
数日前の素晴らしい夕焼けです。
でも翌日は期待したほどの好天気ではありませんでした。
10日間ほどブログはご無沙汰していました。
16年前の病気が再発して入院した友人も退院し、気にかかっていた(私にとっては)大仕事も無事終了したので
久しぶりのブログアップです。
私の名刺には(一応)通訳翻訳士と記されていますが、仕事の量としては通訳の方が多くなっています。
適切な訳語や訳文を模索しながらの翻訳は結構心地よい作業ですが、
終日家に引きこもっての作業よりは、出かけて行く通訳業の方がどちらかというと好きです。
通訳も逐次と同時もお引き受けしていますが、同時通訳の回数はそれほど多くありません。
同時通訳は通常2人、ないしは3人でブースに入って行います。
ひとりで同時通訳をするのは「ウィスパリング」といって講演会やセミナーなどのおひとりの参加者の耳元でささやくように
通訳をする場合です。
ブースではヘッドフォーンを通して流れてくる話者の音声を訳していきます。
集中力が必要なのでせいぜい15分から20分程度で交代します。
訳していない時も休むわけにはいきません。
正確さが要求される数字や名前などをわきでメモしていかなくてはならないからです。
今回の私にとっての気がかりな同時通訳は実働時間が短いということと、主催者側の予算の関係でひとりで仕事を
しなくてはならなかったからです。
それに主催者側の担当者が通訳業務に関してあまり理解していない方で
「通訳者は資料なしでもなんでも訳せる」と思っていたようで当初は「挨拶原稿も資料もありません」ということでした。
でもこれまでの経験から、確かにドイツの方はご挨拶はフリーで話されることが多いけれども、
日本の方はいつもしっかり原稿を用意されているので、仕事の数日前に一応、確認のためにご挨拶原稿と資料が
ないかどうか尋ねたら → あるじゃないですか!

逐次でも、特に同時通訳の場合、通訳に挨拶や講演原稿が渡っていず、スピーカーが原稿を読み上げるというケースは
通訳者にとっては悪夢です。
今回もぎりぎり事前にご挨拶原稿を入手できて本当に良かったです。そうでなければ冷や汗ものでした。
「このような言葉を独訳するのは大変だろうなぁ」と思っていた言葉、あの「一億総活躍社会」が原稿に記載されていたからです。
それに「新3本の矢」とか「以前の3本の矢」とかもありました。
それからPowerPointで作成された大量の資料も前日、届きました。
ま、当日渡されるよりも良かったのですけれどね。
ちなみにブースに入っていると「恐怖の投げ込み」ということもあります。
当日になってスピーカーが講演内容に変更をいれたとかで、変更資料がブースに「変更でーす」と届く場合です。
今回はそれにブースも通訳用のヘッドフォーンも用意されていませんでした!

これはコスト節約というよりも担当者が同時通訳をする際に必要なものとの認識がなかったためです。
会場に早めに到着したので技術の人と交渉して通訳用のヘッドフォーンだけは用意してもらいました。
でも一応、無事終了して安堵しています。
難しそうな仕事を引き受けたことを後悔する場合に手を取るのは次の本です。

1992年発行ですから、23年前の本です。
日英会議通訳の第一線で活躍されている方おふたりの共著です。
その中で「仕事を重ねて心がまえも蓄積していくうちに、ある日、これまではやりたくても恐ろしくてとても引き受ける自信などなかった仕事を、なぜか引き受けてしまった、というような経験をします」
という文章があります。
今回の仕事は私にとってそのような仕事でした。
といってもこの文章を書かれた同時通訳者の篠田顕子さんの場合は「1988年の米大統領選挙」のテレビ同通ですから
私とはレベルが全く違いますが、でもひとりで通訳をし、間違いを指摘してくれるブースメイトはいないという点では同じでした。
彼女はそんな時「自分に根っこからできそうにないことを無意識がすすめるはずがない」と
そういう仕事を引き受けたのは根底に「自分への自信」が潜んでいるということを指摘します。
この箇所で、私などは少し「勇気」づけられるのですが、でも次のような文章もあるのです。
「反対に力はないのに、それを忘れて、谷底に落ちてしまうという悲劇もあります」

とりとめなく、仕事のことなどを綴りました。
長い文にお付き合いくださりありがとうございます。