今日の産経新聞の夕刊に載っていた記事です。
記事の中の太字にした「金物屋の夫婦」というのは、Dott. Cicciolinoさまご夫妻のことです。英国人のお友達がいらっしゃるのはブログでも何度か拝見しており、記事を読み始めて“石巻の英国人”とあり、ひょっとしてあの方?(もちろん私は直接存じ上げませんが)と思っていたら“金物屋”とあり、確信するにいたりました。
Dott. Cicciolinoさまご夫妻との友情がこういう形で発展していくのをお聞きすると、もちろんお亡くなりになったのは残念ですが、うまく表現できないけれど、何となく“一筋の光明”みたいで少しほっとします。一日も早く美味しい日本酒を味わっていただきたい、切に願っています。
退避直前、引き返す 18年在住の英国人男性
福島第1原発の放射性物質漏れで外国人の帰国が相次ぐ中、避難便に乗る直前に思いとどまり、被災地・宮城県石巻市へ引き返した英国人男性がいる。石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。「この町の魅力は人に尽きる。仲間とサンマのぬたをもう一度食べたい」。18年暮らし「故郷」になった港町で、被災者支援に力を込めている。
1993年に来日し、学生に英会話を教えてきた。3月11日、大学研究室で被災、幸いけがはなかった。しかし、良き相談相手だった金物屋の夫婦は津波にのまれ、亡くなった。遺体が見つかった車に日本酒を注いで手を合わせ、親友の冥福を祈った。
「国外退避を手伝う」と、在日英国大使館から緊急連絡が入ったのは17日。英政府は福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告していた。
石巻市は退避勧告の対象外だが、津波の被害で電気も水もない。へどろの臭いが鼻を突き、がれきが町にあふれていた。「普通の生活がしたい。原発も怖い。でも、みんなを置いて出て行くのか」。一晩中悩んだ。周りの友人は帰国を勧めてくれた。
用意された車で18日に仙台市のホテルへ。震災後初めて見たテレビは、石巻市の惨状と住民の姿を映していた。「何も残っていなくても、おばあちゃんたちは元気に生きていた。腰抜けの自分が情けなかった」。翌朝、東京行きのバスには乗らず、引き返した。
支援の拠点は、避難所になった石巻市内のホテル。家族の安否確認に来る人と応対したり、トイレを掃除したりしている。「リーダー役も、力仕事も苦手。でも一緒にいれば何かの役に立つ」。立ち直った石巻で、仲間と飲み明かすのが楽しみだ。
福島第1原発の放射性物質漏れで外国人の帰国が相次ぐ中、避難便に乗る直前に思いとどまり、被災地・宮城県石巻市へ引き返した英国人男性がいる。石巻専修大准教授のリチャード・ハルバーシュタットさん(45)。「この町の魅力は人に尽きる。仲間とサンマのぬたをもう一度食べたい」。18年暮らし「故郷」になった港町で、被災者支援に力を込めている。
1993年に来日し、学生に英会話を教えてきた。3月11日、大学研究室で被災、幸いけがはなかった。しかし、良き相談相手だった金物屋の夫婦は津波にのまれ、亡くなった。遺体が見つかった車に日本酒を注いで手を合わせ、親友の冥福を祈った。
「国外退避を手伝う」と、在日英国大使館から緊急連絡が入ったのは17日。英政府は福島第1原発の半径80キロ以内からの退避を勧告していた。
石巻市は退避勧告の対象外だが、津波の被害で電気も水もない。へどろの臭いが鼻を突き、がれきが町にあふれていた。「普通の生活がしたい。原発も怖い。でも、みんなを置いて出て行くのか」。一晩中悩んだ。周りの友人は帰国を勧めてくれた。
用意された車で18日に仙台市のホテルへ。震災後初めて見たテレビは、石巻市の惨状と住民の姿を映していた。「何も残っていなくても、おばあちゃんたちは元気に生きていた。腰抜けの自分が情けなかった」。翌朝、東京行きのバスには乗らず、引き返した。
支援の拠点は、避難所になった石巻市内のホテル。家族の安否確認に来る人と応対したり、トイレを掃除したりしている。「リーダー役も、力仕事も苦手。でも一緒にいれば何かの役に立つ」。立ち直った石巻で、仲間と飲み明かすのが楽しみだ。
記事の中の太字にした「金物屋の夫婦」というのは、Dott. Cicciolinoさまご夫妻のことです。英国人のお友達がいらっしゃるのはブログでも何度か拝見しており、記事を読み始めて“石巻の英国人”とあり、ひょっとしてあの方?(もちろん私は直接存じ上げませんが)と思っていたら“金物屋”とあり、確信するにいたりました。
Dott. Cicciolinoさまご夫妻との友情がこういう形で発展していくのをお聞きすると、もちろんお亡くなりになったのは残念ですが、うまく表現できないけれど、何となく“一筋の光明”みたいで少しほっとします。一日も早く美味しい日本酒を味わっていただきたい、切に願っています。