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マグデブルク と ブルーノ・タウト

2019-06-25 17:03:47 | 日記
毎週末、地元紙には旅行特集記事が掲載されます。

海外の観光地やドイツ国内の観光地が紹介されます。

先週末は東部ドイツの都市マグデブルクの紹介記事でした。



夫はマグデブルクの隣町で生まれ、ギムナジウムはマグデブルクでした。

そのため夫のクラス会もマグデブルクで開かれたこともあり、これまで何度もこのエルベ河畔の町を訪れました。

マグデブルクというと威厳ある大聖堂も有名ですが、ドイツの人たちには「マグデブルクの半球」が有名です。

17世紀(1654年)に中を真空にした半球2つからなる球体を馬8頭で双方から引っ張らせて、ようやく半球を分けることができたという真空を証明する実験が行われたのです。

この実験をしたオットー・フォン・ゲーリケが当時マグデブルクの市長であったことから「マグデブルクの半球」と呼ばれています。

何しろデカルトが否定していた真空の存在を証明したのですから、当時は大変センセーショナルなイベントだったことでしょう。

今回の新聞記事にはこの半球以外に建築家のブルーノ・タウトに触れていたのが意外でした。

桂離宮など日本の美しい建築物や彫像をその著作で世界に紹介したことで知られるブルーノ・タウトは日本での方が有名ではないでしょうか?



ドイツの人には(私の夫も含めて)あまり知られていないようです。

またタウトが一時期(1920年ごろ?)マグデブルク市建築課長として赴任した頃の建造物がまだこの町で見られるということはほとんど知られていないようです。

ブルーノ・タウトは日本に1933年から1936年まで滞在しました。

タウトと奥様が住んでいた家は群馬県高崎市の達磨寺と呼ばれる少林寺に今でも残されています。

これまで2度ほど訪れ、前回は2016年でした。




その庵の隣には次の碑が立っています。
碑に刻まれているのは次の文です。

Ich liebe die japanische Kultur (私は日本の文化を愛する)


タウトは日本には亡命者として滞在していたため、建築家としての仕事はほとんどしていなかったそうです。
彼の建造物が日本にないのはとても残念です。
桂離宮を賛美したタウト先生だったら日本の自然に調和する簡素ながらも美しい建造物を作られたのではないでしょうか。





コメント
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