A GENERATION AGO TODAY / KENNY BURRELL & PHIL WOODS
ある共通のことをテーマにしても、人それぞれに思いがあり、人それぞれの事情があり、実際の行動もそれぞれのペースと時間軸で動いている。その仲間が一緒に集まった時、最小公倍数の中で新たな可能性を求めて最大のパフォーマンスを求めることもあれば、これまでの経験とスキルを出し切って、最大公約数の中で中身の濃いこなれたパフォーマンスが生まれることもある。
1966年末から67年にかけて、それぞれが全く違った事情におかれたミュージシャン達、そしてプロデューサーが集まった。
集めたのはクリードテイラー。彼自身もVerveでプロデュースを続けてからヒットを飛ばしていたが、この67年にはA&Mに移籍する。
その直前の作品である。
アルバムのリーダー格はケニーバレル。
60年代の初頭まではモダンジャズの主流ともいえるセッションによく顔を出していたが。
後半になるとその数も減っていた。これは彼の問題というよりは、ジャズ界全体のことではあった。
相棒はフィルウッズ。彼も同じ境遇であった。多くのセッションに参加し、自己のグループも率いたこともあり、60年の初頭はクインシーのオーケストラで活躍していた。
しかし、だんだんジャズの仕事場が少なくなり、スタジオワーク中心の仕事が多くなっていた。もちろん自己のリーダーアルバムはこの次期無い。
そして、ジャズをもっとやりたいという衝動にかられたのか、この後にはヨーロッパに活動の拠点を移すことを決意する。
ドラムのグラディーテイト、その軽快なスティック捌きは、伝統的なジャズのリズム感はもちろん、ボサノバやロックの新しいリズムの流れを、彼独自のスマートな形でどんどん取り込んでいた。セッションプレーヤーとして引き手数多になっていた。
ベースのロンカーター。マイルスのクインテットの重鎮でマイルスの変革を支えていた一人だ。”Miles Smiles”でひとつの頂点を築き、マイルスがその次のステップへ飛躍する期間と丁度重複する。
ここで、目指したものは、最小公倍数ではなく最大公約数。
テーマとして選んだのは、チャーリークリスチャンが在籍していた時のベニーグッドマン。
変革期を迎えていた時のジャズ界であったが、過去の伝統に根ざした素材を今風の解釈で。
ただし過去のコピーでも無く、決して背伸びをしているわけでもない。
その時点の彼らなりの味付けで。
したがって、単なるカバー物ではない。リーダー格の一人、フィルウッズもグッドマンの名曲集なので、クラリネットも曲によっては使っているがあくまでもアルトが主役。
久々に、バラードからアップテンポまでウッズ節を十分に聴かせてくれる。
クリードテイラーのプロデュースも、当時得意にしていたビッグバンドやストリングスのバックを加えることなく、コンボ編成でのプレーに徹している。
これは、別に大作であるわけでもなければ、歴史的な名盤でもない。
聞き流してしまうと何気ない演奏だが、随所に個性が散りばめられ、そのコラボレーションが名人芸ならではのプレーを生み出している。
好みのタイプのアルバムだ。
CD盤は同じセッションの3曲が追加されているが、これもまた素晴らしい。
Wholly Cats
A Smooth One
Seven Come Eleven
NYC, December 16, 1966
As Long As I Live
I Surrender, Dear
Moonglow And Theme From Picnic
Flying Home
NYC, December 20, 1966
If I Had You
NYC, January 31, 1967
Poor Butterfly
Stompin' A The Savoy
Rose Room
NYC, March 28, 1967
<Personnel>
Phil Woods (as)
Mike Mainieri (vib)
Richard Wyands (p)
Kenny Burrell (g)
Ron Carter (b)
Grady Tate (d)
Produced by Creed Taylor
ある共通のことをテーマにしても、人それぞれに思いがあり、人それぞれの事情があり、実際の行動もそれぞれのペースと時間軸で動いている。その仲間が一緒に集まった時、最小公倍数の中で新たな可能性を求めて最大のパフォーマンスを求めることもあれば、これまでの経験とスキルを出し切って、最大公約数の中で中身の濃いこなれたパフォーマンスが生まれることもある。
1966年末から67年にかけて、それぞれが全く違った事情におかれたミュージシャン達、そしてプロデューサーが集まった。
集めたのはクリードテイラー。彼自身もVerveでプロデュースを続けてからヒットを飛ばしていたが、この67年にはA&Mに移籍する。
その直前の作品である。
アルバムのリーダー格はケニーバレル。
60年代の初頭まではモダンジャズの主流ともいえるセッションによく顔を出していたが。
後半になるとその数も減っていた。これは彼の問題というよりは、ジャズ界全体のことではあった。
相棒はフィルウッズ。彼も同じ境遇であった。多くのセッションに参加し、自己のグループも率いたこともあり、60年の初頭はクインシーのオーケストラで活躍していた。
しかし、だんだんジャズの仕事場が少なくなり、スタジオワーク中心の仕事が多くなっていた。もちろん自己のリーダーアルバムはこの次期無い。
そして、ジャズをもっとやりたいという衝動にかられたのか、この後にはヨーロッパに活動の拠点を移すことを決意する。
ドラムのグラディーテイト、その軽快なスティック捌きは、伝統的なジャズのリズム感はもちろん、ボサノバやロックの新しいリズムの流れを、彼独自のスマートな形でどんどん取り込んでいた。セッションプレーヤーとして引き手数多になっていた。
ベースのロンカーター。マイルスのクインテットの重鎮でマイルスの変革を支えていた一人だ。”Miles Smiles”でひとつの頂点を築き、マイルスがその次のステップへ飛躍する期間と丁度重複する。
ここで、目指したものは、最小公倍数ではなく最大公約数。
テーマとして選んだのは、チャーリークリスチャンが在籍していた時のベニーグッドマン。
変革期を迎えていた時のジャズ界であったが、過去の伝統に根ざした素材を今風の解釈で。
ただし過去のコピーでも無く、決して背伸びをしているわけでもない。
その時点の彼らなりの味付けで。
したがって、単なるカバー物ではない。リーダー格の一人、フィルウッズもグッドマンの名曲集なので、クラリネットも曲によっては使っているがあくまでもアルトが主役。
久々に、バラードからアップテンポまでウッズ節を十分に聴かせてくれる。
クリードテイラーのプロデュースも、当時得意にしていたビッグバンドやストリングスのバックを加えることなく、コンボ編成でのプレーに徹している。
これは、別に大作であるわけでもなければ、歴史的な名盤でもない。
聞き流してしまうと何気ない演奏だが、随所に個性が散りばめられ、そのコラボレーションが名人芸ならではのプレーを生み出している。
好みのタイプのアルバムだ。
CD盤は同じセッションの3曲が追加されているが、これもまた素晴らしい。
Wholly Cats
A Smooth One
Seven Come Eleven
NYC, December 16, 1966
As Long As I Live
I Surrender, Dear
Moonglow And Theme From Picnic
Flying Home
NYC, December 20, 1966
If I Had You
NYC, January 31, 1967
Poor Butterfly
Stompin' A The Savoy
Rose Room
NYC, March 28, 1967
<Personnel>
Phil Woods (as)
Mike Mainieri (vib)
Richard Wyands (p)
Kenny Burrell (g)
Ron Carter (b)
Grady Tate (d)
Produced by Creed Taylor