風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

舟のいのち

2019年04月01日 | 「新エッセイ集2019」

 

波間に小舟が揺れているのが見える。
その揺れ方が心地いい。ああ、春の風景だなあと思っている。
いつのまにか、舟の輪郭がぼやけている。たぶん陽が射しているのだろう。春の光は物の形を曖昧にするものだ。
そうして舟は、すこしずつ水面に溶けていくようだった。

すこし寒い。ぼくは舟の絵を描いている。
それも水の上に描いている。描いても描いても、舟は滲んで消えてしまう。
なんで、こんなことをしているのだろうと思いながら、ほとほと描くことに疲れ切っている。それでも手を止めることができない。
気がつくと、ぼくは筆を手にしている。それが細い氷柱のようでもある。
そのとき「舟は百年は生きている」という声がどこからか聞こえてきて、目が覚めた。

その夢の記憶から、しばらくのあいだ抜け出せないでいた。
夢の中で消えていった舟のように、夢の残像があいまいに漂っている。ただ、舟は百年は生きているという妙にはっきりした声が、最近読んだ本の記憶に繋がっていることに、気がついた。
舟のことが書かれていたわけではない。百年ということが書かれていただけだ。
書家の榊莫山の『莫山美学』という本だった。
起きてから、その本を開いてみた。
そのページは、「墨は魔物である」という文章で書き出されていた。

「墨は、つくられてからしだいに性能を高めて、四十年から六十年たったころ、その墨色はもっとも美しく冴える時期を迎える。そして百年ぐらいたつと、ぼちぼち老化がはじまり、そのうち死も訪れる……」。
墨にも命があったのだ。
なんだか人の一生に似ているなと、読んだときの印象が強かったのだろう。
だが改めて読んでみると、墨の命は百年どころではなかったのだ。
「墨の真の生命(いのち)は、紙や絹の上にえがかれたとき、はじめて誕生する」という。
えがかれた墨色の生彩は、千年たってもびくともしないという。
墨には魔性がかくれているし、妖気さえひそんでいると、いかにも書家らしい実感が述べられていた。

ぼくの夢の中に現れてきたのは、墨の魔性か妖気だったのかもしれない。
夢の小舟はすぐに消えてしまうが、紙に墨で描かれた小舟ならば、千年の春を浮遊しつづけるだろう。あらためて舟の残夢から、そんな声が聞こえてきた。

 

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