興奮と期待で、本当に『しずしず』歩いていました。その突き当たりに御幸門があります。この門は後水尾天皇をお迎えするときに造られた門で、立派な茅葺の切妻屋根をのせた門です。その奥に表門がありました。というか、表門を入って、御幸門を通って書院のほうへ向うのが正式なルートになるんですが、表門は現在特別な時以外は開けないそうなので、見学者はそういう順序で見て行きます。

 写真撮影は決まったポイントでしかダメと聞いていたんですが、引率のおっちゃんが「どうぞ、どこで撮ってもいいですよ」と言ってくださったので、それを聞くと、いきなり大撮影大会になりました。おっちゃんの説明そっちのけで、みんなバチバチ撮っています。幸い?、小学校の遠足で先生が持っていたハンドマイクを使っての説明だったので、少々列を離れても説明が聞こえたので、それをいいことに、列がどんどん長くなりました。ただ、いちばん後ろに皇宮警察の人がついて来ていたので、その人より後ろへは戻れませんでしたが。

 次は外腰掛です。ここはお茶室松琴亭の待合腰掛です。ここも立派な茅葺の屋根でしたが、吹き放しで、例えは悪いですが、田舎の立派なバス停(かなり立派です。茅葺屋根付きですから)のようでした。奥にお手洗いもついていました。その前に、有名な蘇鉄山があります。薩摩島津家から献上されたものだそうです。異国情緒あふれると言うか、非常にミスマッチ感があります。でも、このビミョウな「はずし」が八条宮家の親王様たちの美意識だったのかもしれませんね。

-続く-

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