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1998.12 チュニジア紀行9/マトマタでスターウォーズの舞台になった穴居住居見学

2020年04月21日 | 旅行

 a062 チュニジア紀行4日 タメズレット マトマタ 穴居住宅 ガベス スファックス   

 1998年12月3日・水曜、気温19°、湿度52%、車はドゥーズの郊外から続く赤茶けた山あいのなかを走っている。1時近く、左手の岩山の斜面に石積み+レンガ積みの建物が段々状にへばりつき、丘の頂きに城塞らしい建物が見える町Tamezletタズレットを通り過ぎた(写真)。

 つくり方からするとイスラム風である。だがイスラム教徒=アラブ人であれば1300年の長きにわたりチュニジアを支配していたから向かうところ敵無しで、わざわざこのような岩山に城塞風の頑健な建物をつくる必然性がない。
 となると、むしろ遊牧の民であるベルベル人がイスラム教徒=アラブ人の進撃から身を守るためにイスラム教徒のつくり方をまねてつくったと考えられる。多勢に無勢でベルベル人もイスラム化され、城塞のような建物にイスラム寺院が設けられ、ミナレットが建てられたのではないだろうか。

 やがてMatomataマトマタの町に入った。車からは赤茶けた起伏が広がっていて、ところどころに最近建てられたらしい住居が建っているだけの風景が見える(写真)。
 車は白く塗られた石積みの壁の前の駐車場に止まった。駐車場は観光用の車で混み合っている。石積みの壁にはアーチ型の洞窟のような穴が開いていて、階段を下った先は地下の中庭になっていた。
 これが洞窟住居あるいは穴居住宅と呼ばれるHabitat troglodytiqueである(写真、あとで上から撮影)。
 地下までの深さは7-8mほどあり、中庭の周りには2層に横穴が掘られている。中庭は広いところで15mほどあり、横穴は大きい穴、小さい穴、1層目、2層目をあわせ15もある(写真+スケッチ、右下が中庭全景、左上は中庭全景図の右上部分詳細)。
 のぞくと、部屋になっていたり通路だったり、倉庫に使われたりしている。通路になっている横穴を抜けると次の中庭に出た。ここにも横穴が掘られている。もとの中庭に戻って、シキブさんが手招きした横穴に入るとレストランになっていた。
 横穴はアーチ状で、高さは4mほど、幅も4mほど、奥行きは8mほどで、長テーブルにベンチが置かれ、40名ほどが食事をとれる。光は入口からしか入らないが、壁、天井とも白いプラスターで仕上げられていて、けっこう明るい。

 食事は前菜=Le Brickブリック=卵などをクレープで包んで揚げた一種の春巻き、メイン=Le Couscousクスクス=蒸した小麦粉を用いた伝統料理で、山盛りの小麦粉のまわりにマトンやチキン、野菜などの具がのる、デザートはマクルード=デーツ(ナツメヤシの実)を小麦粉で包んで揚げ、砂糖シロップをたっぷりつけた菓子であった。
 クスクスはパサパサしているが食べやすい。しかし、マクルードはかなり甘いにもかかわらず、まわりの欧米系の観光客はぺろりと平らげている。体型が違うはずだ。

 食後、穴居住宅を見て回った。12~13世紀、イスラム=アラブ人の進撃から身を隠そうとマトマタのベルベル人が垂直の縦穴を掘って中庭をつくり、中庭の周りに横穴を掘って部屋にして暮らし始めたのが穴居住宅の始まりだそうだ。
 たぶん、それまでも斜面や地面の自然の穴を利用した暮らしがあったのだと思う。地下は昼間の熱射や夜の急な冷え込みを防いでくれて地上の住まいより気候は安定している。遊牧の家畜を入れておけば逃げない。財産を隠しておけば盗まれにくい。そうした暮らしの知恵に、敵から身を隠す工夫が講じられたのであろう。

 横穴は寝室用、食事団らん用、台所用、家畜用などに使われ、通路用の横穴はいざというときにほかの中庭に通じて逃げるためではないだろうか。
 こうした穴居住宅があちこちにあったらしいが、チュニジア政府は少し離れた場所に地上の住宅群をつくり移転を奨励した。新しい住宅地は新マトマタと呼ばれている。

 1977年に公開されたStar Warsスター・ウォーズの制作者?、監督?、脚本家?は旧マトマタの穴居住宅に目をつけ、ここをルーク・スカイウォーカーの住まいとして撮影した。その映画は記憶にある。少年ルーカスが穴から出てきて母親と会話をするシーンがここであった。
 ここはその後Hotel Sidi Drissホテル・シティ・ドゥリスとなり(写真は客室用横穴、前掲図左上詳細)、映画の舞台として、特異な住まいとして、チュニジアツアーの観光スポットとして大勢の観光客を集めているそうだ。ここに泊まるとスター・ウォーズで大活躍する夢を見るに違いない。

 2時半過ぎ、マトマタを出発し、北東およそ40kmのGabesガベスに向かう。マトマタを出てしばらくは赤茶けた起伏の風景だったが、ガベスに近づくと人家とともに樹木が増えてきた。大地は平坦になり緑が確実に増えている。
 3時過ぎにGabesガベスに着く。ガベスは地中海・ガベス湾に面している。豊かなオアシスがあり、フェニキア人がカルタゴを建設する前から交易で栄えたらしい。その後も海上交通の要衝として栄えてきた。近代に入ってチュニジアがフランスの保護領となってからはガベスにフランス軍の駐屯地が置かれたほど、地の利のいいところだそうだ。
 ガベスの市場近くで休憩する。市にはさまざまな食材が並び、賑わい始めている(写真)。いまはラマダンで、日の出から日没までは断食になる。いまごろ買い出しをして準備をすると、日没後の夕食にちょうどいいらしい。

 一息してから、ガベスの北150kmほどのスファックスに向かう。スファックスが今日の宿である。じきに右手にガベス湾、つまり地中海が見えた。地中海に沿って車はフルスピードに走る。
 5時少し過ぎにSfaxスファックスのAbou Nawasアブ・ナワス・ホテルに着いた。部屋は6階で、窓を開けるとちょうど日没が空を染めていて、西の方をのぞくと赤みのなかに尖塔がシルエットをつくり出している(写真)。
 地図を見ると、ホテルの北に城壁で囲まれた旧市街メディナがあり、メディナにはグラン・モスク+ミナレットが建っているはずだが、方角が違う。別の尖塔のようだ。
 ホテルの南は港のはずだが夜であり、建物が視界を遮っているので海は見えない。資料には、スファックスは海上交易で栄え、いまやチュニジア第2の都市として発展していて、商工業が盛んだと書いてある。

 夕食まで時間があったので、夕陽に浮かんだ尖塔の方に向かった。Av. Hbib Bourguibaハビブ・ブルギバ通りを西に歩くと、Place Hedi Chakerヘディ・シャケル広場に出る。広場の左手にライトアップされたイスラム風デザインの建物が建っていた(写真)。
 チュニジアの国旗が掲げてあるから、どうやらスファックス県庁らしい。尖塔は左手角に伸び上がっていた。ホテルの部屋から見えた尖塔である。ガイドブックの地図にはスファックス博物館と記されている。県庁の1階が博物館になっているらしいが建物いわれはよく分からない。 
 ホテルに戻り、2階のレストランでマゴンと呼ばれるチュニジアの赤ワインを味わいながら、前菜=野菜サラダ+スープ、メイン=七面鳥、デザートを楽しんだ。部屋に戻り、チュニジア4日目に乾杯してベッドに入った。   (2014.1、2020.4加筆)

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