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2011.1 頼朝・政子の縁結びでも知られる関八州総鎮護の伊豆山神社に初詣

2020年04月20日 | 旅行

2011.1 伊豆山神社を歩く    <日本の旅・静岡の旅

 2011年、正月早々、伊豆山神社での初詣を兼ね、伊豆・錦ヶ浦の海辺に建つ温泉宿でゆっくりしようと、熱海に出かけた。

 熱海駅前から七尾団地方面行きのバスに乗る。すれ違いの難しそうな狭く曲がりくねった山道を10分ほど走り、「伊豆山神社前」で降りる。バス停あたりも狭く、カーブしているので見通しは悪い。
 カーブの先端に伊豆山神社の入口がある。石積みの擁壁のあいだの石段を上る。境内はこんもりとした樹林に覆われている。

 石敷きの参道に鳥居が立つ。一礼し、その先の石段を上り始める。右の祖霊社を過ぎた先に次の鳥居が立つ。一礼しさらに石段を上る(写真)。
 樹林のあいだの役小角エンノオズヌ=役行者エンノギョウジャを祭神とした足立権現社、日精・月精を祭神とした結明神社を過ぎ、さらに石段を上ると、本殿が姿を現す(写真)。
 石段は200段近かった。バス停あたりの標高は135mほど、本殿あたりの標高は170mほどで高低差は35mほど、11~12階建てのビルに相当するから一気に上るには少々きつい。ゆっくり石段を踏みしめ、途中の社に参拝し、気持ちを集中させよということであろう。
 本殿前に、無病息災を願う茅の輪が設置されていた。8の字に茅の輪をくぐり新年の無病息災を願う。
 本殿は瓦葺き入母屋屋根、正面に唐破風を伸ばし、親しみやすいプロポーションである。軒周りなどには金箔を用いた絢爛たる装飾が施されている。二礼二拍手一礼する。

 伊豆山神社は関八州総鎮護だそうだ。関八州とは、相模・武蔵・上野・下野・安房・上総・下総・常陸を指し、現在の関東地方を指す。その総鎮護となれば壮大な殿舎を想像してしまうが、本殿は大それた壮大さを感じさせない。

 このあと、標高380mの伊豆山頂に建つ本宮を参拝した。
 その後の復習で、バス停あたりから南東の海辺に向かって参道となる650段ほどの石段が下っていて、標高50mあたりに下宮跡があり、さらに下った伊豆浜には伊豆山神社ゆかりの走り湯がある。神域は、浜辺から標高380mの伊豆山、さらに伊豆山の西に連なる標高771mの日金山=十国峠、東に連なる標高734mの岩戸山の山並みに及んでいるそうだ。
 伊豆山神社は広大な神域の要であり、本殿は参拝の象徴に過ぎないということであろう。

 復習していて、「伊豆御山」が歌枕であることも知った。平安歌人相模の「思ふ事ひらくるかたを頼むにはいづのみやまの花をこそ見め」が私家集である相模集に収録されているそうだ。
 相模(998?-1061)とは平安時代の歌人で、紫式部(970年代-1010年代)、和泉式部(970年代-?)とともに中古36歌仙、女房36歌仙の一人である。
 後拾遺和歌集では和泉式部に次いで多くの歌が収録され、「うらみ侘ほさぬ袖たにある物を恋にくちなん名こそおしけれ」は百人一首65番に選ばれていて、あでやかな平安衣装を身につけた相模が描かれている。

 相模は離婚歴があり、大江公資と再婚して任地先の相模国に随行したが、このあと大江公資とも離婚する。前述の伊豆御山の歌は相模国での思いを詠みこんだ恋歌として知られ、「伊豆御山」が歌枕に定着したようだ。
 相模の名は、夫の任地先の相模国で詠んだ「いずのみやま」の歌が京で知られ、歌人として頭角を現したときに自称したのであろうか・・歌にも平安時代の歌人にも疎いので確信はないが・・。
 伊豆山神社は縁結びの神だから、伊豆山神社参拝を縁に平安歌人相模を知ることができたのであろう。

 伊豆山神社の由来はいくつか説がある。勝手に解釈すると、日金山=十国峠に火牟須比命ホムスビノミコトを祭った本宮があり、のち遷宮し、さらに移転して現在の伊豆山神社が新宮となった。火牟須比命は火の神で、伊豆浜の走り湯の温泉神と結合し、温泉の守護神になった・・熱海温泉の守護神である・・。
 「湯出づる」が「伊豆」になったともいわれ、伊豆山神社は伊豆山権現、走湯権現、走湯社など、略して伊豆山、走湯山とも呼ばれ、信仰を集めてきた。

 話は変わって、伊豆山神社は縁結びの神でもある。縁結びは源頼朝(1147-1199)・北条政子(1156-1225)に由来する。本殿脇には頼朝・政子腰掛け石が置かれている。
 1160年の平治の乱で頼朝の父義朝は平家に破れ、同年、命を落とす。頼朝は死罪を免れ伊豆国に流される・・異母弟の義経は鞍馬寺に預けられ、のち奥州藤原氏が庇護・・。
 流人の頼朝は箱根権現、伊豆山権現に帰依する毎日だった・・一説には源氏再興を祈願したともいわれる、男前だったのか、源氏の血筋が人気だったのか、女性との付き合いも多かったとの説もある・・。

 頼朝の監視役が伊豆国の豪族北条時政である。その監視役の長女の政子が頼朝と恋仲になる・・1177年ごろに結婚し、1178年に長女が生まれる・・。
 頼朝・政子の出会いも諸説があるが、流人と監視役の娘だからいろいろなうわさが生まれる下地はあろう。二人が神社の石に腰掛けるとなればこのころであろう。二人で石に腰掛け恋を語り?、二人が結ばれたのだから縁結びも期待できそうである。

 1180年、頼朝は伊豆を制圧するも、圧倒的勢力の平家に敗れ、阿波国へ逃げる。同年、軍勢を建て直し、鎌倉に陣を構える。1185年、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、鎌倉幕府が始まる。
 頼朝は鎌倉に鶴岡八幡宮を建立し、守護神として崇敬するが、頼朝が帰依し、源氏再興を祈願した伊豆山権現箱根権現も二社権現として鎌倉武士の厚い信仰を集めた。
 頼朝は1199年に急死するが、政子が息子を後押しし、幕府を切り盛りする。流人と結婚するほどの気丈さが頼朝亡き後の鎌倉幕府を支えたようだ。
 
 相模を制圧し、後北条家の祖となる伊勢宗瑞=北条早雲(1456-1519)始め、後北条家は伊豆山神社を厚く庇護した。
 ところが豊臣秀吉(1537-1598)は1590年、後北条家の居城である小田原攻めのとき山を焼き払い、伊豆山神社は焼失する。
 小田原落城後、豊臣秀吉は徳川家康(1543-1616)の領国である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃と後北条家の領国だった関八州を交換させる。

 家康は1600年の関ヶ原の戦いで天下の覇者となったあと、伊豆山権現を再建、再興し、あわせて三百石を寄進して崇敬する。以降、諸大名に熱海の湯治を兼ねた伊豆山権現の参拝が広まった。
 大正時代、のちの昭和天皇が皇太子のときに参拝、昭和時代には現在の令和天皇が皇太孫のとき参拝している。
 伊豆山神社は由緒正しい歴史がある。

 気楽な気持ちで初詣に立ち寄った伊豆山神社だったが、復習で由緒ある歴史、関八州総鎮護、平安歌人相模と歌枕、頼朝・政子の縁と鎌倉幕府と、実に奥が深いことが分かった。

 本殿参拝後、右手の白山神社遙拝所から本宮を目指す。鳥居で一礼し、始めは舗装された道を上るが、やがて本格的な山道になる。
 険しいところもあったが、20分弱で木の鳥居、続いて白山神社に着く。一礼する。

 険しい山道から歩きやすい道になり、広場に出る。子恋の森と呼ばれていて、平安時代の女流作家である清少納言(966?-1025?)の枕草子には「杜のこごひ」として登場するらしい・・春はあけぼのていどを教科書で学んだだけだから、つくづく不勉強を感じる・・。

 途中の車道を抜け、山道に入り、白山神社から20分弱で石の鳥居の先の結明神本社の石塔に着く。一礼する。
 山道を上り、結明神本社から15分弱の石段を上がると、石の鳥居の先に朱塗りの本宮拝殿が現れる(写真)。かつての建物は焼失し、拝殿だけが残ったそうだ。二礼二拍手一礼する。
 標高170mから標高380mまでの高低差210mを50分ほどで上ってきたことになる。途中険しいところもあったが、休み休みしながら気持ちを集中して上ればさほどのきつさは感じない。

 標高380mから見晴らす(写真)。偉人は遠大な風景を眺め未来を見通すのであろう。源頼朝は鎌倉幕府を興し、北条早雲は戦国時代の先駆けとして相模を制圧し、後北条家の祖となり、徳川家康は天下を統一した。偉人にあやかろうと、本殿拝殿に再度参拝し、山を下る。

 バスで熱海駅に戻り、宿の送迎バスでアカオリゾート・ロイヤルウイングに向かう。相模湾に面し、錦ヶ浦に建つ大きなホテルで、ロイヤルウイングは廊下でつながった新館らしい。
 温泉は本館の海辺に位置し、湯から相模湾を望むと海に浸っているような錯覚にとらわれる。温泉の守護神の御利益を期待しながら、湯を楽しむ。
 翌朝、宿の送迎バスでアカオ・ハーブ&ローズガーデン蘇我山入口に送ってもらう。相模湾を望む蘇我山の斜面に20万坪の庭がひな壇状に造園されていて、10の花園を楽しむことができる。
 1月早々だから花は限られいるが、相模湾を眺めながら、まず蘇我浅間神社に参拝したあと、日本庭園、アニバーサリーガーデン、ローズガーデン、オールドローズガーデン、イングリッシュローズガーデン、シークレットガーデン、バラの谷、グラスガーデン、クライミングローズガーデン、ウエディングガーデン、ラベンダーガーデンを順に下った。斜面を上る風は肌寒いが、日射しがあり、気持ちいい散策になった。
 送迎バスで宿へ、次いで熱海駅へ送ってもらい、帰路についた。
 伊豆山神社初詣で中世~近世の歴史と平安の文化を復習し、温泉を楽しむ、いい旅になった。 (2020.4) 

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