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時事ひとりごと− 61(ウクライナ和平会議)

2023-08-07 16:11:00 | 時事ひとりごと
サウジアラビアで開かれたウクライナ和平会議が終了しました。
ロシアは招待されませんでしたが、中国同様ロシアに融和的なインドや南アフリカ、
グローバルサウスと呼ばれる南半球の振興・途上国など40ヵ国が出席しました。
今後の具体策は提示されなかったと会合に批判的な意見もありますが、
今回は国連の原則、国際法や主権と領土保全を尊重するということを参加国が一致して認識したのは意義あることだと思います。
これまではロシア対西側諸国とNATOの枠組みでの今後の和平策が考慮されてきましたが、
穀物輸出のことを考えると今後は国連の平和部隊も導入されるのが望ましいのではないでしょうか。
現に黒海を通過するウクライナの穀物積載貨物船に国連の監視船を併走させるべきという提案もあります。
国連の集団安全保障(複数の国々が互いに武力行使を慎むことを約束し、約束が破られた場合には、残りの全ての国が結集することで侵略行為を辞めさせようとする)はロシアの参加がないので適用は難しいかもしれませんが、現在の膠着状態に少しでも進展があることを願っています。

戦争終了までの道のりは長いと思いますが、終了後もウクライナの人々にとっては長い復興の日々があります。
1996年のノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩『終わりと始まり』を長くなりますが記します。

戦争が終わるたびに誰かが後片付けをしなければならない
物事がひとりでに片づいてくれるわけではないのだから

誰かが瓦礫を道端に押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ荷車が通れるように

誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに血まみれのぼろ布の中に

誰かが梁を運んで来なければならない
壁を支えるために誰かが窓にガラスをはめ
ドアに戸口を据えつけなければ

それは写真うつりのいいものではないし
何年もの歳月が必要だ
カメラはすべてもう別の戦争に出払っている

橋を作り直し駅を新たに建てなければ
袖はまくりあげられてずたずたになるだろう

誰かがほうきを持ったままいまだに昔のことを思い出す
誰かがもぎ取られなかった首を振りうなずきながら聞いている
しかし、すぐそばではもう退屈した人たちがそわそわし始めるだろう

誰かがときにはさらに木の根元から
錆びついた論拠を掘り出しごみの山に運んでいくだろう

それがどういうことだったのか知っていた人たちは
少ししか知らない人たちに場所を譲らなければならない そして
少しよりももっと少ししか知らない人たちに
最後にはほとんど何も知らない人たちに

原因と結果を覆って茂る草むらに
誰かが寝そべって穂を噛みながら雲に見とれなければならない
(沼野充義訳)

次回は私が住む町の姉妹都市ウクライナのブチャの復興について記します。。
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