タイトルの「塩一トン」はイタリア人のお姑さんが良く語ってらした以下の言葉が由来だと本の冒頭に記されています。
「ひとりの人を理解するまでにはすくなくとも一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
人ではなく読書の場合には「塩一トンを舐めるくらい」その本と深く対峙するということになります。
須賀敦子は学生時代修道女の校長に「どうすればこの本は深いとか深くないとかわかるようになるか」と尋ねたほど若い頃から「深さ」について考えてきました。
この本も古典から現代作家までを「深く掘り下げた」書評が記されています。
既に読んだ本も何冊か登場しますがまさに「目から鱗」の事柄ばかりです。
特に解説で松永美穂さん(『朗読者』などドイツ現代文学の翻訳者)も指摘されている谷崎潤一郎の『細雪』の以下の書評はいつもストーリーしか追っていなかったのでこんな読み方もあるのだと感心しました。
「蒔岡家の三女雪子を巡る叙述が日本的なものがたりの文体、奔放な四女妙子の運命が西欧的な小説のプロットで語られる」→でもこれはもう比較文学の世界でこのレベルへは今更到達できないのですが、少なくとも今後はできるだけ「深く」読むことを心がけたいと思います。
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