「男の隠れ家ー陶酔庵」日記

いろいろあってまだ生きてます。世捨て人を気取りながら、その高みにはほど遠い俗世の世迷い人生、命だけが通り過ぎてゆきます。

『ワールド・カップ』という言葉はかつてサッカーのものだった

2015年10月19日 | スポーツ


イングランドからの帰国の日以来、各テレビ局からの出演争奪戦を戦う日本代表ラグビー選手たち。

2019年の自国開催を控え、ラグビー普及のためにと頑張っているが、いささかウンザリの様でもある。

日の目を見るということが、どういう事かをまざまざと見せつけられた感じがする。


一方、いつの時代も金権体質にまみれたFIFAに比べて、何か素朴なアマチュアリズムを感じさせる

ラグビーが同じ道を歩まぬようにと願うのみである。

にわかファンから本当に憑りつかれた私は、今日現在もベスト8の戦いの録画を思わず「ウッ」と

うなりつつ、家人から笑われながらも、楽しませて頂いております。


ところでまだアジアの出場枠が2であった20年~30年ほど前までは、私にとっては『ワールドカップ』(W杯)

という言葉は、サッカーの国別対抗世界戦の専属名でありました。

それほどに他の種目で耳にすることは少なかったのです。


アマチュア種目はオリンピックとか世界選手権などの名前が、又他のプロの種目では

ゴルフやテニスの場合、全英オープンや全米オープンなどの名前が付いた大会が行われています。


しかし最近、話題になったラグビーやバレーボールなどでも耳にするようになりました。

ゴルフで全英オープンが 『THE OPEN』と呼ばれるように、歴史の古いサッカーのワールドカップは

そういう意味では、私にとっては『THE WORLD CUP』なのであります。

いろんなスポーツがイングランドを発祥の地とするものが多いのにも驚きます。

今や影の薄いイギリスが多くの植民地から甘い蜜を吸い上げて繁栄していた頃の名残でしょうか?


しかしながら、いつの日かまだ歴史の新しいラグビーにその名を持って行かれる日が

くるような気がしてなりません。

世界各地で開催される予選を勝ち抜いて、まず本大会に出場しなければ、さらにはファンの期待は

増すばかりで、『ワールドカップ』本大会に出場するだけでは、ファンを満足させられず、

今大会のラグビーのような偉大なる感動を求められ続けるのです。


 ※ 以上はすべて私の個人的思い込みによるもので、笑って聞いてくださいっす。


人気ブログランキングへ・・・・一日一回ポチットな! 応援よろしく!!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする