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時事ひとりごと–62(ブチャの復興)

2023-08-08 17:18:00 | 時事ひとりごと
ウクライナの首都キーウ近郊の町ブチャは2022年3月ロシア連邦軍が民間人に対して行った虐殺の場所として知られています。
2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まりました。
その3日後2月27日にロシア軍はブチャに入り、1ヶ月間占拠しました。
3月31日にロシア軍はブチャから完全撤退しました。
ブチャの市長アナトール・フェドルク氏は4月1日に
「3月31日はロシア軍から解放された日として私たちの街の歴史に刻まれるだろう」と語っています。
その後占拠されていた1ヶ月間にロシア軍が住民に行ってきた残酷な虐殺が次々に明るみに出ました。
通信社のジャーナリストは「静かな並木道に見渡す限り遺体が散乱していた」と報道しています。
新聞に掲載された当時のブチャの通りです。



ドイツに来て以来私が住んでいるケルン近郊の町はブチャと姉妹都市です。
2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後に姉妹都市になりました。
元々ポーランドのプシュチナという町と姉妹都市だったのですが、
ロシアのウクライナ侵攻後、隣国のポーランド経由でウクライナに何か手助けできないかと
プシュチナの市長に相談したところ、プシュチナの姉妹都市がブチャだということでブチャとも姉妹都市になったというわけです。
ブチャの虐殺が世間に知られる前のことです。
国家間の支援だと大がかりになりますが、町通しだと支援は小規模ながら機動性は高くなり支援物質が集まると直ぐ出発できます。
これまで寄付された種々の支援物資に加え、中古の消防車や救急車、バスや道路整備車などの車両を2000km離れたブチャに運びました。
運搬を担当するボランティアのドライバーは退職したバスやトラックの運転手さんたちです。
無事ブチャに到着した時の写真です。
前列左から4人目(白いシャツに黒いカーディガン、手を組んでいます)がブチャの市長アナトール・フェドルクさんです。



ブチャでは感謝から町の名前を記した広場ができたということです。



ブチャ復興のためにこれまで世界中から支援が寄せられています。
最大の支援団体はGlobal Empowerment Foundationです。
この団体の資金提供によりブチャの並木道は綺麗に整備されました。



この通りの住民も戻りつつあります。
住民のひとりはこのように語っています。
「ここで生まれ育ったから絶対ここに戻ってきたかった。
それにここに居続けることはウクライナの存在を認めようとしないロシアへの抵抗でもあるのです」



コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown ( kumamotosetatwo)
2023-08-11 15:02:36
読ませて頂き心に沁みました。2000kも離れた戦闘地に物質を運搬が如何に容易てないか想像がつきます。
返信する
Unknown (yokodoitsu )
2023-08-11 22:08:01
kumamotosetatwoさんへ
コメントをありがとうございます。
現在はブチャへの一方通行ですが、
いつか平和な時が訪れ相互交流ができるようになることを願っています。
返信する

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