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入れ墨は、本人の自由でいいのではないか

 故鶴田浩二さんの博打打ちシリーズの一作に「博打打ち 一匹竜」という作品があり、最近WOWOWで観た。入れ墨の彫り師の老名人が登場するストーリーだが、クライマックスに入れ墨品評会のシーンがあり、裸に褌一丁で入れ墨を入れた男が数十人ぞろぞろと登場する。怖いというよりも、笑いがこみ上げて来かねないシーンなのだが、もうこんな映画は撮れないのだろうなあ、という思いで観た。
 さる自治体の首長さんが、職員の入れ墨を禁止した上に、さらに入れ墨の有無を調査する意向を示して話題になったが、入れ墨は、それほどに悪いことなのだろうか。
 「入れ墨のある人=怖い人」という先入観があるので、温泉の大浴場などで彫り物のある人に会うと緊張することはあるが、たいていの場合は、その人が特に凶暴に振る舞うわけではない。問題は、入れ墨を見る側の心の中にあり、入れ墨自体が悪さをするわけではないし、印象の有利・不利(社会生活には不利が多そうだが)は、入れている本人の問題だ。
 はっきり言って本人の自由だろうし、これを規制すべき根拠があるようには思えない。
 私は、自分自身が入れ墨を入れたいとは思わない。端的に言って、入れ墨は、私の趣味に合わない。自分に似合う良い絵が思いつかないし、いったん入れ墨を入れてしまうと、自分のカラダがいつまでの同じ漫画の画面が映っているテレビのようになるのは気が進まない。
 先般、フロイド・メイウェザーに(一方的に)破れたミゲール・コットのように、外国のスポーツ選手はしばしば入れ墨を入れているが、「これはカッコイイ!」と思うケースは稀だ。
 しかし、彼らは、自分のカラダに入れ墨を入れることに何らかの意味を感じているのだろうし、ファッションとしての主張がある場合もあるのだろう。他人がどう思うかは、二次的な問題だ。
 日本人でも、たとえば、息子の名前を腕に彫った女性歌手もいる。彼女は、温泉に行っても、「入れ墨のある方はお断り」ということで、大浴場に入浴できないのか。小さい入れ墨はいいけれども、大きな入れ墨はダメ、という区別も奇妙だ。
 どう考えても、入れ墨を入れること自体を非難する理由はない。
 日本人もそれでいいのではないか。
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