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2009.9 バルト3国・ラトビア 32年後に竣工のルンダーレ宮殿の内装はロココ様式

2020年04月02日 | 旅行

2009.9 バルト3国の旅 ラトビア2  ルンダーレ宮殿の内装はロココ様式   

ルンダーレ宮殿の内装は華やかなロココ様式
 ナポレオンのロシア侵攻、第1次世界大戦下でのドイツの進攻でルンダーレ宮殿は司令部や病院などに使われ、ラトビア独立戦争で損壊を受け、第2次世界大戦でもさらに大きな損壊を受けた。
 ソビエト連邦下で修復が始まり、ラトビア独立後に本格的な修復が進められ、2007年?から公開が始まったらしい。その後も修復作業が続き、2015年に修復が完了したそうだ。訪問した2009年当時は公開間もないためか、見学中ほとんど人に出会わなかった。

 話を戻す。中庭正面の扉が入口だろうと見当をつけて階段を上がり、扉を開けて中をのぞく。受付のスタッフが事務的な笑顔を見せる。ホッとして、ユーロが使えるかとたずねるとうなずく。カメラ代とあわせ二人で18ユーロだった。
 そのころ見学用のパンフレットは見当たらず、ガイドも居らず、頼みの綱は2009年版地球の歩き方だけである・・この紀行文をまとめる際にラトビア語だがhttp://www.rundale.netを見つけた・・。

東棟は儀式行事空間
 地球の歩き方掲載の間取り図では、庭園に面した南棟に公爵の部屋、西棟に公爵夫人の部屋、東棟は儀式行事などのための広間が並んでいる。公私が棟で区分されているようだ。
 矢印に従い左手の階段から東棟2階のParades zalesに上がる。いきなり黄金の広間Zelta Zaleで圧倒される(写真)。広々として、明るい。天井一面に鮮やかなフレスコ画が描かれている。天井まわりの折り上げや開口部回り、壁面の装飾には金箔を多用した漆喰彫刻で飾られている。床の寄木細工も手が込んでいる。玉座が置かれ広間で、天井画は王の神格化をテーマにしているそうだ。
 黄金の広間の北に青の間Zila istabaと呼ばれる小部屋がある(写真)。漆喰彫刻の天井、青というより緑に近い布張りの壁、寄木の床、見事なタイル貼りの暖炉など、小部屋ながらつくりはいい。公爵や貴族の控え室だったのだろうか。

 黄金の間に戻り、グランドギャラリーLielaja galerijaを北に進む。グランドギャラリーは、壁は淡いブルーで彫刻が飾られ、天井は淡いベージュを基調にして漆喰彫刻の縁取りに淡い色合いの天井画が描かれている。床は寄木で、つくり方は黄金の広間、青の間と同じだが、色合い、細工は控えめである。通常は廊下で、儀式行事の際は飲み物、食べ物を配膳したそうだ。
 グランドギャラリーの先、東棟先端は白の広間Balta Zaleである(写真)。壁も天井も、折り上げや天井飾りや壁飾りの漆喰彫刻もすべて白に仕上げられている。ここは舞踏会用の広間で、華やかなドレスを引き立てるため白を基調にしたようだ。漆喰彫刻は、天井中央にコウノトリの巣?、壁回りに子どもたちが楽器を奏でる光景など、牧歌的シーンを題材にしたようだ。
 白の広間の西最奥に楕円形の磁器の間Ovalais Porcelane Kabinetsには中国磁器が滝のイメージで飾られていた(写真)。当初の設計では白の広間は礼拝堂で、磁器の間が祭壇だったようだが、工事再開後に舞踏会用広間に変更になり、磁器を展示する小部屋になったらしい。

南棟は公爵の公私空間
 東棟を戻り、南棟の公爵空間Hercaga apartmentiに向かう。公爵空間は東寄りに執務室が並び、公爵夫人空間の西棟寄りに公爵の私室が並んでいる。
 最東端は図書室Bibliotekaで、天井はフレスコ画、壁は赤みの布張り、床は寄木で、壁際に書棚が並んでいる。
 次の薔薇の間Rozu Istab は天井に春の女神をモチーフにしたフレスコ画が描かれ、壁は赤みの人工大理石の上に花の漆喰装飾が飾られている(写真)。部屋名の通り華やかな雰囲気が漂っている。どの部屋も床は寄木だが、部屋の格式?用途?によって細工が少しずつ変えてある。タイル貼りの暖炉も部屋ごとに色合いや細工が変えられている。
 次のオランダの間Telpa ar holandiešu gleznāmは漆喰天井、青みの布壁、寄木床、続く統治者のサロンValdnieku salonāは漆喰天井、赤みの布壁、寄木床で、どちらもタイル貼り暖炉は見応えがある。

 次が公爵寝室Hercaga gulamistabaで、神話をモチーフにしたフレスコ画の天井、緑の布壁、手の込んだバロック寄木の床と公爵寝室にふさわしいつくりである(写真)。写真右端の凹みのなかに、緑色のベッドが設置されている。緑色が気分を落ち着かせたのかも知れない。

 隣が謁見室Audiencu kabinetsで天井は神話をモチーフにしたフレスコ画、床は寄木だが、壁は赤のダマスク織りに一転する。
 次はイタリアの間Italu salonsで、漆喰天井、青みの布壁、寄木床に変わり、静かな雰囲気の部屋になる。イタリアの絵画が展示されていたようだ。
 次の大理石の広間Marmora Zaleはダイニングルームに使われた部屋である(写真)。天井は花模様の飾られた漆喰、床は寄木で、壁に青みがかったグレーの人工大理石が使われているため大理石の広間と呼ばれたようだ。
 南棟最後はビリヤード室Biljarda zāleで、フレスコ画の天井、青みの布壁、寄木床に、ビリヤード台が置かれている。ビリヤード室を持つのが貴族のたしなみだったのだろうか。神話をモチーフにしたフレスコ画からは、当初は別の用途の部屋としてつくられたように感じる。

 大理石の広間から見下ろした南庭は、ベルサイユ宮殿を手本にしたフランス庭園だそうだ(写真)。たぶんラストレッリが基本構想を示し、専門の造園士が造りあげたのであろう。web転載の空中写真からも広大な庭園が幾何学的に造園されている様子が分かり、クールラント公爵の権勢が絶大だったことをうかがわせる。

西棟は公爵夫人の私空間
 西棟は公爵夫人空間で、階段室を少し進んだ先の私室、寝室、サロン、化粧室が公開されていた。
 夫人私室Hecogienes apartmentiは漆喰天井、青みのレース模様の布壁、寄木床で、壁の凹み=ニッチ回りには花飾りが添えられている(写真)。ニッチは、漆喰でつくられた貝殻のイメージである。ビーナスになった気分に浸れるのだろうか。暖炉も漆喰製で部屋の雰囲気に馴染ませている。
 隣が夫人寝室Hecogienes gulamistabaで、漆喰天井、黄色みの布壁、寄木床と、明るい雰囲気で仕上げられている(写真、web転載)。中央壁際に天蓋付きのベッドが置かれている。 
 寝室に向き合ってサロンHercogienes salonsがある。漆喰天井、赤みの布壁、寄木床で、つくりは共通する。夫人が接客、歓談するための部屋のようだ。
 寝室にはトイレ付きの化粧室Hercogienes tualetes kabinetsが続いている。天井は中央に鏡をはめ込み、金箔飾りで縁取られた飾りパネル、壁は緑色の布張り、床は細工の込んだ寄木と、小部屋ながら夫人のサロンや寝室よりもぜいたくなつくりである。重厚な感じの椅子テーブルなどが置かれていて、その一つが座面を開け閉めする便器になっている。18世紀ごろの上流社会でのスタイルであろう。

 ドライバーとは1時間の約束だったが見応えがあり1時間を過ぎた。じっくり見学するには1時間半~2時間はかかりそうだ。
 竣工当時のオリジナルも少なくないが、その後の改修、破損、火災、用途転用からの修復、復元で、当時の手の込んだ細工、華やかな仕上げのロココ様式が実感できた。それにしてもぜいたくすぎる。重税に苦しむ農民を思うと、ロココ様式が虚しく感じる。
 15:50ごろ、ラトビアの首都リガに向かって走り出す。 (2020.3)

コメント
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