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又吉直樹著「火花」 & 「笑い」ということ

2015-09-12 14:09:13 | 読書
台風、豪雨、河川の堤防決壊で日本は大変なことになっているようですね。

ドイツは毎日秋晴れのお天気で絶好の「ゴルフ日和」です。


でも夫は「アイルランド風邪」の快復がいまひとつでゴルフをするには足がまだふらついているし

私のプレー仲間は「椎間板ヘルニア」、私も「60肩」以来プレー意欲があまり湧かず、このところゴルフ場へはご無沙汰です。

というわけで一昨日に続きまた「ブログ・アップ」、「火花」の読後感想です。



といっても「火花」は発行部数が200万部を突破したということですから、

ほとんどの方はもう読まれてしまっていることでしょう。

ここからは忘備録としての私の個人的な「読書感想文」(懐かしい言葉!-昔、小学や中学の頃、嫌々ながら書いたことを思い出します)

なのであまりお目を通していただく価値(?)はないと思います(あしからず)。

「火花」は芥川賞を受賞する前から話題になっていた作品でした。

多分、お笑い芸人が執筆した純文学ということで興味を抱いた人が読んでその文章力に驚き、口コミで広がっていったというのが

ベストセラーのひとつの理由かと思います。

一般に(私も含め)、「芸人」それも「お笑い芸人」を自分より低い位置におく傾向があると思います。

「笑わせる芸」ということでも「落語」と「漫才」とでは「落語」の評価の方が高いでしょう。

それに昔から「笑い」は知的活動のカテゴリーには入らず「不真面目なこと」としてとらえられていたようです。

「笑いは人間にしかできない」と「喜劇」を評価していたアリストテレスの

「詩編第2部(?)」には「笑い」の記述があったようでこれを神への不敬として

門外不出にしようと読者を毒殺したストーリーがウンベルト・エコの「薔薇の名前」です。

又吉さんの「火花」によって「お笑い芸人」に対する評価が変わることでしょう。

私は「お笑い芸人」の中でもタモリさんは別格ととらえていたのですが、

今年日本で購入した「サライ」のバックナンバーで日本画家の堀文子さんがタモリさんを敬愛しているという記事を読み

なるほどと思いました。

堀さんは「日本文化の劣化」にいきどおりを感じて

「慎みと静けさを大切にした日本語はテレビから消え、無知と未成熟の氾濫」を嘆いている人なので、

この人が敬愛するタモリさんは少なくとも日本文化の劣化を促進するような「芸人」ではないと私の評価が証明されたようで

自分の価値観にすこし自信が持てました



肝心な「火花」の感想です。主人公の徳永と彼が「お笑い芸人」の師とあおぐ神谷とのかかわりが描かれています。

「漫才は本物の阿呆と自分は全うであると信じている阿呆によってのみ実現できる」との神谷のセリフが印象に残っています。

いい加減に生きているような二人ですが、「笑い」ということに対しては本当に真摯に向き合っていることに好感が持てました。

ここでの笑いは子供が屈託なく笑うという陽気なものではなく、又吉さんが敬愛するという太宰や芥川のような「やりきれない人生」は笑うしかないというペーソスの笑いです。

(最後は豊胸手術までしてしまう)破天荒な神谷ですが、本当に「やさしい人物」です。

伊集院静著「いねむり先生」で描かれている色川武大さんが思い出されました。

映画化された「いねむり先生」では西田敏行さんが演じていたけれど、「火花」ではどなたが神谷を演じられるのか興味があります。

次回は又吉さんが芥川賞受賞時のインタビューで語っていた

「読んで無敵になったような気持ちで『火花』を書けた」という西加奈子著「サラバ!」について記したいと思っています。


コメント
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