yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.7冨士を歩く2 世界遺産センター 本宮浅間神社 須山浅間神社

2019年02月04日 | 旅行

 <静岡を歩く>  2018.7 富士を歩く2 富士山世界遺産センター 本宮浅間大社 須山浅間神社

 2日目、朝、部屋から富士が見えるが雲が流れていて、山頂が雲に隠れたり中腹を雲が通り過ぎたり、山裾に雲の影ができたりする。山の経験が無いから雲の動きを見ても天候が予測できない。フロントでも定かなことは分からないという。富士五合目はまたも棚上げにして、静岡県富士山世界遺産センター(図参照)まで遠出することにした。
 前日走った国道138号線を西に向かい、国道139号線に入り、鳴沢氷穴の手前で左に折れ、青木ヶ原樹海を抜ける県道71号線を南に走る。左右は延々と樹林が続く。ナビも一面、樹木の表示になっている。空からは樹木の海のように見えるのが何となく想像できる。
 県道71号線はすれ違う車も少ない。途中で山梨県から静岡県に入ったが、風景は変わらない。県道を20kmほど走ると国道139号線に合流し、ほどなく富士宮市に入った。
 私のナビは古いので富士山世界遺産センターは登録されていない。ホテルに置いてあったパンフレットの観光地図で見当を付けて走っていたら、右手に大きな鳥居=一之鳥居と独特の形をした建物が現れた(写真)。

 富士山は、登山道、山麓の浅間神社、富士五湖、忍野八海、三保の松原など25の構成資産とともに、2013年、「信仰の対象と芸術の源泉」を評価されて世界遺産に登録された。それまでも内外の人々が富士を訪れていたが、世界遺産登録を機に観光客、登山者が急増した。静岡県、山梨県それぞれに富士を分かりやすく紹介する富士山世界遺産センターが相次いでつくられた。
 静岡県富士山世界遺産センターは公募で選ばれた坂茂氏の設計で、2017年に開館した。センターの北に、世界遺産構成資産の一つである富士山本宮浅間大社が位置する。浅間大社の涌玉池は富士の霊水を源とし、涌玉池を水源とする川が南に流れている。
 坂茂氏は富士の水の循環をテーマにして、センター前広場に湧水を引いた池を設けた。センターは鉄骨造5階建てで、逆円錐にデザインされている(写真)。
 坂茂氏の発想は、逆円錐=逆さ富士を池に映し、円錐=正富士を現そうとしたようだ。建物の外装に県産ヒノキの木格子が組まれている。県産材の活用を通して、自然循環、自然との共生を訴えようとしているのであろう。形のそれぞれには設計者の考えが暗喩されている。
 池に屹立する大鳥居は、浅間神社への誘導によって霊峰富士への畏敬、信仰を表している。
 
 入館料は300円だが、中学生以下、70才以上は無料である。課外授業だろうか、大勢の中学生が展示を見ながらメモをとっていた。
 ロビーから全長193mのらせんスロープが最上階まで上っている。疑似登山体験になっていて、壁面に映し出される等身大の登拝者とともに登拝を疑似体験できる。
 2階には映像シアターがある。らせんスロープの壁面は標高、四季に応じた映像に変る。3階には「受け継ぐ山」、「育む山」、「美しき山」の展示、4階には「聖なる富士」の展示、5階には「荒ぶる富士」の展示がされている。
 5階の展望室は富士に対面しているのだが、あいにくと雲に隠れていた。晴天時の富士の写真パネルで我慢し、らせんスロープを下山しながら富士を復習をする。古代から文人、歌人、芸術家が富士を題材にした作品を残しているので、展示には事欠かなさそうだ。
 
本宮浅間大社 
 静岡県富士山世界遺産センター前に立つ大鳥居=一之鳥居の右手に、本宮浅間大社の涌玉池を源にする神田川が流れている。富士川水系の一つで一級河川であり、清らかな水が勢いをつけて流れていく。神田川沿いを北に歩くと、和風屋根のKOBANの左に、対になった方形の屋根に朱塗りの灯籠?が現れる。灯籠?の先は駐車場を兼ねた広場で、向こうに朱塗りの本宮浅間大社二之鳥居が立っている(写真)。
 一礼し、参道を進む。右に広場があり、課外授業の中学生?が昼食を取りながらおしゃべりに熱中していた。静かで、居心地もよさそうだ。

 石造の三之鳥居をくぐり、右の流鏑馬像を見上げ、鏡池に架かった石橋を渡ると、本宮浅間大社楼門が構えている(写真)。
 富士山は活火山であり、たびたびの噴火でそのたびごとに大きな被害が出た。富士山の霊を鎮めようと浅間大神が祀られた。
 伝承では110年に日本武尊が現富士宮市山宮に浅間大神を祀る山宮浅間神社を奉納し、806年、坂上田村麻呂が現在地に本宮浅間大社を奉納した。関ヶ原で勝利した徳川家康(1543-1616)は、1604年、現在に残る本殿、拝殿、楼門など30余棟の造営を行った。家康はかなり信心深かったようだ。
 静岡を襲った地震で駿府城は大きな被害を受けたが、浅間大社の被害は少なかったそうだから、楼門は当時の遺構であろう。桧皮葺、入母屋屋根をのせた朱塗りも鮮やかな2階建てである。
 楼門手前は東西に伸びた馬場である。神木の桜が植えられていて、桜の馬場と呼ばれている。源頼朝(1147-1199)が1193年、富士の裾野で巻狩を行った際、浅間大社に流鏑馬を奉納し、以来、この馬場で流鏑馬祭が年中行事として開かれているそうだ。
 石造三之鳥居の近くの流鏑馬像には「流鏑馬像」としか表記されていなかったが、源頼朝のイメージかも知れない(写真)。

 楼門正面に拝殿、奥に本殿が見える(写真)。いずれも徳川家康造営時の遺構である。拝殿は桧皮葺の入母屋造りに向拝が大きく伸び出している。造作材は鮮やかな朱塗りで、華やかに感じる。
 奥の本殿は2階建ての楼閣になっていて、桧皮葺、切妻屋根だが拝殿側の屋根が伸び出した流造になっている。遠望するだけだが、絢爛さがうかがえる。楼閣形式の流造はほかに例が無いそうで、この拝殿は浅間造りと呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。信心深い家康が天下をほぼ手中に治めたときであり、絢爛さが演出されたようだ。

 境内の東門を出る。一瞬、冷気を感じた。富士の湧水が絶えない涌玉池が発する霊気かも知れない(写真)。
 富士の雪解け水がゆっくりと浸透し、伏流水となり、15年ほどかけて湧き出てできた池で、特別天然記念物に指定されている。
 霊水が湧き出ている池の左手に水屋神社が祀られている。右手には禊所が設けられていて、富士山登山者は平均13℃の霊水で禊ぎをして、登山するのが習わしになっているそうだ。手を浸すと冷たさ=霊気?が伝わってくる。
 涌玉池に架かる朱塗りの神路橋を渡り、厳島神社前、神田川に架かる神幸橋、東鳥居、桜の馬場を歩き、参道を南に戻る。二之鳥居を過ぎた駐車場・広場に面して物産館?があり、ガラス戸越しに混み合っているのが見える。
 のぞいていたら、店員が「富士宮名物やきそば、どうぞ」と声をかけてきた。富士宮やきそばは、B-1グランプリで1位をとった実績があるそうだ。値段も手ごろ、ここの焼きそばをランチにした。

 本宮浅間大社を出て、富士山世界遺産センター駐車場に13時ごろ戻った。観光地図を広げると富士山麓には浅間神社があちこちにある。ホテルに戻る道すがらに須山浅間神社があり、世界遺産構成資産に含まれているので、次はここを目指した。
 ナビに須山浅間神社を入れ、県道158号線を北東に走る。市街を出ると山裾の樹林、畑地の風景になる。国道469号線で東に折れる。樹林のあいまに富士山こどもの国、富士サファリパーク、牧場などが現れる。遊び処が多そうだ。
 国道469号線の須山地区でナビ通り脇道に入る。ほどなく須山浅間神社Pを見つけた。
 川の向こうに朱塗りの鳥居が見える。浅間橋を渡り、鳥居から見上げると、杉の巨木の向こうの石段の上に社が見える(写真)。杉は神木だそうだ。樹林のなかには日射しが届かず、凜とした冷気がただよっている。

 須山浅間神社の創建は日本武尊にさかのぼるとの伝承があり、552年に平兼盛が修理したとの記録もあるそうで、歴史は古い。拝殿+本殿は1823年の再建だそうだ(写真)。富士山噴火、東海地震で被害を受けたのだろうか。
 素木の社は質素で落ち着いている。境内の右のさや堂のなかには朱塗りの社が祀られている(下写真)。旧本殿らしい。朱塗りは華やかさを感じる。両社に参拝する。
 富士にはいくつか登山口があり、須山浅間神社の須山口もその一つで、かつて南口とも呼ばれ登山者が多かったそうだ。登山者は須山浅間神社に参拝し、身を清め、山頂を目指したのであろう。
 ところが1707年の宝永大噴火で登山道が壊滅してしまう。1780年ごろ、登山道が復興され、江戸時代は富士講の広まりとともに須山登山道は大いに賑わったそうだ。
 1889年、東海道線が開通し、交通の便利な御殿場口からの登山が人気になり、須山登山道は衰退する。衰退したためか、1912年には旧陸軍の演習場となり、須山登山道は閉鎖される。昭和後半に須山登山道復興の気運が高まり、1997年、須山登山歩道が整備された。
 新たに整備された須山登山歩道は、須山浅間神社の先が廃道になっているので、須山浅間神社に参拝後、いったん道路を戻り、牧場を抜けて登るらしい。難所があり上級者向けだそうだ。  (2019.2)

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2019.1 ウイーン・フィルニューイヤーコンサート、ワルツにポルカで気分浮き浮きする

2019年02月02日 | よしなしごと

ニューイヤーコンサートを楽しむ 

 元旦の夜に、テレビで生中継の「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」を聴くのが恒例になった。今年も、クリスティアン・ティーレマンの指揮によるヨハン・シュトラウス、ヨハン・シュトラウスⅡ親子のワルツ、ポルカを聴きながらワインを楽しんだ。
 テレビでは曲のあいまに踊りが披露され、目も楽しめる。

 満席のなかには和服姿の日本人も見える。ウイーンでのニューイヤーコンサートを組み込んだツアーも人気だそうだ。が、年金暮らしでは懐が厳しいし、高齢者にはウイーンの寒さも気になる。
 そんな私の要望に応えるかのように、ウイーンから楽団が出張し日本各地で演奏会が開かれる。これもなかなかの人気で、気づくのが遅いと席が取れない。
 2016年はオペラシティの席が取れたが、その後は見逃してしまった。2018年はカミさんが新聞広告に注意し、なんと半年も前の8月の広告で2019年1月13日公演のニューイヤー・コンサート2019を見つけてくれた。

 演奏会場のオペラシティ・コンサートホールは長方形平面で、1階平土間は横32席、縦31席と奥行きが長い。
 2016年は真っ正面3階の席を取ったが、ステージが遠すぎた。今回は左右のバルコニーでステージ近くを取ることにした。9月のチケットweb販売と同時にアクセスし、値段が手ごろなB席6000円、3階・L列ステージ近くの席を予約した(写真、3階L列の眺め、左奥がパイプオルガン、左下がステージ)・・ちなみにS席9000円、A席7500円、C席4000円である・・。

 4ヶ月後、年が変わって2019年1月13日、家で昼食を取ってから、新宿経由で京王線初台に向かう。オペラシティは初台駅から地下道で直結している。円形の広場からヴァイオリンが聞こえ、雰囲気が盛り上がる。
 15:00開演、ほぼ満席である。和服姿もいて、正月らしさを感じる。ヨハネス・ヴィルトナー(1956-)の指揮で、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏が始まった。
第1部
ヨハン・シュトラウスⅡ:喜歌劇「こうもり」序曲
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ・シュネル「そんなに怖がることはない」op. 413
ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン(秘めたる引力)」op.173
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ・マズルカ「女性賛美」op. 315
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「浮気心」op. 319
ヨハン・シュトラウスⅡ:皇帝円舞曲op. 437

第2部
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「山賊のギャロップ」op. 378
ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「南国の薔薇」op. 388
ヨハン・シュトラウスⅡ:エジプト行進曲op. 335
ヨハン・シュトラウスⅡ:狂乱のポルカ(ギャロップ風)op. 260
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「鍛冶屋のポルカ」op. 269
ヨハン・シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「狩り」op. 373
ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「美しく青きドナウ」op. 314ヨハン・シュトラウスⅡ 

 ヨハン・シュトラウス(1804-1849)、ヨハン・シュトラウスⅡ(1825-1899)親子は教科書でも習うワルツの父、ワルツ王である。日ごろ親しんでいる曲が多いのも日本人向けサービスであろう。鍛冶屋のポルカでドラム演奏者が鍛冶屋の身なりに変わり金床を金槌で叩く場面には観客も大喜びだった。

 アンコールの〆のラデッキー行進曲ではどこでも恒例だが、観客の手拍子を交えて演奏が進む。大いに盛り上がって終了となった。
 気分よし、寒さが気になるので大宮まで戻り、大宮でディナーとお酒を楽しんだ。
 翌日、カミさんが近くのブックオフで、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮ロリン・マゼール「ニューイヤーコンサート1980-1983」を見つけてくれた。曲目はほぼ同じで、自宅でワインを飲みながら余韻を楽しんでいる。
 駄句「新春のワルツにポルカ浮き浮きと

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