A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

JATPはやはり大観衆の熱気の中でないと・・・・・

2013-06-23 | JAZZ LIFE
ノーマングランツが率いたJATPコンサートの始まりは?というと、第2次世界大戦中の兵士向けの放送用のライブのディスクを聴いて、これは商品になるのではと思いついたのが始まりとか。
整然と行われるスタジオでの録音用の演奏にはない、会場の騒音の中で、粗削りであってミスはあっても、そのライブの記録はジャズのone&onlyの楽しみがある。

先日、ハリーアレンの好演に刺激され、彼らが出演する富士通Concordに出かけた。今年のConcordはノーマングランツに捧げるJATPの再演と銘打っていたので期待が大きかったのだが・・・。

富士通Concordには歴史がある。第一回が1986年なのでまだバブル絶頂期の前。企業が冠スポンサーになったイベントも数多くあった時代だ。
当時から錚々たるメンバーが来日して楽しみのイベントのひとつであった。会場の広いホールが一杯になり、日本のジャズコンサートも世界の中一流の仲間入りを果たしていた時代だ。自分もその頃はよく各地のジャズフェスティバルに足を運んでいたので思い出深い。
最近でこそライブにはよく行くが、この富士通Concordはしばらくご無沙汰だったので、その意味でも楽しみであった。

東京での会場はブルーノート。他を探したがここしかなかった。地方ではそれなりのホールが会場であったが東京では何故?東京ではいくらブルーノートでもJATPをやるにしてはキャパが少ないのではとちょっと最初から気にかかっていた。

当日(最終日の月曜日)に足を運んでみたら・・・・・それは反対であった。
今回のブルーノートでの公演は指定席がプロモーター扱いで、自由席がブルーノート扱いになっていた。自分は直前に行く事を決めたし、連れもおらず一人だったの自由席で、開演30分前に会場に着く。いつものように整理番号を受付でもらうが、その番号は14番。何か変だなと感じたが、会場に入るとやはり空席がかなり目立つ状況であった。
指定席もかなり空きがあったが、自由席に至っては両サイドのテーブル席に一人もいない状況。これは一体どうしたの?という雰囲気であった。

まもなく、開演となったが、JATPというと昔から会場の熱気が売り物。それにお互いのプレーヤーに呼応して大ブローになるというのが常であったのだが。
最初のセッションはチャールスマクファーソンと多田誠司のアルトバトル。いきなり初っ端から盛り上げるのは只でさえ難しいのに、この状況では尚更。演奏自体は悪く無かったのだが、空回りで終わる。

続いて、先日好プレーを聴いた、ハリーアレンとグラントスチュワート。かれらも曲数自体が少ないせいもあるが、盛り上がる間もなく終了。
次のトランペットバトルは、ランディーブレッカーのストレートなプレーに皆注目していたようだが、これも本領発揮せずで終わる。
ドラム対決もスネアのバトルなど嗜好は凝らしていたのだが・・・・。
最後に、全員が舞台に上がってパディードで幕を閉じたが、会場の人の少なさは如何ともし難くJATPというには寂しいコンサートだった。東京TUCのハリーアレンが良かっただけに。

家に帰って憂さ晴らしに、昔のJATPを聴き返した。古い録音だが熱気が伝わってくる。JATPはこうじゃなくては。
コメント
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