評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
藤原新也氏の「カメラマン」に思う
藤原新也「渋谷」(東京書籍)を読んだ。藤原新也氏は、「全東洋街道」の頃から私が大好きな写真家の一人で、写真ばかりでなく、文章もよく読んでいた。氏はいろいろな写真を撮っておられるが、メッセージ性が強い写真もあれば、色が響き合うような本能に立脚したとしかいいようのない官能的かつ絵画的な写真もあって、学生の頃から好きだった。
近刊の「渋谷」は、「アサヒカメラ」の8月号で知って、藤原氏のポートレート撮影について手の内が書かれているらしい、という俗な興味もあって、書店で買い求めた。
全体のテーマは、母と子供(特に娘)の関係から見た現代における自我の獲得の困難さのようなものなのだが、渋谷で女の子を追ってファッションマッサージ屋の個室で交わす会話の中にあった、面白い言葉が気になった。
作中の藤原氏は、ファッションマッサージ嬢のユリカに、自分が写真家であることを明かすに当たって、次のように言う。「別に写真をやっているからすごいってことないんだよ。お豆腐屋さんが豆腐を作っていることと同じなんだから。ちょっと違うところはお豆腐屋さんはお客さんを選べないけど、カメラマンは撮りたい人を選べるって事かも知れない」。本当にそう言ったのかどうか分からないが、本に載せる自分の台詞としては、自意識を隠さない、頑張ったフレーズだと思う。
細かなことを言うと、この比喩は、藤原新也氏にしては不正確かつ不用意であり、カメラマンも自分の作品を見てくれる人を選べるわけではないし、豆腐屋も、自分の好きなように豆腐を作るのだから(気骨があれば、だが)、両者は、本質的に同じなのだ。
もっとも、私が気になるのは、上記の点ではない。職業的カメラマンの、いったい何%が、「撮りたい人が選べる」のだろうか、ということなのだ。
私は仕事がら、ほぼ毎週1人強のカメラマンに会っているが、率直に言って、カメラマンとして、是非とも私の写真を撮りたくて、オフィスに訪ねてくる人はいるまい。編集者の依頼を受けて、仕事として、(つまらない、私の)顔写真を撮りに来るのだ。
しかし、幾らか強引な解釈だが、藤原氏は、自分が撮りたい人を撮るような人のことを「カメラマン」として認めており、たぶん、表現者として、認めているということなのだろう。先の台詞には、藤原氏の職業的矜恃がほとばしっている。
さすれば、私が日頃お会いするカメラマンの多くは、藤原氏的な意味では、「カメラマン」ではない、ということになるのか? 100%ではないにしても、そういうことなのだろう。
ここで、もちろん、問題は、カメラマンにとどまらない。
たとえば、「経済評論家・山崎元」も、かなりのケースで、自分でテーマを選ぶのではなく、編集者・記者(活字の場合)や、ディレクター(映像の場合)から依頼を受けたテーマについて、書いたり、話したり、している。藤原氏的な意味では、一人前でない、ということになるのだろう。これは、素直に認める方が良さそうだ。
今のところ、私は、たぶん若いカメラマンがそうであるように(私は年齢は若くないが、フリー歴はまだ浅い)、依頼されたテーマについて原稿を書いたり、コメントしたりしていること、つまり仕事があることを、肯定的に考えている。
だが、やはり、本当に言うべきことが何かを自分で捉えて、自分でテーマを持ち込んで、雑誌の原稿なり、単行本なりを書く仕事をしていくべきなのだろうとも思っている。
尚、「渋谷」は、久しぶりに彼の本を買う私のような(なまくらな)ファンにも、藤原新也の世界を十分堪能させてくれる、なかなかの読み応えの本だと思った。
近刊の「渋谷」は、「アサヒカメラ」の8月号で知って、藤原氏のポートレート撮影について手の内が書かれているらしい、という俗な興味もあって、書店で買い求めた。
全体のテーマは、母と子供(特に娘)の関係から見た現代における自我の獲得の困難さのようなものなのだが、渋谷で女の子を追ってファッションマッサージ屋の個室で交わす会話の中にあった、面白い言葉が気になった。
作中の藤原氏は、ファッションマッサージ嬢のユリカに、自分が写真家であることを明かすに当たって、次のように言う。「別に写真をやっているからすごいってことないんだよ。お豆腐屋さんが豆腐を作っていることと同じなんだから。ちょっと違うところはお豆腐屋さんはお客さんを選べないけど、カメラマンは撮りたい人を選べるって事かも知れない」。本当にそう言ったのかどうか分からないが、本に載せる自分の台詞としては、自意識を隠さない、頑張ったフレーズだと思う。
細かなことを言うと、この比喩は、藤原新也氏にしては不正確かつ不用意であり、カメラマンも自分の作品を見てくれる人を選べるわけではないし、豆腐屋も、自分の好きなように豆腐を作るのだから(気骨があれば、だが)、両者は、本質的に同じなのだ。
もっとも、私が気になるのは、上記の点ではない。職業的カメラマンの、いったい何%が、「撮りたい人が選べる」のだろうか、ということなのだ。
私は仕事がら、ほぼ毎週1人強のカメラマンに会っているが、率直に言って、カメラマンとして、是非とも私の写真を撮りたくて、オフィスに訪ねてくる人はいるまい。編集者の依頼を受けて、仕事として、(つまらない、私の)顔写真を撮りに来るのだ。
しかし、幾らか強引な解釈だが、藤原氏は、自分が撮りたい人を撮るような人のことを「カメラマン」として認めており、たぶん、表現者として、認めているということなのだろう。先の台詞には、藤原氏の職業的矜恃がほとばしっている。
さすれば、私が日頃お会いするカメラマンの多くは、藤原氏的な意味では、「カメラマン」ではない、ということになるのか? 100%ではないにしても、そういうことなのだろう。
ここで、もちろん、問題は、カメラマンにとどまらない。
たとえば、「経済評論家・山崎元」も、かなりのケースで、自分でテーマを選ぶのではなく、編集者・記者(活字の場合)や、ディレクター(映像の場合)から依頼を受けたテーマについて、書いたり、話したり、している。藤原氏的な意味では、一人前でない、ということになるのだろう。これは、素直に認める方が良さそうだ。
今のところ、私は、たぶん若いカメラマンがそうであるように(私は年齢は若くないが、フリー歴はまだ浅い)、依頼されたテーマについて原稿を書いたり、コメントしたりしていること、つまり仕事があることを、肯定的に考えている。
だが、やはり、本当に言うべきことが何かを自分で捉えて、自分でテーマを持ち込んで、雑誌の原稿なり、単行本なりを書く仕事をしていくべきなのだろうとも思っている。
尚、「渋谷」は、久しぶりに彼の本を買う私のような(なまくらな)ファンにも、藤原新也の世界を十分堪能させてくれる、なかなかの読み応えの本だと思った。
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貴族階級などの求めに応じて
作曲した曲が大半ですが、
それを理由にモーツァルトの芸術性が
否定されてはいません。
ベートーヴェンの苦悩もクライアントたる
貴族階級との付き合い方にあったそうですが、
内的に湧き上がる創造性と、広い意味での
商業性とを両立させるということは、
クリエイティブ(安易な表現ですが)な
仕事をする人にとって悩ましいテーマの
ようですね。
コメントありがとうございます。確かに、ベートーベンやモーツァルトは、スポンサーたる貴族の求めに応じる形で創作をした(飯も食った)わけですが、芸術性が発揮できたということですね。
写真家で言うと、「藤原新也さん、あなたにインドをまた撮って欲しいので、1億円出しますから、また、1年インドに行って貰えませんか」というような依頼をするクライアントが居た、ということでしょうか。これに対して、藤原新也氏の側では、インドはもう撮り終わっているから、その仕事に意義が見いだせないと断るか、新しい写し方を実験しようと割り切るか、というような選択があります。
カメラマンについては、いわゆるブツ撮り(≒商品撮影)のカメラマンは喰えるけれども、芸術写真で食べていける人はごく少数と聞いたことがあります。
私は、芸術家のような表現者ではありませんが、最近の自分について反省点として思うのは、たとえば単行本の企画にしても、出版社の持ち込みを待つのではなく、自分でこんな本を作りたいと企画を練って、出版社に持ち込むべきなのだろうな、ということです。
名前もお仕事のことも何も知りませんでしたが、色々調べてるうちにこちらに辿りつき、それからは更新が楽しみでよく見に来させていただいています。
明日の『とくダネ』には出られるのでしょうか?だとしたらすごく楽しみです。山崎さんの優しい話し方にウットリしてしまいます。
これからは、もっといっぱい勉強して山崎さんやみなさんのコメントについて行けるようになりたいな~って思っています。
自分では、でかくて平凡な顔だと思っているのですが、もったいないことに雰囲気まで褒めていただき、恐縮至極です。
「とくダネ!」は、明日は私が出演する予定は、ありません。8月は、あくまでも予定ですが、11日と25日にコメンテーターで出演する予定です(この予定はその後の先方様の都合で変化する可能性が大いにあります)。
この他にも、「ライブドア強制捜査!」クラスの経済事件があれば、解説のオジサンとして出演するかも知れませんが、たぶん、そんなことはないでしょう。
「とくダネ!」は、お茶の間向けながら、かなり真面目に作られている番組で、私は気に入っていますが、私が出演する機会がいつまであるかどうかは、視聴率競争が厳しい時間帯でもあり、全く不明です。田舎の両親が喜ぶので、時々出たいと思っているのですが・・。
当面、私の出演機会が一番多いのは、月・火・水の「NewsGyaO」です。ウィンドウズのPC(悲しいことにMacはダメ)をお持ちであれば、生放送は、午後9時半からで、深夜からはオンデマンドになります。
私の友人のゲイが以前「元さん、素敵。」と言っていたので、もしかして山崎さんはそちら方面に人気があるのかしら・・・と思っていました。
私も山崎さんの少し広めの眼間距離と、お人よし感が漂うお顔が好きです。(ちなみに私は女性です)
「News GyaO」の情報ありがとうございます。私は経済には今まで全く興味が無く、大学でも工学を専攻していますが、これからは山崎さんに良い影響を受けさせていただき、多方面に興味を広げていこうと思っています。
>赤福 さま
失礼ですがコメント読ませていただき、「フッ」と笑ってしまいました(ゲイのところで)。因みに私は女性です、正当な感情で山崎さんが大好きなのです。誠実そうで、優しそうで、柔和で落ち着いた男性が好みな私に友人たちは「ファザコン?」と口を揃えて・・・。
以前クールビズのところで、山崎さんがシャツにネクタイが・・・と書かれていましたが、山崎さんには今のスタイルが一番良くお似合いだと思います。
展覧会の感想は。いやすばらしい、けれど、ビデオで流れるインタビューの聞き手のねーちゃんの質問がつまらない。あんた女郎屋でさあ、写真とるときやってんの? ぐらい訊いてほしいものだ。藤原の写真は、モデルを使ったものはさっぱりよくない、と私は思う。朝鮮半島を撮ったものが妙に印象に残った。