また痛ましい飛行機事故が起きてしまいました。
スペインのバルセロナからドイツのデュッセルドルフ行の便ということで犠牲者の大半はドイツ人とスペイン人です。
犠牲者の中には日本人の乗客も含まれているようです。
昨日、デュッセルドルフの日本国総領事館から管区内に住む日本国籍保有者に対して「知り合いの日本人がこのフライトに乗機していなかったか」と問い合わせのメールが届きました。
知り合いのお嬢さんは日本のテレビ局のベルリン支社にお勤めですが、昨日からずっとデュッセルドルフ空港に詰めています。
メディアの情報が増える度、私には「抑圧」作用が働いてしまうことに気づきます。
ドイツ語でVerdrängung と表現される心理学上の「抑圧」はウィキペディアによると「自我を脅かす願望や衝動を意識から締め出して意識下に押しとどめることで、精神分析において想定される自我の防衛機制のひとつ」とあります。
辛いことを思わないようにする無意識化の作業と私はとらえています。
私の場合、この作業は「掃除」です。
普段は「ホコリで人は死なない」などと豪語してあまりお掃除しないのですが、今日は朝食が済むとすぐ掃除機を取り出して「一心不乱(?)」にお掃除しました。
我が家で炊飯器と並びもっとも古い家電のひとつの掃除機(購入して35年になります


4年前の大震災の時もやたらに家の中の掃除をしたものでした。
メディアで津波の被災状況や原発の事故についてはフォローしていましたが、お友達からのメールや電話での問い合わせにはできる限り(申し訳なかったのですが)距離をおいて、時には「無視」していました。
メールや電話に返答したりするだけで辛かったからです。
ですからそのあたりのことをわかってくれて「心配だったけれど少し落ち着いてからと思って」と震災直後はメールや電話を控えてくれて、そっとしておいてくれていたお友達には感謝しています。
逆にこちらの心情にはお構いなく色々な情報をメールでどんどん送ってくる人もありこれには閉口しました。
この方は共通の友人が亡くなり、樹木葬が行われた際、葬儀の時の写真をブログのようにコメントつきで葬儀の参加者にメールで送ってきました。
そして亡くなられた方のお写真には「こんなに早く亡くなられて」とまるで自分だけが一番悲しんでいるかのようなコメントがつけられていて、他の友人共々驚いてしまいました。
彼女とそれ以来、距離を置くようになったのは、会ってお話しをするとあの時の悲しい思いが呼び起されるのを避けるための、一種の「抑圧」作用が働いているのではないかと思います。

友人が眠る樹木葬の森です。