評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
ジーコと王貞治
私はサッカー通でも野球通でもないが、両競技をテレビで見ながら勝手なことを言う一オヤジとして、印象を言ってみると、サッカーのジーコ監督と、野球の王貞治監督との間に共通点を感じる。
二人は共に選手時代には神格化寸前の名選手であり、その後、監督になった。
監督として二人が似ているのは、優れていると認定した選手に対する期待であり信頼の固定性だ。二人とも「優れた選手が、能力をきちんと発揮すれば、自ずと結果はついてくるはずだし、それ以上を望むことは邪道だ」と思っているような印象がある。王監督でいうと、特に初期の用兵は、今日も「鹿取」、明日も「鹿取」という具合に、メンバーを固定するワンパターンであった。共に、一流選手に対する要求水準が高い。
王監督に関して言えば、その後、配下の選手が必ずしも自分の選手時代のような能力と精神を備えているわけではないことを理解して、それなりの部下を、与えられたなりに、それなりに使うことを覚えたように見える。しかし、彼の用兵にはサプライズが乏しい、という傾向は残っているようだ。ソフトバンクでもそうだし、WBCでも用兵は、オーソドックスそのものだったように思う。最大公約数的な納得性はあるが、サプライズが乏しい。つまり、弱兵を率いて、効果的にギャンプルを行うタイプではない。
ジーコもこのタイプではないかと思うのだが、さて、どうか。
一つ残念に思うのは、彼が鹿島アントラーズの選手兼指導者だった時代に発揮した選手育成の能力を、彼が代表監督になってから、発揮していないように見えることだ。代表監督は、必然的に、戦力を「選ぶ」ことと「使う」ことに特化する「勝負師」なのだが、この点、ジーコ監督は、希代の負けず嫌いではあるものの、選手選択が頑固でサプライズがない、という印象がぬぐえない。つまり、強い相手には勝ちにくい監督なのだ。
サッカーの日本代表の最大の問題は、誰もが指摘する決定力不足だが、ジーコは彼自身が日本のFWを育てなかったし、たまたま目下調子のいい選手を使って勝負しようというギャンブルを行うとは思えない。相変わらず、走ったり、相手を交わしたりすると、精神的にも肉体的も「心臓がバクバクして」、蹴った玉がゴールマウスのクロスバーの上に浮いてしまうような、心身どちらかで「ハートの弱い」選手ばかりが前線にいるのは気になる。もっと「ハートが強い」奴はいないのか。
ジーコ自身は、超負けず嫌いと同時に、なかなかの強運の持ち主だから、W杯で、日本代表が一次予選を勝ち抜く可能はゼロではないが、順当に行けば、ブラジルとクロアチアが一次リーグを突破するのだろうと私は予想している。ただ、組み合わせ的に、日本は最初にオーストラリアと当たり、ブラジルがクロアチアと当たるという進行順序は、日本に有利だと思う。サッカーは、実力差があっても、引いて戦うと引き分けが狙えるし、勝ちに行くと危ないゲームだから、日本が最初にオーストラリアから勝ち点3を取り、クロアチアがブラジルに敗れると、クロアチアが焦る可能性があるし、日本は、残り二つを引き分け狙いで戦える。
尚、正直に言っておくが、私はW杯で日本代表を応援していない。あたかもサラリーマンの仕事ぶりのようなせせこましい日本代表の組織サッカーは好みではないし、日本代表を応援するなら、馬鹿になって大騒ぎをしてもいいと思っているらしき人々には共感を感じない。興味の問題としては、他国よりも日本代表が出る試合の方が面白いが、TVの前では日本代表を応援しないつもりだ。日本代表がもっと魅力的なチームになれば将来応援することもあるだろうが、今のチームなら、南米や欧州の代表チームを応援したい。
二人は共に選手時代には神格化寸前の名選手であり、その後、監督になった。
監督として二人が似ているのは、優れていると認定した選手に対する期待であり信頼の固定性だ。二人とも「優れた選手が、能力をきちんと発揮すれば、自ずと結果はついてくるはずだし、それ以上を望むことは邪道だ」と思っているような印象がある。王監督でいうと、特に初期の用兵は、今日も「鹿取」、明日も「鹿取」という具合に、メンバーを固定するワンパターンであった。共に、一流選手に対する要求水準が高い。
王監督に関して言えば、その後、配下の選手が必ずしも自分の選手時代のような能力と精神を備えているわけではないことを理解して、それなりの部下を、与えられたなりに、それなりに使うことを覚えたように見える。しかし、彼の用兵にはサプライズが乏しい、という傾向は残っているようだ。ソフトバンクでもそうだし、WBCでも用兵は、オーソドックスそのものだったように思う。最大公約数的な納得性はあるが、サプライズが乏しい。つまり、弱兵を率いて、効果的にギャンプルを行うタイプではない。
ジーコもこのタイプではないかと思うのだが、さて、どうか。
一つ残念に思うのは、彼が鹿島アントラーズの選手兼指導者だった時代に発揮した選手育成の能力を、彼が代表監督になってから、発揮していないように見えることだ。代表監督は、必然的に、戦力を「選ぶ」ことと「使う」ことに特化する「勝負師」なのだが、この点、ジーコ監督は、希代の負けず嫌いではあるものの、選手選択が頑固でサプライズがない、という印象がぬぐえない。つまり、強い相手には勝ちにくい監督なのだ。
サッカーの日本代表の最大の問題は、誰もが指摘する決定力不足だが、ジーコは彼自身が日本のFWを育てなかったし、たまたま目下調子のいい選手を使って勝負しようというギャンブルを行うとは思えない。相変わらず、走ったり、相手を交わしたりすると、精神的にも肉体的も「心臓がバクバクして」、蹴った玉がゴールマウスのクロスバーの上に浮いてしまうような、心身どちらかで「ハートの弱い」選手ばかりが前線にいるのは気になる。もっと「ハートが強い」奴はいないのか。
ジーコ自身は、超負けず嫌いと同時に、なかなかの強運の持ち主だから、W杯で、日本代表が一次予選を勝ち抜く可能はゼロではないが、順当に行けば、ブラジルとクロアチアが一次リーグを突破するのだろうと私は予想している。ただ、組み合わせ的に、日本は最初にオーストラリアと当たり、ブラジルがクロアチアと当たるという進行順序は、日本に有利だと思う。サッカーは、実力差があっても、引いて戦うと引き分けが狙えるし、勝ちに行くと危ないゲームだから、日本が最初にオーストラリアから勝ち点3を取り、クロアチアがブラジルに敗れると、クロアチアが焦る可能性があるし、日本は、残り二つを引き分け狙いで戦える。
尚、正直に言っておくが、私はW杯で日本代表を応援していない。あたかもサラリーマンの仕事ぶりのようなせせこましい日本代表の組織サッカーは好みではないし、日本代表を応援するなら、馬鹿になって大騒ぎをしてもいいと思っているらしき人々には共感を感じない。興味の問題としては、他国よりも日本代表が出る試合の方が面白いが、TVの前では日本代表を応援しないつもりだ。日本代表がもっと魅力的なチームになれば将来応援することもあるだろうが、今のチームなら、南米や欧州の代表チームを応援したい。
コメント ( 12 ) | Trackback ( 0 )
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日本代表のサッカーがつまらないというのは思っていましたがサラリーマンのような組織サッカーという見方は初めて目にしました。
サラリーマンのようなせせこましいサッカーという言葉からイメージするのは上司の顔を伺いながらリスクを背負ったプレーをしないサッカーということなのでしょうか?
むしろ今の日本代表は新しい上司ジーコから好きなやり方で仕事をしていいといわれたが何をすればわからないという印象を持っていたので組織サッカーという言葉に違和感があったので質問させてもらいました。
>日本代表を応援するなら、馬鹿になって大騒ぎをしてもいいと思っているらしき人々には共感を感じない
同感です。僕はテレビで静かに応援したいと思っています。
中盤でパスがよく回るし、決して下手ではないと思うですが、ゴールマウスの中に強い玉を蹴ることがめったにない、どちらかといえばセットプレーが頼りの日本のサッカーには、私は、背筋がぞくぞくするような魅力を感じません。
個人で勝負せずに、組織として戦っているのだ、ということを強調する点が、名刺に頼って会社の看板で仕事をするような、日本のサラリーマンの仕事ぶりと似ているように思います。「俺が何とかするから、見ていろ!」というような選手がいないのは少々つまりません。体力は明らかに劣るし、技術も、南米の選手などに比べると、まだまだ中途半端だと思います。
もちろん、アンチ・ジャパンは私の個人的な好みの問題ですから、これを他人に押しつける気はありません。私も、オーストラリア、クロアチア、ブラジルをテレビの前で応援するだろうと思っています。
ただ、自分の国の代表選手に対して、「ハートが弱い」「サラリーマン的」と短絡的に片付けるのはどうでしょうか。
彼らは、間違いなくエリートです。
一億の中から23人に選ばれるに値する才能と、想像を絶するような努力をして、あそこに立っています。つまり、どう考えても、「ハートは強い」わけです。
ゴール前で、心臓がバクバク、という表現も、ありましたが、サッカーを高いレベルでやったことのない人の発言と思わざるを得ません。
ペナルティエリアの中に入ったときのプレッシャーの厳しさを、ほんのわずかなタイミングが全てを決めることを、あなたは知らない。
彼らは小さい頃から、たった一つの目標に向かって、何人もの競争相手に勝ちあがってきた勝者です。心臓がバクバクしているわけではありませんよ。厳しい世界レベルでの競争に、ただ負けただけのことです。
別に日の丸大好き人間ではないですが、
サラリーマンサッカーなどと中傷するのは、大人気ない態度だと思います。
日本代表の23人が、少なくとも日本のサッカーの世界でエリートであることは間違いないでしょうし、私がサッカーをやったことがないというのも、ご指摘の通りです。
ただ、サッカーでも野球でも相撲でも将棋でも、プロがやることに対するアマチュアの意見というものは、「あのピッチャーはハートが弱い」といった具合に、素人見の印象に基づいた勝手なものになるのはやむを得ません。この種の商業的スポーツコンテンツは、発言の場やコンテクストの問題はありますが、素人が勝手なことを言ってもいい、という前提の下で成り立っていると思うので、サッカーの日本代表について、私のような素人が印象に基づく批評をすることは構わないと考えています(メディアでは「日刊ゲンダイ」が日本代表に対して好意的ではありませんね)。
もちろん、自分のブログなどでない他の多くのメディアでは、「日本代表が勝って欲しいと思う人が多数である」というコンテクストを意識し手発言するつもりではあります。意見は意見として言いますが、聞き手に対する配慮をするつもりです。つまり、別に私は、他人に不愉快を与えることを目的としてはいません。ただ、日本人なのだから、日本代表を応援するのは当然だろう、という前提には与しません。
さて、たとえば、絶好のチャンスに放ったシュートがクロスバーの上に飛ぶ、という現象は、「世界レベルの競争に、ただ負けただけ」ということでもありましょうが、(1)十分冷静になれなかったか、(2)体力がついて行かなかったか、ということの何れかだとすれば、前者では精神の意味で、後者では心臓の意味で、「ハートが弱い」と言いたくなるわけです。
選手本人からすると、素人が勝手なことを言うと思うことでもありましょうが、プロというものは、そういうことを言われるような商売でもある、と知っているのではないかと想像します。
尚、私は、彼ら23人について、スポーツ選手個人としての敬意を払うことは惜しみませんが(何れも、天才の中の天才たちでしょうし、努力もした人たちでしょう)、「自分の国の代表」として、他国のサッカー選手に対するのと別な意識を持って捉えているわけではありません。
チームとして見た場合に、私にとって、日本代表は魅力が乏しいし、過大評価されているのではないかと思っており、今回はそれをサラリーマン的なと表現してみただけです。
たぶん、るーくさんと私の間には、(おそらくサッカーに限らず)「日本代表」というものに対する考えの違いと、サッカーに関する好き嫌いの違いがあるのだろうと思います(私の「サッカーの好み」などたいしたものではありませんが)。
現実に、Wカップの一次リーグの三試合を見ると、私の見方が不適当だったことが分かるかも知れないし、(私にとって)やっぱりそうか、ということであるかも知れません。幸い、見る方は気楽ですから、試合を楽しみにすればいいのではないでしょうか。
尚、私は他のスポーツを含めて、日本代表が全て嫌いな訳ではありませんし、試合内容によっては、大いに反省して、サッカーの日本代表を見直すようになるかも知れません。
ちなみに、昨日の「News GyaO」で答えた私の一次リーグの日本代表に関する予想は、対オーストラリアが1-1の引き分け、対クロアチアが0-1の負け、対ブラジルが1-3の負け、です。さて、どうなりますか。。。
個人的には、王監督はダイエーホークスの監督に就任され、ファンから生卵などを投げつけられ、ご指摘の通り「神」から人間へ降臨され、オーソドックスな采配になったかという印象があります。また、王監督は「野球の神様を愛した人」、長嶋監督は「野球の神様に愛された人」と思います。ジーコが「フットボールの神様を愛した人」なら、マラドーナが「フットボールの神様に愛された人」でしょうか?
所詮、よくて優勝チームでも勝率6割-7割のベースボール、WBCをフットボールのように1試合毎のノックアウト制にする事自体、かなり無理があるような気がします。
王貞治が野球の神様を愛して、長嶋茂雄が野球の神様に愛されたというのは至言ですね!感服です。
私は自分自身が努力型ではないのですが、野球選手としては、王選手が好きでしたし、監督としての王氏には、成長を見る楽しみを感じています。
これを書くと、サッカーの話以上の反発を呼びそうですが、私は監督が長嶋氏になってからジャイアンツ・ファンを辞めました。選手は一流を連れてくるくせに、監督としては明らかに一流でない(頭の悪い)長嶋氏を監督にするということが、「スポーツとしての野球に対する冒涜」と思えたので、以後、読売巨人軍を軽蔑することとなりました。ヤンキースのオーナーのように勝ちに徹するなら、まだ一貫性があっていいのですが、長嶋氏を監督として野球をやるというのでは、野球はすでに本気の「スポーツ」ではなくて、人気さえ取れればいい、プロレスのような「興業」です。
しかし、長嶋氏(人柄は良さそうですが)の愛され方には、読売のサラリーマン経営者たちの判断を狂わせるに十分な凄さがありますね。
尚、私は選手としてのジーコが好きでした。あの時期に鹿島に居て、真面目にサッカーに取り組んでいた姿勢には神々しいものがありました。彼は、本当に、サッカーを愛していたのでしょう。
正直、当方も「時間外取引」で念願の巨人入団を果たしたにもかかわらず高校時代がピーク(?実際にこの目で見ていないのでわかりませんが)だったと言われる江川元投手がプロとしての節制を怠りあっさり引退してしまい、子供心に巨人には幻滅しました。仰るとおり、長嶋監督を続投させ続けた読売巨人軍の姿勢は、スポーツを愚弄する行為だったと思います。
サラリーマン的な組織サッカーは、ある意味フットボールはその国の国民性を反映したものだと考えているので、あまり違和感は感じません。もっともこの国のサラリーマン文化も崖っぷちかもしれませんが、逆にジーコの当初の自由放任主義(?)の方が正直違和感はありました。素人ながら、むしろ、発展途上の過渡期の日本サッカーには、トルシエのような厳しい厳しい規則を設けた方がよかったと感じますが・・・
今ではすっかりポロシャツの代名詞となった感のある名プレーヤーFred Perryを戦前ウィンブルドンで敗ってベスト4入りした、故佐藤次郎氏はとにかく粘り強く相手のボールを返し、「しこしこ」テニスと評されたそうですが、そういう国民性を反映した、「つまらない」スタイルもあってもいいかと思います。
ウサギと亀ではありませんが、亀が勝つこともあるように。
追伸:山崎様がギャンブルをなさるとは、ちょっと意外でした。「リスクとリターンで考えると、人生はシンプルになる!」に書かれていたような記憶もありますが。
Looks pretty decent from initial views. Be interesting to see how it compares to the real one when washing (I’ve both)
October 07, 2019