風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

夏の手紙

2024年09月08日 | 「2024 風のファミリー」

 

きょうも近畿地方は34℃をこえる予報が出ていて、まだまだ炎暑の夏は終わりそうにない。
かつては、暑い夏は騒がしいセミの声とともにあった。騒がしいセミの声が途絶え、ツクツクボーシが鳴き始めると、夏という季節が終わる淋しささえも感じたものだった。
その頃、セミのことを手紙に書いたことがある。セミのことばかりを書いた。その人を好きだということを、正直に書けない事情があったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。

はじめにマツゼミのことを書いた。梅雨の晴れ間に松の木などで鳴いている。一般的にはハルゼミと呼ばれ、いちばん最初に現れるセミだ。姿は見たことがない。鳴き声だけはよく耳にした。次に現れるのはニイニイゼミだった。ジージーと鳴いている。体は小さくて翅に縞模様があった。地味な存在だった。
さらにセミへの想いは広がっていく。アブラゼミやミンミンゼミのことも、いろいろと熱く書いた。どんなことを書いたかは忘れてしまったけれど、書くことがいっぱいあった。

翅が茶色なのがアブラゼミで、透明なのがミンミンゼミ。どちらかというと、アブラゼミは近場にいるが、ミンミンゼミはすばしっこくて、見つけにくいうえに捕まえにくい。いつも手が届かない高い木に止まっていた。
クマゼミ(鳴き声からワシワシゼミと呼んでいた)のことは、せわしない鳴き声以外は印象が薄い。九州でもまだ珍しいセミだった。もっと他のセミもたくさんいたような気がする。いなかったかもしれない。きっと幻想のセミがいっぱいいたのだろう。

好きです、と書きたかった。でも、どうしても書けなかった。セミが好きです、と書いた。「セミ」が「キミ」にみえてどきどきした。書いたり消したりした。
やっぱり書こうと思った。好きです、と書いた。好きです、という文字をはじめて見たような気がした。その文字は、好きですという文字ではないような気がした。あわてて消した。

盆風が立ちはじめると、楽しかった夏休みも終わり、奔放で自由な日々も終わり、何もかもが終わってしまうような焦りを感じた。私は書きかけの手紙をどう続けたらいいのか分からなかった。
騒がしかったセミの声は途絶え、ツクツクボーシやヒグラシが、夏の終わりを告げるように鳴き始める。ツクツクボーシは夏を惜しんでいる。「つくづく惜しい、つくづく一生」と鳴くと言われていた。朝夕に鳴くヒグラシも、次第に細まっていく鳴き声が、遠くへ何かを運び去っていくようだった。

その頃はいろいろなセミの声によって、私の中では季節の移ろいが細かく彩られていたのだった。セミのことをもっと色々と知っていたし、知ろうとしていた。いまはもう、そんな熱い想いでセミの風景を眺めることもできないだろう。
セミのことが詳しいんですね……。
それが彼女からの返信だった。他にどんなことが書いてあったか覚えていない。記憶に残るほどのことは書かれてなかったのだろう。その夏、相手に伝わったのは、セミのことだけだった。




「2024 風のファミリー」




 


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