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気がつけばふるさと離れて34年

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アメリカの母 & ハイスクール

2015-03-14 15:44:19 | 日記


今から44年前、高校生の時に一年だけですが、米国ペンシルベニア州のフィラデルフィア近郊に交換留学生として住んでいました。

その時お世話になったホストファミリーのお母さんが亡くなったとひと月ほど前に連絡が入りました。93歳でした。

アメリカのお母さんとは年に一度クリスマスカードのやり取りをする位のお付き合いでした。

けれども実家の母が11年前に亡くなってからは、多分アメリカの母がこれまで心の拠り所の一部になっていたのだと思います。

森の散歩に出かけて空を見上げては彼女のことを思い出しています。

ショパンの演奏で有名だったピアニストと同じ、ルビンシュタインという苗字でユダヤ人でした。

3年前に亡くなったご主人はバイオリンがとてもお上手でミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」を映画で観たときルビンシュタインさんのことが思い出されました。

当時の思い出の品が何かないかなと探したところ、唯一チェーンのブレスレットが見つかりました。



あの頃は自分の好きなチャームをチェーンにぶら下げて、腕につけてじゃらじゃらさせるのが流行っていました。

私のブレスレットにはピアノや誕生星座のカプリコーンの他に映画「マディソン郡の橋」で有名になった「屋根付き橋」ミニチュアもぶら下がっています。

マディソン郡はアイオワ州にある郡ですが私が住んでいたフィラデルフィア近郊にも昔ながらの「屋根付き橋」があり観光名所になっていました。

ハイスクールに通っていた頃の嬉しいエピソードをひとつ。

当時日本の高校の数学課程のレベルは高かったようで数学はCALCULUS(微積分)という学校で一番難しいクラスに編入させられました。

日本の高校で学んだ程度の英語力では始めの頃、他の授業は全然理解できなかったのですが、

数学だけは何とかついていくことができました。

通学し始めてひと月ほどはお友達も少なく、当時数学のクラスには友人はひとりもいなかったと思います。

でもある日突然、数学の先生が宿題を黒板に書いてみなさいと私を指名したのです。

教室のみんなが「ダイジョウブカナア」という感じで顔を見合わせていました。

何とか黒板に書き終えて席に戻ると、今度は先生が「何か質問は?」とクラスのみんなに問い合わせたのです。

当時、私の英語はおぼつかなかったから多分誰も質問なんてしないだろうと思っていたら、

何とひとりの女子生徒が「私にはどうしてこういう解答になったのかちょっと理解できないのだけれど」と私に質問したのです

多分、日本の高校だったら(少なくとも私が通っていた田舎の高校では)留学生は少し特別扱いされていたから、
わからない点があっても質問は控えたのではないでしょうか。

ドキドキしながらたどたどしい英語でした私の説明に彼女も先生もそしてクラスのみんなも満足してうなずいてくれた時には本当に嬉しかったです。

学校からの帰り道、わざわざ私の後を追いかけてきて「あなたのさっきの説明とても良かったわよ」と声をかけてくれたもうひとりの女子生徒のことも嬉しかったです。

みんな今頃どうしているのかなあ。







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