<世界の旅・中国を行く> 2000.8 中国西北少数民族を訪ねる=シルクロードを行く 20 西安で大雁塔や安定門を見学+集合住宅を訪問し帰路へ
日航皇城賓館の部屋は11階の標準的なスタンダードツインだが、内装、設備も整っていて、見晴らしもいい(図)。古めかしい建物と現代的な建物が格子状の街区に並んだ先の右手に、南門=永寧門が見える。条坊都市の始まりは、少なくとも唐までさかのぼる。600年代として、1400年分の歴史が積み重ねられた街並みである。郊外の現代的なホテルもいいが、歴史の詰まった旧市街のホテルは空想が広がる。
西安城内の和平路から雁塔路を南に4kmほど走り、慈恩寺境内に建つ大雁塔Dayantaに15:30ごろ着く。
645年、玄奘三蔵(602-664)は天竺から持ち帰った経典、仏像などを当時の唐の2代皇帝太宗(598-649)に献上する。太宗の跡継ぎを巡る策謀が起き、9子の高宗(628-683)が3代皇帝を継ぐ。高宗は母であり太宗の皇后である文徳を供養するため、隋代の創建され焼失した寺を再建し、慈恩寺と名付ける。
652年、玄奘三蔵は天竺から持ち帰った経典、仏像を保存するため、慈恩寺にインド様式で高さ60m、五層の塔を建てた。これが雁塔の始まりである。
雁塔は戦火などを受けたあと再建され、その後にも修復され、現在に残る高さ64m、底辺25m角、七層の塔になった(写真)。
雁塔のいわれは、天竺記に記録された寺の五層の塔の最下層が雁の形だったや、雁に身を変えた菩薩賢聖を記念したなど、諸説がある。
707年、薦福寺に雁塔に形や構造のよく似た塔が建てられた。雁塔より小さかったことから、慈恩寺の雁塔を大雁塔、薦福寺の仏塔を小雁塔と呼び分けるようになったそうだ。
玄奘三蔵の建てた創建時の塔ではないが、大雁塔はシルクロードの旅の締めにふさわしい。15元≒1950円の参観券を購入し、参拝する。黒檀だろうか、黒光りする堅木に鮮やかな彩りの彫刻?、象嵌?が施された祭壇が置かれている(写真)。かつて、天竺の経典がうずたかく積まれ、仏像が並べられていたのであろう。玄奘三蔵の艱難を想像し、合掌する。
大雁塔内部には木製階段が設けられていて、最上階まで上ることができる。煉瓦積みの壁の四方にアーチ窓が設けられていて街を遠望することができるが、最上階の眺めがいい。四方のアーチ窓から東西南北を眺める。北は雁塔路がまっすぐ西安城まで伸びている(写真)。城外も直交の道路で区画されている。
高さ12mの西安城壁も高さ36mの鐘楼もかすんで見えないが、想像力で存在を感じる。東、西には、こんもりとした緑のなかに四合院形式の建物や、低層、中層の建物が続いている。南は幅の広い直線道路が延びていて、周辺は開発途上のように見える。
西安城や大雁塔などの歴史をいまに伝える都城、建造物を保全しながら、住み心地のいい開発が期待される。
17:00ごろ西安城に戻り、西門=安定門近くで車を止める。現在の城壁は明代の改修で、安定門の名も明代に名付けられたが、西門こそがシルクロードへの出発点だった。玄奘三蔵を始め西域に向かう軍人、商人がここを門出したのである。
煉瓦積みの高さ12mの城壁に、アーチ型の通路が抜けている。アーチ型通路は15~18mの奥行きで、かつては頑丈な扉が内外に設けられていたはずである。
門の上には木造2階の堂々とした楼閣が建っている(写真)。
壁は煉瓦積みだが、横長の瓦葺き入母屋屋根、2階の裳階?のついた2重屋根、軒下の枓栱などは日本の伝統建築にも見られるから、親近感を感じる。
城壁頂部を歩いた。頂部の幅は10数mと広い。敵来襲となれば、弓矢、銃を構えた将兵で埋め尽くされたのであろう。
絹などの物資を携えて西門を旅立ち、シルクロードを経て異国の物資を運び込むのは人である。仏教を唐に伝えたのも人である。平時には人によって繁栄がもたらされ文化が発展するが、ときに人は繁栄を奪い、政権を掌握しようとする。門、城壁、楼閣はその2面性の象徴である。
西安の送迎はYさんで、移動中にシルクロードの少数民族民家訪問が話題になった。Yさんの家は伝統的な四合院住宅?と聞いたら、2年前に西安南地区に開発された高層住宅を購入した、見学してもいい、とのことだったので集合住宅訪問をお願いしておいた。
西門=安定門の見学を終えた17:30ごろ、Yさん宅に案内してもらった。周辺に空地が広がり、開発が進行中の一画に7階~20階の集合住宅が並んでいる(写真)。Yさん宅は南向きに4戸が並ぶ7階建ての7階で、南東の住戸に夫婦と子ども一人の3人で暮らしている。
壁式構造で1住戸はおよそ50㎡である。間取りは、入り口ドアを開けると・・玄関はない・・居間食堂が南に延び、東側の北に子ども室、トイレ・洗面を挟んで南に夫婦室(写真)、北側にキッチンの4部屋が並ぶ(図)。・・日本にも似たような間取りの集合住宅は少なくない。
かつて中国では浴槽に入るといった入浴習慣はなく、中国各地で訪問した四合院形式などの伝統住宅には浴室は設けられていない。多くはかまどの置かれた土間で沐浴だったらしい。そのためか浴室を設けない集合住宅も少なくない。Yさん宅も浴室がなかったので、居間食堂の南のバルコニーを浴室に模様替えしてあった・・この方法は日本の初期の集合住宅でも行われた。中国でも初期の集合住宅では広く採用されている・・。入浴が一般化され始めたので浴室付き集合住宅の出現は間もなくと思う。
M君の通訳で和やかに歓談し、18:30ごろYさん宅を出る。住宅地の外れに仮設の市場、食事処が並んでいて、夕食時のため賑わっていた。近々、常設の市場が建てられるそうだ。開発が順調に進んでいる。
Yさんに西安城内東大街に面した日航皇城賓館まで送ってもらう。東大街は西安で最も賑やかな繁華街で、飲食店も多い。餃子の有名な飯店で、乾杯を重ねながら、餃子やツォンボヤンロウ(油で炒めたネギ+羊肉)、ホアジェン(花の形のマントウ)などの中国料理を楽しんだ。
21:30ごろ部屋に戻り、帰国の準備をしてベッドに入る。
シルクロードの旅9日目は異文化の刺激に興奮しながら、慌ただしく過ぎた。5:00ごろ起き、6:00軽食、6:30出発、7:15西安咸陽空港・上海便チェックイン、8:20西安離陸、10:05上海虹橋空港着陸、上海市内で昼食、13:10上海虹橋空港国際線・成田便チェックイン、15:20上海離陸、19:00成田着陸、22:00ごろに帰宅した。
家でビールを傾ける。まだ興奮が続いている。異文化体験が走馬燈のように浮かんでは消えていく。記憶が重なり、錯綜する。整理には時間が必要だ。
同行してくれたM君、現地ガイドKさん、歓迎してくれた民家の皆さんのお陰でいい旅になった。謝謝。乾杯。
・・それから20年も経ってしまった。NHKBSで40年前のシルクロードが放映されたので、一念発起、記憶をたどって紀行文をまとめた。情報の古さ、記憶違いはご容赦を。 (2021.2)